麻婆豆腐
麻婆豆腐(まーぼーどうふ)は、四川料理の中で「麻辣:マーラー」の特徴を際立たせている代表的な料理の一つである。
基本的な材料は、豆腐、牛挽肉、豆板醤、花椒で構成され、特徴的な香味である「麻:マー」は花椒、「辣:ラー」は唐辛子で醸し出される。 近年、「麻辣」は日本のスラングで、唐辛子の「辛味」と花椒の「痺れ」を合わせて「カラシビ」または「シビ辛」と呼ばれている。
日本も含め、世界的に人気の高い麻婆豆腐は、各地域に順応した辛さに調整したり、現地の調味料でアレンジされることが多い。
歴史
中国
名前の由来
陳麻婆豆腐
陳麻婆豆腐(陈麻婆豆腐)は、清朝の通史元年(1862年)、成都の北にある万富橋で創業し、当初は「陳興盛餐庁」(陈兴盛饭铺)という店名だった。 オーナーの陳春福は早くに亡くなり、小さなレストランはオーナーの妻が切り盛りしていた。 彼女は少しあばたのある顔をしていて「陳麻婆」と呼ばれた。 橋の上には高い欄干が並び、その上には魚を捕るための東屋があり、金と青の色絵が描かれていた。 陳興成の店の主な客は油屋である。 この人たちは、豆腐や牛肉を買って、油籠から植物油をすくい、店主の奥さんに加工を頼むことが多かった。 時が経つにつれ、陳は豆腐のための独自の調理法を開発した。 色も味も満点の豆腐を調理してくれた。 この豆腐が評判となり、陳の料理は有名になった。 また、清の時代には、その魅力を伝える文書が多く残されている。
それを証明する清朝末期の詩がある。 「麻婆陳は今も有名で、豆腐は最高に美味しく焼き、万富橋で幕が動き、紳士は春酒に酔っている」とある。 文人墨客がよく来るんですよ。 店主の奥さんの顔のあばたを見て、陳麻婆豆腐と名付けた善人もいました。 この話が評判になった。 そこで、店名を「陳麻婆豆腐」としたのである。
成都総合ガイドによると、陳麻婆豆腐は清朝末期に成都で有名な食べ物だったそうです。 陳麻婆豆腐は歴代の努力により、現在140年以上にわたって繁栄し、美食家たちから好評を得ています。 文献によると、初期の麻婆豆腐の原料は、植物油と黄牛が特徴的であった。 調理法は、フライパンに大さじ1杯の植物油を炒め、大さじ1杯の唐辛子のみじん切りを入れ、次に牛肉を入れ、水分を飛ばしてカリッとするまで焼き、黒豆豆腐を入れるというものである。 豆腐を加え、少量の水を加えてスプーンで数回よく混ぜたら、鍋に蓋をして弱火でスープを乾かし、食べる前に挽き肉胡椒をふりかける。
1909年、成都人民新聞が発行した『成都総覧』(清朝時代の傅崇儒著)には、宝西園、来唐園とともに「成都名物店」23軒の中に当店と「陳麻浦の豆腐」が掲載されています。 陳麻婆豆腐の歴史は『金城周子記』や『芙蓉十字路』などの書物に記されている。 清朝末期の詩人、馮家児の「金城竹枝の詞」には、「馬坡陳の店は今も有名で、豆腐は最も精妙な味で焼き、万富橋のそばの幕は動き、紳士は春酒で酔っている」とある。 麻婆豆腐は、その知名度から全国に広がり、日本やシンガポールなどの国でも食されています。
抗日戦争時代
戦時中、四川は後背地であったため、中国全土から各界の人々が成都を訪れ、麻婆豆腐を認めた。 そして戦後、中国全土に麻婆豆腐がもたらされた。 陳麻婆四川料理店が成都と四川省を出て大規模に出店したのはこれが初めてで、これにより陳麻婆豆腐は中国全土の人々に認知されたのである。
伝統的な麻婆豆腐を構成する八か条
- 麻:(マー)挽いた花椒のしびれる味
- 辣:(ラー)唐辛子を使った辛味
- 燙:(タン)アツアツの出来たて
- 捆:(クン)餡がからんでいる。 豆腐一切れの上に餡がある
- 酥:(スー)そぼろがサクサクしている
- 嫩:(ネン)食感がねっとりしている
- 鮮:(シェン)新鮮な豆腐を使用している
