「戦艦 大和のオムライス」の版間の差分
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麦飯を一定の期間続けると、その後には不思議に白米から遠ざかり、肉じゃがや漬物などの素朴な物を引き立たせる飯になる。 | 麦飯を一定の期間続けると、その後には不思議に白米から遠ざかり、肉じゃがや漬物などの素朴な物を引き立たせる飯になる。 | ||
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2022年3月29日 (火) 00:56時点における版
戦艦 大和のオムライス(Omurice from the Battleship Yamato)は、大日本帝国海軍の戦艦・大和(やまと)の艦内厨房で調理され、士官向けに出されていた料理である。
士官と従兵
当時、従兵で大和乗組員の生存者の証言では「給仕する際とても羨ましかった記憶がある」と語っている。 しかし、戦艦大和は停泊してる間、「大和ホテル」と揶揄されたように、艦内設備は3,000人以上の乗員を収容する寝室設備を除いては、旅客機のファーストクラスや娯楽設備がないにせよ豪華客船以上で、エアコン完備、全乗組員を賄う厨房施設もあった。 当時、大和乗組員の食事は高水準であり、ラムネ(艦内製造)、酒、タバコ、甘味などの嗜好品も最後の出撃まで十分与えられた。
士官の食器は⚓マークが入ったノリタケ製などの白い磁器製の洋食器であり、従兵の食器は外面水色の上に青の⚓マークが刻印され、内側が白いホーロー製であった。 食器や盛り付け、食後の紅茶などを含め、給仕する従兵には高貴で豪華絢爛に映り、目に留まったはずである。
大和はレストランではないため、3,000人以上の乗員の一人一人の飯を卵で丁寧に包むことは行わなかったにせよ、海軍ではチキンライスがあることから、焼いた卵をのせる、また別皿で提供するなど、簡易的なものが従兵にも出された可能性もある。
麦飯
入隊したばかりの新米兵士は「銀シャリ」(白米)を食べたいという、いわば症候群に陥る中でも、士官は普通に麦飯である。 「偉い人は白米を食べている」というような安易で悪代官的な物語はない。 麦飯は晩年まで活発に政(まつりごと)を行った徳川家康や昭和天皇が生涯にわたって食されたことで知られている。 麦飯を一定の期間続けると、その後には不思議に白米から遠ざかり、肉じゃがや漬物などの素朴な物を引き立たせる飯になる。 また、心身が軽いのが特徴的である。
大和
大和は世界最大の戦艦としても知られている。
材料(5人前)
- 精米:1kg
- 押麦:200g
- 鶏肉:300g
- 玉葱:250g
- 人参:250g
- バター:15g+15g
- サラダ油:15g
- サフラン:少々
- スープ:3ℓ
- グリーンピース(缶):少々
- 鶏卵:10個
- 塩
- 胡椒
作り方
- 鶏肉は二分角(こまぎれで可)に切る。
- 玉葱、人参は小さな賽の目に切る。
- 1をバター(15g)とサラダ油(15g)で炒め、塩胡椒で味をつけ、洗った米と麦に混ぜ、サフラン汁を加えたスープで少し硬めに飯を炊く。
- 卵2個を1人分として塩で薄味をつけ、バターを敷いて半熟に広げ、手早くチキンライス1人分を木の葉状(舟形)に軽く包む。
- 皿に盛り、ケチャップをかけ、塩茹グリーンピースを5粒乗せる。
特徴とポイント
- 大和では上官の好みに応じて、トマトケチャップ、もしくはケチャップソース(ケチャップとウスターソースを1:1の同割で混ぜたもの)をかけていた。
- ソースの上にグリンピースを奇数個で置く。 大和では日本古来の縁起担ぎから必ず奇数であった。
- 食後の「紅茶」をセットで提供し、ティーカップにあふれんばかりに注ぐ。 大和では食後は紅茶がよく飲まれており、料理を給仕する従兵は紅茶をなみなみと注ぐ訓練もしていた。