「トマトシチュー」の版間の差分

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'''トマトシチュー'''(とまとしちゅー)は、終戦後の連合国軍占領下(1945年・昭和20年9月2日 - 1952年・昭和27年4月11日)にあった昭和23年(1948年)の学校給食のメニューである。
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'''トマトシチュー'''(とまとしちゅー)は、終戦後の連合国軍占領下(1945年・昭和20年9月2日 - 1952年・昭和27年4月11日)にあった昭和22年(1947年)の学校給食のメニューである。
  
 
== 歴史 ==
 
== 歴史 ==
終戦から2年後の昭和22年(1947年)1月、全国都市の児童約300万人に対し、学校給食が始まり、トマトシチューとミルク(脱脂粉乳)が出された。
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[[File:Food for Japans School Children from the American People.png|thumb|right|200px|アメリカ国民から日本の学童への贈り物]]
トマトシチューはスキムミルクと輸入トマトケチャップが使われ、ミルクはアメリカの無償援助物資である脱脂粉乳が使われた。
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終戦から2年後の昭和22年(1947年)1月、全国都市の児童約300万人に対し、学校給食が始まりトマトシチューとアメリカの無償援助物資であるミルク(脱脂粉乳)が出された。
  
昭和24年(1949年)10月、ユニセフ(国際連合児童基金)から脱脂粉乳の寄贈を受けた。
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昭和24年(1949年)10月には、ユニセフ(国際連合児童基金)から脱脂粉乳の寄贈を受けた。
学校給食に脱脂粉乳が多用された「脱脂粉乳期」の始まりでもある。
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学校給食に脱脂粉乳が多用された「脱脂粉乳期」の始まりでもあり、混合乳に切り替わる昭和37年(1962年)まで続くことになる。
  
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== 特徴 ==
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トマトシチューは、スキムミルクと輸入品のトマトケチャップで作られた。
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当時はとろみのないスープのようなもので具材は味噌汁と同様である。
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味噌汁のようなトマトシチューは無くなったが、現在も一般的な献立として受け継がれている。
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スープ系では[[トマトスープ]]や[[ミネストローネ]]などになっている。
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== 関連項目 ==
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*[[昭和の給食一覧]]
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*[[ハンガリーシチュー]]
 
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2023年4月4日 (火) 23:10時点における最新版

トマトシチュー(昭和22年)

トマトシチュー(とまとしちゅー)は、終戦後の連合国軍占領下(1945年・昭和20年9月2日 - 1952年・昭和27年4月11日)にあった昭和22年(1947年)の学校給食のメニューである。

歴史

アメリカ国民から日本の学童への贈り物

終戦から2年後の昭和22年(1947年)1月、全国都市の児童約300万人に対し、学校給食が始まりトマトシチューとアメリカの無償援助物資であるミルク(脱脂粉乳)が出された。

昭和24年(1949年)10月には、ユニセフ(国際連合児童基金)から脱脂粉乳の寄贈を受けた。 学校給食に脱脂粉乳が多用された「脱脂粉乳期」の始まりでもあり、混合乳に切り替わる昭和37年(1962年)まで続くことになる。

特徴

トマトシチューは、スキムミルクと輸入品のトマトケチャップで作られた。 当時はとろみのないスープのようなもので具材は味噌汁と同様である。

現在

味噌汁のようなトマトシチューは無くなったが、現在も一般的な献立として受け継がれている。 スープ系ではトマトスープミネストローネなどになっている。

関連項目