- 香:(シャン)調味料スパイスの香りを引き立てている
日本
陳健民
赤坂 四川飯店
主な香辛料・調味料・香味野菜
陳麻婆豆腐の基本構成
郫县豆瓣
郫県豆板醤(郫县豆瓣:ピーシェン・ドウバン)は、ソラマメと唐辛子を主原料とした発酵調味料で四川料理には欠かせない調味料である。
郫県は、現在の四川省・成都市・郫都区(ひとく)にあたる。 「豆板醤」という呼称は造語であり、現地では「豆瓣」(ドウバン)である。 日本では近年まで豆板醤は市販品も含め、「赤い」というイメージであったが、料理の鉄人で人気を博した陳健一が「郫県豆板醤」をトレードマークとして用いたことで、プロの使う調味料として、「褐色」の豆板醤の存在が知られるようになった。 伝統的な郫県豆板醤は野外で天然発酵および醸造される。 発酵期間は3~5年で熟成により褐変し、黒みを帯びていることから、通称「黒い豆板醤」ともよばれる。 とても高価であり、生産国の中国といえども庶民が使うことはほとんどない。
伝承によると、明朝末期から清朝初期にかけて、ある渡来人が蜀に向かう途中、飢えを満たすための頼みの綱であるソラマメが絶え間ない雨に打たれてカビてしまったという。 捨てるには忍びなく、畑の畝に置いて乾燥させ、生の唐辛子と混ぜて食べたところ、とても美味しく余韻が長かった。 これが郫県豆板醤の原点といわれている。
豆豉
豆豉(トウチ)は、豆類を主原料とした中国の伝統的な発酵食品で中国料理では風味付けに用いられる。
黒豆や大豆を主原料とし、ケカビ(学名:Mucor/ムコール属)やコウジカビ(学名:Aspergillus/アスペルギルス属)、バクテリアのプロテアーゼ(加水分解酵素)の働きで大豆タンパク質をある程度分解し、塩や酒を加え、乾燥を経て、酵素の活性を抑制し、発酵を遅らせたものである。 豆豉には、原料の種類によって黒豆豉、黄豆豉、味わいによって咸豆豉、淡豆豉、干豆豉和、水豆豉など様々な種類がある。
古来、豆豉は「幽菽」または「嗜」とも呼ばれていた。 最も古い記録は、漢の時代の劉 煕(りゅう き)の著書『释名·释饮食』にあり、「五味の配合を必要とする」(五味调和,需之而成)と記されている。 紀元2世紀から5世紀にかけての『食经』にも「豆豉の作り方」(作豉法)が記されている。 古代人は豆豉を調味料としてだけでなく、薬としても利用し、非常に重要視していた。 効能は風邪・インフルエンザ(治傷風感冒)、悪寒発熱(惡寒發熱)、発熱後の頭痛・鼻づまり(頭痛鼻塞治熱病後),不安、気の昂ぶり、いらだちによる不眠(虛煩不眠)、血尿の治療(可治血尿)、血液をサラサラにする(抗凝血)など。
豆豉は『漢書』(汉书)、『太史公書』(史记)、『斉民要術』(齐民要术)、『本草綱目』(本草纲目)などにも収録され、その生産の歴史は秦の時代以前にさかのぼることができる。 記録によると、豆豉の生産は江西省太和県から広まり、その後、他の地域や海外にも広がり発展・アレンジされた。
江戸時代中期に、寺島 良安(てらしま りょうあん)によって編纂された『倭漢三才圖會会』(わかんさんさいずえ)によれば、日本では古来より納豆が生産されてきた。 「納豆」という用語は、平安時代の11世紀半ばに初めて登場し、藤原明衡(あきひら)の『新猿楽記』(しんさるがくき)に記録されている。
日本の京都の大徳寺、天龍寺、一乗寺、静岡の大福寺など日本の一部の仏教寺院や周辺の民営の食品会社でも製造しているが、これは宋の時代に中国から伝わり、日本では「唐納豆」「寺納豆」「塩辛納豆」とよばれ、「納豆」という語源となった。 京都の「大徳寺納豆」、静岡県浜松市付近では「浜納豆」が有名である。 また、京菓子の「甘納豆」は大徳寺納豆から付けられているが発酵食品ではない。 「納豆」は現在では、一般的な大豆発酵食品の「糸引き納豆」を指す言葉として使われ、日本独自の食品となっている。
