杏仁豆腐

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杏仁豆腐(日本)

杏仁豆腐(あんにんどうふ)

概要

アンズの種子(左下)と杏仁

杏仁豆腐は、中国の東部に位置する江蘇省(こうそしょう)の伝統料理で、満漢全席にも登場する。 主に「甜杏仁」(テンキョウニン)を粉砕し、水で煮た後、冷やして切り分けたもので、豆腐に似ていることからこの名がついた。 ただし、杏仁豆腐は地方によって作り方が異なる。

杏仁は、アンズの果実の核(種子の仁)で、タンパク質が20%含まれ、デンプンは含まれていない。 中国では、甜杏仁は滋養強壮、肺の機能を高める作用があるとされる。 杏仁を正しく摂取することで、滋養強壮や喉の渇きを癒す、肺を潤して喘息を緩和する、腸を滑らかにし、腸ガンを抑制するなどの効果が得られるとされる。 しかし、主に食用とされる甜杏仁であっても、薬用とされる苦杏仁(クキョウニン)であっても、過剰摂取は杏仁に含まれる青酸配糖体(アミグダリン)による中毒を引き起こす原因となるため、水に数回浸して加熱・煮沸してから摂取する必要がある。

杏仁

ファイル:Apricot Kernel - Sweet Almond and Bitter Almond.png
中央から左が南杏、右が北杏
※白いものは薄皮を除去したもの

杏仁は、ホンアンズ(学名:Prunus armeniaca L.)から採れる「甜杏仁」と、アンズ(学名:Prunus armeniaca Linne var. ansu Maximowicz)から採れる「苦杏仁」がある。

これらの杏仁は、中国広東省では南杏、北杏と呼ばれ、一般に甜杏仁は「南杏」、苦杏仁は「北杏」と呼ばれる。 香港では、この二つを総称して「南北杏」とよばれるが、香港の漢方薬局では南杏が主に対して北杏が少量の割合で販売されている。

中国

歴史

杏仁豆腐の起源は、三国時代にさかのぼる。 その時代、董奉(とうほう)という名医がいた。 董奉は三国時代には、張仲景として知られる張機(ちょうき:150年 - 219年)、華佗(かだ:145年 - 208年)とならぶ名医で、漢代には「建安三神医」(建安三神醫)と形容された。

董奉は医術に長けていたが、貧しい患者からは治療費を取ることはせず、その代りに重病から完治した患者にはアンズの苗木を5株、軽度の患者には1株を植えてもらったという。 彼らによって植えられた苗は立派なアンズの林となり、その後、人間的にも優れた名医を「杏林」と呼ぶようになった。

そして、杏仁豆腐は宮廷に伝わり、満漢全席で有名な甘味料理となったのである。

この董奉の伝承は、東晋時代(317年 - 420年)の学者である葛洪(かつこう:283年 - 343年)が著した中国の仙人の伝記集『神仙伝』(神仙傳)に記されている。 この故事にちなみ、中国では「董仙杏林」の名を冠した病院が多い。 また、日本では杏林大学(東京都三鷹市)がある。

日本では国語で学習する「故事成語」(例:矛盾・蛇足・五十歩百歩・四面楚歌など)があるが、「杏林」(きょうりん)とは、名医の美称、代名詞である。

効能

文献

杏花春馆『圆明园四十景图』1744年(フランス国立図書館蔵)

名医別録
名医別録(名医别录)



本草図経
本草図経(本草图经)は、宋代(1061年)に蘇頌(そ しょう:1020年12月16日 - 1101年6月18日)によって編纂された。

杏核仁は今日どこでも見かける。 実はいくつか種類があるのだが、黄色くて丸いものを「金杏」と呼ぶ。 伝承によると、済南郡の分流山で栽培され、人々からは「帝杏」と呼ばれ、今日では多くの種類があり、熟すのが最も早い。 扁平で緑がかった黄色のものは「木杏」と呼ばれ、酢のような味がして、金杏には及ばない。 杏子は薬として使われるが、現在では東方のものが最も優れており、本国で栽培されたものが今も使われている。 山杏は薬に適さない。 5月に収穫され、芯を割って二つの仁を取り出す。

日本

ファイル:Japanese Desserts -(山桃杏仁布甸)Manchinrou Tenshinpo in Yokohama Chinatown, Kanagawa, established in 198.png
山桃杏仁プディング『山桃杏仁布甸』萬珍樓 點心舗(神奈川・横浜中華街)








ギャラリー

  • 明治17年(1884年)創業「聘珍樓 横濱本店」:2022年5月15日に閉店するまで日本最古の中国料理店であった
  • 明治25年(1892年)創業「萬珍樓 本店」:現存する日本最古の中国料理店


日本の中華デザート

関連項目