赤茄子ジヤム(食道楽)
赤茄子ジャム(あかなすじゃむ)は、明治36年(1903年)に出版された村井弦斎の小説『食道楽・秋の巻』で赤茄子が登場する項である。
註譯
○赤茄子のジャムを長く貯うる法は、弱火にて二、三時間煮るなり。 またそれより取りしシロップへゼラチンを一合に付き二枚の割合に入れ煮て型に入れて冷せば赤茄子の羊かんとなるなり。
第二百三十二 赤茄子ジャム
玉江嬢「私どもでも今年はトマトの苗を買って植えましたが沢山出来過ぎると始末しまつに困こまりますね」お登和嬢「イイエ、赤茄子は沢山あっても決して始末に困りません。
トマトソースを取っておいてもトマトのジャムを拵えておいても、年中何どんなに調法するか知れません。
トマトソースを取りますのは赤茄子を二つに割って水と種を絞って鍋へ入れて弱い火で四十分間煮てそれを裏漉うらごしにして徳利のような物へ入れて一時間ばかり湯煎ゆせんにしてそれから壜びんへ詰めて口の栓を確しっかりしておけば何時いつまでも持ちます。
このトマトソースは大層よく味を出すものですから色々な掛汁そーすに大概は少しずつ入ります。
こうして沢山取っておくと一年中使ってどんなに便利だか知れません。
それからジャムの方は最初から少しも水気を付けないようにして先ず皮を剥むきますが鉄の刃物を使ってはいけません。
西洋人は銀のナイフを用います。
私どもでは竹の篦へらを薄く刃物のようにしてそれで剥きます。
トマトに鉄の刃物を用いると早く腐って味も悪くなります。トマトばかりではありません。
サラダにするチサ菜も鉄の刃物を嫌いますから料理する時はわざわざ手の先でむしります。
トマトの皮を剥いたらば二つに割って種と水とを絞ってトマト一斤きんならば砂糖も同じく一斤の割でザラメ糖か角砂糖をかけてそのまま三、四時間置くと砂糖が溶けてトマトの液しるが出ます。
それを最初は強い火にかけて上へ浮いて来るアクを幾度いくども丁寧ていねいに掬すくい取って三十分間煮てアクがいよいよ出なくなったら火を弱くして一時間煮詰めるのです。
煮詰める時決して掻かき廻まわしてはいけません。
アクを幾度も丁寧に取らないと出来上った時色が悪くなります。
苺いちごのジャムを拵こしらえる時と同じ事で苺へ砂糖をかけて三、四時間置いて今の通りに強い火でアクを取って弱い火で煮詰につめますのに途中で掻き廻わすと苺の形が崩れてしまいますし、アクをよく取らないと色が黒ずんで紅あかく出来ません」玉江嬢「苺のジャムは形のあるのが上等ですかね、悪いジャムを買いますと形が崩れて色が悪くって長く置くとお砂糖が舌へジャリジャリと当ります。
あれは強い火で気短きみじかに煮たのだとおっしゃいましたね」お登和嬢「ハイそうです、アクを取ってしまったら何のジャムでも弱い火で気長に煮ないと後に砂糖がジャリジャリしていけません。
赤茄子のジャムは売物にありませんからお家で沢山拵こしらえておおきなさいまし。
もっとも何ジャムでも菓物くだもの一斤即ち百二十目に砂糖一斤即ち百二十目という同じ割合にしてあるのは砂糖の防腐性を利用して長く持たせるためですから甘味が少し勝ち過ぎます。
四、五日で食べ終るものはモット砂糖を少くしても構いません」玉江嬢「赤茄子のお料理なんぞは直段ねだんが廉やすくって何処どこの家でも出来ますからどんなに調法致しましょう。
世人せじんはとかく西洋料理を高いとか金がかかるとか申していけませんが赤茄子の二、三本も畑へ植えて色々なお料理にしたらこんな廉やすいものはありませんね」お登和嬢「そうですとも。
赤茄子ばかりでありません、牛でも鳥でも魚でも廉やすい材料を使って美味しい御馳走を拵えるのが家庭料理の主意で、先日もイチボの徳用料理をお教え申しましたがイチボより廉い肉で一斤十八銭即ち二斤買っても三十六銭より出ない肉で美味しい料理が出来ますよ」
参考文献
- 『食道楽・秋の巻』:明治三十六年(第二百三十二・赤茄子ジャム)