唐納豆、寺納豆、塩辛納豆と呼ばれるものは、主に酒肴としてそのまま食べるか、粥や茶漬けと一緒に食べるのが一般的だが、懐石や日本料理では先付(さきづけ)、八寸(はっすん)、塩味や風味の加味、または忍ばすものとして用いられることもある。 豆鼓と同様に調味料として使うこともできるが一般的ではない。
朝天干辣椒
朝天干辣椒(チョウテン・ガン・ラージョウ)は、四川特産の朝天唐辛子(朝天辣椒:チョウテン・ラージョウ)を乾燥させたもので、刻んだり、粗い粉末、細かい粉末にされ、料理に使われる。 フレッシュな生の状態で使われることも珍しくはない。
朝天(空に向う)という名から、文字通り果実が上向きに実るタイの「プリッキーヌ」や沖縄の「島唐辛子」、食用および観賞用の「五色唐辛子」などのタイプと混同されることが多いが、それらとは異なり果実の形状は細長くはなく、丸みがあり、ハバネロに近い。 辛くはあるが、含まれる油脂が多く、コクがあり香りが高いのが特徴。 音楽で例えるなら、プリッキーヌのタイプは高音の旋律であり、四川唐辛子は厚みのあるユニゾンである。
効能としては、唐辛子に含まれる「カプサイシン」により、脳内で機能する神経伝達物質である「エンドルフィン」を放出し、ストレスを和らげ、新陳代謝を高めることで脂肪を燃焼し、老廃物の蓄積を防ぐことで美肌とスリムな体型を維持する効果が知られている。 それにより、悪玉コレステロールおよび低密度リポタンパク質(LDL)、トリグリセリド(TG)の値を下げ、血液循環を促進し、中性脂肪による高脂血症、心臓病や脳卒中を予防する。 他には風邪、胃腸風邪、脾臓と胃の強化、動脈硬化、夜盲症、壊血病の予防にも有効とされる。
感覚的に実感しやすい効能としては、寒い時期に食事と一緒に摂取することで体を芯から温め、寒さを散らす「溫中散寒」(おんちゅうさんかん)である。 また、唐辛子は口径摂取しなくても、身体を温める作用がある。 唐辛子が日本に伝来した後であるが、かつて極寒の山中や峠を藁靴で越える人々や日本軍が雪中を行軍する上で、靴や靴下の中に唐辛子を忍ばせることで懐炉(近年でいうホッカイロ)のような役目を果たした。
花椒粉
花椒粉(ファージョウフェン)は、ミカン科サンショウ属カホクザンショウ(学名:Zanthoxylum bungeanum)の果皮を乾燥し、粉末にした香辛料である。 カホクザンショウ(華北山椒)は和名であり、英名では四川の胡椒を意味する「Sichuan Pepper」と呼ばれる。
伝統的な四川料理では代表的な香辛料として多用される。 唐辛子と合わせて麻辣(マーラー:しびれる辛さ)と呼ばれる味わいを出す代表的な料理では麻婆豆腐や重慶火鍋などがある。
口径摂取すると花椒に含まれる「ヒドロキシαサンショール」により、舌に50ヘルツの振動、または9ボルトの微弱な電流を与えた状態と同様のピリピリとした痺れるような麻痺効果もたらし、一緒に味わうものや直後に味わう他の味を変化させる作用がある。
花椒は、漢方薬として中華人民共和国薬局方に収載され、腹痛、歯痛、湿疹などさまざまな疾患に処方されてきたが、エビデンスに基づく西洋医学では、適応症や使用例が認められていない。 しかし、研究により、モデル動物や細胞培養において、鎮痛作用、抗炎症作用、抗菌作用、抗酸化作用を持つことが明らかになった。 現在、ウサギを用いて胃腸障害、呼吸器障害、心血管障害の治療に対する可能性について実験・研究がなされている。
