下等肉(食道楽)

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下等肉

下等肉(かとうにく)は、明治36年(1903年)に出版された村井弦斎の小説『食道楽秋の巻』で赤茄子が登場する項である。

註譯

○本文の如く魚類をシタフェと為すには鯛、黒鯛、鱸、甘鯛等淡泊なる魚をよしとす。 詰物はパンと玉子の黄身と玉葱とを塩胡椒にて味を付け混ぜたるものにてもよし。

○本文記載のビーフ・スカラップは料理したる牛肉の残りを細かに切り別にバターにてメリケン粉をいため牛乳にて溶し塩胡椒を入れて白ソースを作り前の肉を和え、小さき帆立貝か菊形へ入れてテンパンに並べ上へパン粉を振掛けテンピの中へ入れて十分間焼くなり。

第二百三十三 下等肉

 一斤十八銭とは牛肉中の最下等なるべし。それが如何なる料理になるやと玉江嬢「先生、それは何という所です」お登和嬢「これはブリスケといってお腹の一番先にある肉です。シチューにするバラー肉はその両脇にあるのですがこのブリスケは肉が硬くってスープにしても容易に味が出ず、外の料理にも使い道の少ない処で殆ど最下等の肉としてありますが、イチボと同じように硬いだけ肉に好い味を持っています。ブリスケを買う時は脂身の附いている処でないと美味しくありません。それを二斤も買って極く強い塩水へ一晩漬けておきます。翌日塩水から出して深い鍋へ水をあまり沢山でなく入れて、その中へ今のブリスケを入れてホンの少しの塩を加えて弱い火で四時間ばかり気長に煮ます。このまま薄く切ってロースのようにしても食べられますが丁寧にすれば別の鍋へバターを溶かしてメリケン粉を入れて杓子で攪き廻わしながら色の黒く焦こげるまでよくよくいためて、今の湯煮たスープを注してトマトソースを少し加えて塩胡椒で味をつけて今の牛肉をその中へ入れてまた一時間ばかり煮ます。上等にするとその時フライ鍋で人参と玉葱とジャガ芋をよく炒り付けて牛肉と一緒に今のブラウンソースへ入れて一時間も煮ますが、略式にすれば野菜を湯煮ておいて今の牛肉を火から卸ろす二十分前に入れて煮てもよいのです。そこでブリスケが煮えたのですから一旦出して小口から薄く切って野菜とともに皿へ盛って今の煮た汁を裏漉にしてかけて出すとなかなか美味しい御馳走が出来ます。残った肉は涼しい処へ置いて翌日はコールミート即ち冷肉にしてそのままジャガ芋位を附合せにして出してもよし、マイナイスソースで赤茄子とチサとを和えてその肉に添えてサラダにしてもよし、それからまたその翌日は肉が段々硬くなりますから肉挽器械で細かく挽いてコロッケにしてもよし、御存知のドライハッシにしてもよし、シャッパッパイにしてもよし、ジャガ芋で包むリソーにしてもよし、メンチボールにしてもよし、メンチロールといって巻いたものにしてもよし、メンチトースト、メンチポテート、メンチパテー、ビーフスカラップなんぞと残肉料理はまだまだいくらでもあります。西洋料理は一度念を入れて煮ておくと翌日は冷肉でそのまま食べられます。その翌日は残肉料理に使えますから便利で経済です。西洋料理を贅沢だという人は西洋料理の拵え方かたを知らないからです。同じ魚でも西洋料理では下等の魚を上等の御馳走にする事が出来ます。この頃はムツの子が沢山取れて直段も廉いようですがあれなんぞは日本料理にしてあんまり美味しい魚でありません。西洋料理のシタフェにするとなかなか結構に食べられます。シタフェとは魚を背から割て骨を抜き出しておいて、別にムツの子の肉ばかりを取って裏漉にして玉子の黄身一つと水で絞ったパン少しと生の赤茄子半分位と塩胡椒とパセリの細かく切ったのかあるいは葱の細かく切ったのとバター小匙一杯位と皆んなよく混ぜて今の魚の腹へ詰めて、切口をザット木綿糸で縫って上へバターを塗ってテンピで三十分焼くのです。全体このシタフェには甘鯛が第一等で鯛でも鱸でも何でも出来ますが、ムツの子をこうしても中の物の味が魚へ浸みて大層美味しゅうございます」と語る者も聞く者も夢中になりて夜の更くるを忘れたるが父の子爵娘を促し「玉江や、モー十二時だよ」玉江「オヤマア、大変にお邪魔をしましたね」と遂に両人とも暇を告げて辞し去りぬ。

『食道楽』秋の巻・第二百三十三

参考文献