「駆逐艦 磯波のキュウリの天神和え」の版間の差分

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2022年4月2日 (土) 22:46時点における版

キュウリの天神和え

駆逐艦 磯波のキュウリの天神和え(kyuri no Tenzin Ae from the Destroyer Isonami)は、大日本帝国海軍の駆逐艦・磯波(いそなみ)の主計科が昭和10年(1935年)に第二艦隊で行われた「第二艦隊主計科兵食調理研究週間」で出品した料理である。 キュウリの天神和えは白身魚(イシモチ)の天ぷらに添えられた。

磯波

磯波(いそなみ)は、大日本帝国海軍の駆逐艦。 特型(吹雪型)の9番艦である。当初の艦名は、第43号駆逐艦。艦名は磯に打ち寄せる波から由来し、この名を持つ帝国海軍の艦船としては神風型駆逐艦 (初代)「磯波」に続き2代目にあたる。 浦賀船渠で建造。 一等駆逐艦に類別された。 1928年(昭和3年)8月1日、「第43号駆逐艦」を「磯波」と改名。 同年12月1日、「浦波」、「敷波」、「綾波」と第十九駆逐隊(第二艦隊第二水雷戦隊)を編成した。

日中戦争に際しては1937年(昭和12年)、上海、杭州湾上陸作戦に参加。1940年(昭和15年)には、華南での沿岸作戦に参加した。 太平洋戦争では、南方進攻、ミッドウェー海戦、ソロモン諸島・ニューギニアの諸作戦に参加。その後、南方で海上護衛、哨戒活動に従事した。 1943年(昭和18年)4月9日、船団護衛中、セレベス南東でアメリカ潜水艦「トートグ」の雷撃により戦没した。

材料

作り方

  1. キュウリを薄く小口切りにし、切ったキュウリはボウルに移して、塩もみする。
  2. 全体がしんなりしてきたら、ここに梅酢とトマトケチャップをそれぞれ1:1で入れて、しっかりと全体を和える。

駆逐艦 磯波の料理