四川料理の人気に伴い、花椒の栽培面積と生産量は飛躍的に増加した。 日本でも本場の味の求める人々が増えてきたことで、日本市場でもシェアを伸ばし、2018年で約1億円となり、それまでの4年間で2倍以上に拡大した。 主にチベット南東部から江蘇省、浙江省の沿岸部、平野部から青海省の標高2,500mの高山地帯などで栽培されているが、海南省や広東省では生産されていない。
青蒜苗
青蒜苗(チィン・スワンミャオ)または蒜苗(スワンミャオ)は、ニンニクの苗がある程度成長した青ネギ状の苗のことで、日本では「葉ニンニク」と呼ばれている。
葉ニンニクは、1997年(平成9年)12月19日に発売されたグルメ漫画『美味しんぼ』第64巻の第1話「麻婆豆腐の秘密」に登場したことで、ある一定の人々に知られる存在となったが、日本国内のマーケットでは、ニンニクとニンニクの芽が主流であり、未だ日本国民の多くに知られている食材ではなく、慣れ親しんでいる食材でもない。
一般的に多く用いられるニンニクの鱗茎部位と同じ風味はあるが、辛味はそこまで強烈ではなく、ネギやニラのように食すことができる。 栄養価としては、ビタミンCの他、たんぱく質、カロテン、チアミン(ビタミンB₁)、リボフラビン(ビタミンB₂)などの栄養素が豊富に含まれている。 ニンニク特有の風味は、主にアリシンによるもので、老廃物の蓄積を防ぐ効果があることが知られている。 また、インフルエンザや腸炎、環境汚染によって引き起こされる病気や感染症予防にも効果的である。 葉ニンニクには、心血管および脳血管に対して一定の保護効果があり、血栓の予防や、同時に肝臓を保護する効果があるとされる。
山東省臨沂市などで大規模に栽培されており、その経済効果は大きい。 また、培地を択ばない栽培法も多く公開されていることで、中国では自家消費のために家庭菜園やベランダなどでも気軽に栽培されている。
老抽
老抽(ラオチョウ)は、陳年醬油、濃醬油とも呼ばれる大豆と小麦粉を主原料とした中国醤油の一種である。 台湾の醬油膏に似て、濃い色と光沢、そしてコクがあり、濃厚で甘く、塩辛くない風味が特徴。 「老抽」(古いエキス)という名前が示すように、淡口の生抽(サンチョウ)と比べて熟成期間も長い。 砂糖や甘草などの甘味料、カラメル、でん粉などが加えられる場合もある。
用途は料理に塩味を与えるためではなく、主に色と風味を加えるための調理用として使われ、日本の刺身醤油のように直に使うことはない。 煮物や炒め物、ソース、赤褐色に仕上げる「紅燒」(醤油煮込み)など、色や照りが必要な料理に使われる。 通常の醤油で料理に醤油の風味と色を与えるために4、5滴必要な場合、老抽は1滴で十分とされる。
黄酒
黄酒(ホアンチュウ)は、中国特有の酒で3,000年前から醸造されている酒である。 米を主原料とし、3年以上長期熟成させたものは老酒(ラオチュウ)とよばれる。 もともとは浙江省、湖北省の房県(房县)、江蘇省の南通市が産地で、紹興酒はその代表格であり、これらの地域は今でも黄酒の主要産地の一つである。 明・清時代には、穀物を大量に消費する黄酒は禁酒令が出され、個人的に醸造することだけが許され、酒として市場で取引されることはなかった。
料理酒には浙江紹興酒が最高とされ、中国料理の多くのレシピには、紹興酒が使われており、レストランや家庭にとって欠かせない調味料となっている。 アミノ酸の含有量はワイン1600ppm程度に対し、紹興酒は5000ppmと非常に高い。 料理における紹興酒の主な役割は、「生臭さを取り除く」「料理に色艶と風味を与える」「料理を美味しくする」「料理の食感を柔らかくする」などがある。
地域や店により追加されるもの
红油豆瓣
