戦艦 大和のオムライス

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大和のオムライス

戦艦 大和のオムライス(Omurice from the Battleship Yamato)は、大日本帝国海軍の戦艦・大和(やまと)の艦内厨房で調理され、士官向けに出されていた料理である。

士官と従兵

当時、従兵で大和乗組員の生存者の証言では「給仕する際とても羨ましかった記憶がある」と語っている。 しかし、戦艦大和は停泊してる間、「大和ホテル」と揶揄されたように、艦内設備は3,000人以上の乗員を収容する寝室設備を除いては、旅客機のファーストクラスや娯楽設備がないにせよ豪華客船以上で、エアコン完備、全乗組員を賄う厨房施設もあった。 当時、大和乗組員の食事は高水準であり、ラムネ(艦内製造)、酒、タバコ、甘味などの嗜好品も最後の出撃まで十分与えられた。

士官の食器は⚓マークが入ったノリタケ製などの白い磁器製の洋食器であり、従兵の食器は外面水色の上に青の⚓マークが刻印され、内側が白いホーロー製であった。 食器や盛り付け、食後の紅茶などを含め、給仕する従兵にとって高貴で豪華絢爛に映り、目に留まったはずである。

大和は、ホテルでもなければレストランでもないため、3,000人以上の乗員の一人一人の飯を卵で丁寧に包むことは行わなかったにせよ、海軍では伝統的なチキンライスがあることから、焼いた卵をのせる、また別皿で提供するなど、簡易的なものが従兵にも出された可能性もある。

麦飯

入隊したばかりの新米兵士は「銀めし(白米)を食べたい」という欲求、いわば「銀めし症候群」に陥る中でも、士官は普通に麦飯である。 「偉い人は我々と違って白米を食べている」というような安易な物語はない。 麦飯は長寿で晩年まで活発に政(まつりごと)を行った徳川家康や昭和天皇が生涯にわたって食していたことで知られている。 麦飯を一定期間続けると、煮物や漬物などの素朴な料理を引き立たせる飯になり、その後は不思議に白米から遠ざかる。 また、心身が軽いのが特徴的である。

大和

戦艦 大和

大和(やまと)は、大日本帝国海軍が建造した大和型戦艦の1番艦である。 2番艦の武蔵とともに、史上最大にして唯一46センチ砲を搭載した超弩級戦艦である。建造当初は、世界最大最強の戦艦だった。 大和の艦名は奈良県の旧国名の大和国、あるいは日本の古称・別称・雅称に由来する。 艦名は、明治・大正時代の海防艦よび特務艦であった大和に続いて二代目。

大和は、戦艦として史上最大の排水量に史上最大の46cm主砲3基9門を備え、防御面でも、指揮系統の集中する重要区画(バイタルパート)では対46cm砲防御を施した戦艦であった。 設計はもちろん、ブロック工法の採用など施工においても当時の日本の最高の技術が駆使された。 しかし、その存在で特に46cm主砲の搭載が最高軍事機密であったため、建設時から秘匿に力が注がれ、また完成が数日差ながらすでに戦時中になっていたことや、さらに敗戦前後に設計図含め多くの記録が焼却処分されたためにその姿をとらえた現存写真は非常に少なくなっている。

太平洋戦争(大東亜戦争)開戦直後の1941年(昭和16年)12月16日に就役。 1942年(昭和17年)2月12日に連合艦隊旗艦となった(司令長官山本五十六大将)。 6月上旬のミッドウェー作戦が初陣となった。 1943年(昭和18年)2月、司令部設備に改良が施された同型艦の武蔵がトラック島に進出し、武蔵に連合艦隊旗艦任務を移譲した。 同年末、大和は輸送作戦中にアメリカの潜水艦の雷撃で小破した。 修理・改装後、1944年(昭和19年)6月の渾作戦、マリアナ沖海戦に参加した。同年10月中旬以降の捷一号作戦で、アメリカ軍の護衛空母部隊(タフィー3)に対し46cm主砲砲撃を実施した(レイテ沖海戦)。 1945年(昭和20年)4月7日、天一号作戦において第二艦隊(第一航空戦隊)旗艦として麾下の第二水雷戦隊と共に沖縄方面へ出撃したがアメリカ軍の機動部隊の猛攻撃を受け、坊ノ岬沖で撃沈された。

戦闘詳報による大和の沈没地点は北緯30度22分 東経128度04分。 だが実際の大和は、北緯30度43分 東経128度04分、長崎県の男女群島女島南方176km、鹿児島県の宇治群島宇治向島西方144km、水深345mの地点に沈んでいる。 1985年(昭和60年)7月30日に大和の巨大な艦尾とスクリューが確認され、7月31日に主砲弾や艦首部分の菊の紋章が発見された。

材料(5人前)

  • 精米:1kg
  • 押麦:200g
  • 鶏肉:300g
  • 玉葱:250g
  • 人参:250g
  • バター:15g+15g
  • サラダ油:15g
  • サフラン:少々
  • スープ:3ℓ
  • グリーンピース(缶):少々
  • 鶏卵:10個
  • 胡椒

調理法

  1. 鶏肉は二分角(こまぎれで可)に切る。
  2. 玉葱、人参は小さな賽の目に切る。
  3. 1をバター(15g)とサラダ油(15g)で炒め、塩胡椒で味をつけ、洗った米と麦に混ぜ、サフラン汁を加えたスープで少し硬めに飯を炊く。
  4. 卵2個を1人分として塩で薄味をつけ、バターを敷いて半熟に広げ、手早くチキンライス1人分を木の葉状(舟形)に軽く包む。
  5. 皿に盛り、ケチャップをかけ、塩茹グリーンピースを5粒乗せる。

特徴とポイント

  • 大和では上官の好みに応じて、トマトケチャップ、もしくはケチャップソース(ケチャップとウスターソースを同割で混ぜたもの)をかけていた。
  • ソースの上にグリンピースを奇数個で置く。 大和では日本古来の縁起担ぎから必ず奇数であった。
  • 食後の「紅茶」をセットで提供し、ティーカップにあふれんばかりに注ぐ。 大和では食後は紅茶がよく飲まれており、料理を給仕する従兵は紅茶をなみなみと注ぐ訓練もしていた。

戦艦 大和の料理

関連項目