紅油豆板醤(红油豆瓣:ホンユー・ドウバン)は、発酵期間が短い豆板醤で、オイル漬けによって保存性を高め、鮮やかな赤い色を保持する効果がある。 また、このオイル自体も紅色を帯び、辛味のある油である。 長期熟成の郫県豆板醤のまろやかでコクのある辛味に比べ、エッジの効いた辛味が特徴。 麻婆豆腐などの料理に郫県豆板醤と紅油豆板醤をブレンドして使う名店もある。 郫県豆板は加熱して使用されるのがほとんどだが、紅油豆板醤はそのままの状態でタレやソースに使われる。
甜面酱
酒酿
辣椒油
辣椒油(ラージャオユー)
花椒油
花椒油(ファージョウユー)
蠔油
蠔油(ハオユー)は、日本語では牡蠣油(かきあぶら)、一般的にオイスターソースとよばれ、蒸し牡蠣や煮牡蠣の濃縮汁や生牡蠣を加水分解して抽出した牡蠣エキスと砂糖、醤油、酢、でんぷん、カラメルなどで調整した調味料である。 褐色で粘度があり、醤油に比べ旨味成分が多く、豊かな風味とコクは主にグルタミン酸とリボ核酸で構成されている。 オイスターソースは調味料としてだけでなく、豊富な栄養素が含まれ、最も重要な栄養素は、アミノ酸、亜鉛、タウリンである。 最大22種類のアミノ酸と、体内で合成できず食品から摂取する必要がある8種類の必須アミノ酸が含まれている。
日本では中華料理の他に「おでん」などの出汁にも使われる。 1923年(大正12年)創業のおでん屋「日本橋 お多幸本店」の名物である「とうめし」は、茶飯(お茶ではなく、おでん出汁と醤油で薄味に炊いたもの)に濃い出汁が染みた豆腐を大胆にのせたものである。 店のレシピは秘伝だと思われるが、再現レシピの多くにオイスターソースが使われている。
オイスターソースの起源については諸説あるが、大手調味料メーカー「李錦記」の創業者である李錦驤(リキンショウ)が発明したという説が有力で、中国の広東省から広まったとされる。
伝説的な逸話では李鑑驤がオイスターソースを発明したのは偶然で、店の客に牡蠣を焼くはずが、コンロの火を消し忘れ、牡蠣の白い煮汁が鍋の中で濃縮されて褐色になったと言う話である。
もう1つの説は、李锦裳は母の死後、村人の勧めに従って、昼は牡蠣を採取し、夜はそれを煮て牡蠣油を作り、販売したとも言われている。 広東省南水は昔から牡蠣が有名で、当時、南水には牡蠣を煮て牡蠣油を売ることで生計を立てている家庭がいくつかあったが、その中でも李錦驤の牡蠣油は適切に煮詰められ、適度な濃度であった。 彼は温厚で近所の人たちにも好かれ、気前のよい人物だったため、広東省江門市、石岐区(広東省中山市)、広州市(香港)、マカオ(マカオ特別行政区)から多くの商人が訪ねて来たという。
上記のような諸説の中で、李錦驤はこの機会をつかみ、新しい調味料を製造して販売することを思いつき、1888年に広東省珠海市(南水鎮)で「李錦記蠔油庄」を正式に設立。 1902年、火災により南水の街の半分が焼失し、その影響で店舗も焼失した。 李錦驤は家族でマカオに渡り、やはりオイスターソースを扱って生計を立て、広東省と香港に流通網を確立した。 1922年、李錦驤が亡くなり、李錦記は息子の李兆南に引き継がれ、1932年に香港に支店を開設し、本社を香港に移した。
XO酱
XO酱(エックスオージャン)は、干し貝柱(干貝)、世界三大ハムの一つである金華ハム(金華火腿)、干しエビ(蝦米)を主体とした香港発祥のピリ辛調味料。 英語ではX.O.チリソース。 名称はブランデーの最高級品質を表す「X.O」(エクストラ・オールド)にちなむ。
起源については諸説あるが、1986年、料理研究家の談錫永(通名:王亭之)が、ペニンシュラホテルの「嘉麟楼」の顧問を務めた際、「馬拉盞醬」をアレンジして現在のXO醤に改良したという説が有力である。
XO醤が名を馳せた当時、日本の多くの料理人が憶測でブランデーを用いて自家製XO醤(ブランデー入り海鮮醤)を作り、メディアでは「ブランデーを使用した高級調味料」として紹介されたが、「X.O」は高級の意味合いで引用したものであり、実際にはブランデーは使われていない。
沙茶醬
沙茶醬(サーチャージャン)
清の時代、南方へ渡った潮州の祖先が「サテ」を持ち帰り、改良されて家庭の炒め物に広く使われている。 沙茶醬は牛肉火锅や牛肉粿条に必須のソースで、潮州料理の味のトレードマークとなった。 サテが潮山を経由して台湾に伝わった後、沙茶牛肉鍋は台湾の小吃の名物になった。
淡水虾皮
淡水蝦皮(淡水虾皮:ダンシュイ・シァピー)は、湖や河川などの淡水域に生息する小型のエビを殻ごと干したもの。
特産地には、湖南省、山東省、浙江省、遼寧省、広東省、江西省、広西チワン族自治区などがあり、養殖もされている。 東南アジアの伝統的な調味料「シュリンプペースト」(海老の塩漬け)のような発酵臭はなく、無塩加工がほとんどである。
葉物の炒め物や炒飯、スープなど用途は多岐にわたる。 海産の中型、大型のエビと異なり、強いエビの風味で料理を占拠することなく、香ばしさと海老のほのかな風味を与える。
花椒籽
花椒籽(ファージョウ・ズー)は、中国料理の代表的な香辛料である花椒(ファージョウ)の種子である。 花椒は香辛料であるだけでなく、漢方の一種でもある。 「温中行气」(脾胃を温め、気の巡りをよくし気の巡りを改善する)、「散寒止痛」(寒さを払い、痛みを和らげる)などの効能がある。 黒い種子である花椒籽は食用になる。
α-リノレン酸、ペッパーオレオレジン、ペパリンなどが豊富に含まれている。 また、タンパク質や、カリウム、マンガンなどの各種ミネラル成分、高い栄養価や薬効があり、血中脂質のバランス、脳や目の健康、殺虫、かゆみの緩和などに効果がある。 しかし、花椒籽は食感が硬く、そのまま使われることは少ない。
主な用途例は以下である。
花椒籽には油脂が豊富に含まれるため、調味油である「花椒籽油」(ファージョウズーユー)を作るために使用される。 中華鍋に少量の油を入れて熱し、花椒籽を入れ、黒くなるまで香ばしく炒めたら種を取り出し、油を容器に移す。 料理に用いることで生臭みがとれ、香りが増す。 通常の炒め物やサラダなどの冷製料理に使うことができる。
花椒籽は花椒ほど風味は強くないが、花椒粉のように香辛料を作るために使用される。 花椒籽を乾燥させ、挽いた粉末は「花椒面」(ファージョウメン)と呼ばれ、料理に加えることができる。
花椒籽は中国料理で「炒干吃」(チャオガンチー)または「干吃」(ガンチー)とよばれる技法で調理され食される。 中華鍋に油をひかず、花椒籽を弱火でじっくりとカラカラになるまで香ばしく乾煎り(からいり)してから取り出す。 花椒籽はそのままの形状で食されることが少ない中、食欲増進・消化促進に効果があるとされ、そのまま食される。
籐椒粉
藤椒粉(タンジャオフェン)は、ミカン科サンショウ属イヌザンショウ(学名:Zanthoxylum schinifolium Sieb. et Zucc.)の果皮を乾燥し、粉末にした香辛料である。 イヌザンショウ(犬山椒)は和名であり、英名はない。 中国では「籐椒」の他、竹叶花椒、秦椒、万花针、白总管、竹叶总管とよばれる。 緑色のため、日本料理に使われる山椒(学名:Zanthoxylum piperitum/英名:Japanese Pepper)と混同されがちだが、種は異なる。
藤椒は調味料や薬用のほか、芳香性防腐剤として使われたことが知られている。 湖南省長沙市郊外にある西漢王朝(紀元前477~177年)の古墳「馬王堆漢墓」(马王堆汉墓)や他のいくつかの古墳からも出土したことから、防腐剤に使われた可能性が高い。 また、これは中国では少なくとも2100年前から藤椒を使っていたことを示唆している。
根、茎、葉、果実、種子のすべてが漢方薬として利用される。 「祛风散寒」(風寒の邪を体表から発散させる)、「行气止痛」(気の流れを促進し、痛みを和らげる)などの効能がある。 また、リウマチ性関節炎、歯痛、痛みを伴う打撲や腫れの治療にも使用される。
藤椒も花椒も同じサンショウ属に由来する調味料として使われる。 また、藤椒は花椒の代用品として使われることもあるが、機能的な効果は異なる。 藤椒は花椒や麻椒に比べると痺れるような刺激が少なく、爽やかな風味が特徴で、日本の「ちりめん山椒」のように丸のまま食したり、籐椒油(タンジャオユー)に加工される。
五香粉
五香粉(ウーシャンフェン)は、中国では広く料理に使われている一般的な香辛料である。 中国の食文化における「酸味」(酸:スゥアン)、「甘味」(甜:ティェン)、「苦味」(苦:クー)、「辛味」(辣:ラー)、「塩味」(咸:シェン)の五つの味覚である『五味』(ウーウェイ)に対応し、文字通り5種類のスパイスを調合しているため、その名がついた。
五香粉の基本的な材料は、花椒、八角、桂皮、丁香、小茴香で構成されているが、スパイスの比率も作り手によって異なる。 主な香りを支配するフレイバー、またはトップノート(最初に感じる香り)は八角、桂皮が主体である。 五香粉は中国料理において完成された総合的調合スパイスであるが、それを構成する一つのスパイスのみを料理に用いることも例外ではない。 また、地域によってそれらのスパイスが入手しにくい場合、代用として薑黃(ウコン)、豆蔻(カルダモン)、甘草(カンゾウ)、胡椒(コショウ)、陳皮(チンピ)などを使ったレシピもある。
五香粉は脾胃の機能を正常にして脾胃を温め、抗炎症、利尿の効果があり、体の抵抗力を高める効果があるとされる。
八角
八角(バージャオ) 中国北部の伝統的な家庭料理である肉の煮込み(炖肉)に花椒と八角は欠かせない香辛料である。
桂皮
桂皮(グイピー)
丁香
丁香(ディンシャン/学名:Syzygium aromaticum)または丁子香(ディンズーシャン)は、フトモモ科の樹木であるチョウジノキの花蕾(からい)を乾燥させたもので、英名ではクローブ(Clove)、日本では丁子(ちょうじ)として知られている。 英名のクローブも仏名のクルゥ(Clou)も 釘(くぎ)に由来する。
中国では「公丁香」と「母丁香」に分けられるが、料理の風味や香りを高めるために主に使用されるのは、一般的に広く知られている釘状の形状をした公丁香である。 丁香は中国の代表的な調合スパイスである「五香粉」や日本の国民食である「カレーライス」のスパイスの原料にもなっている他、飲料(インドのチャイなど)や菓子にも使われる。 また「公定香」という名で漢方薬として薬用にも利用される。
かつて、丁香は「鸡舌香」(チーシゥーシャン)ともよばれ、現在もしばし用いられる。 『魏武帝集』によると、曹操が諸葛亮へ宛てた手紙には「今、感謝の印に鸡舌香5斤を捧げます」という内容が記されていた。 鸡舌香は、唐の時代(618年~ 907年)にはインドネシアから輸入され、料理や酒、丁香油の製造に使われた。 宋の時代(960年~1279年)、丁香は公丁香と呼ばれ、皇帝の前で大臣が演説する際、口臭を消すために口に含んでいたとされる。 現在でも1~2個の丁香を口に含む方法は口臭を治すために非常に効果的とされ、利用されている。
漢方医学では、具有温中降逆(体の中枢を温めて上った気を下げる)、补肾助阳(腎を補い、温める力を高める)などの効果や温胃(胃を温める)作用があり、寒邪による胃痛、嘔吐、呃逆(しゃっくり)、腹痛、下痢などに効果があるとされる。 他には、歯痛や口内炎の治療にも有効とされる。
経済的用途としては、葉巻や香水の香料として使用される他、各種歯磨き粉や歯科用洗浄剤に使用され、害虫駆除剤としても使用されている。
公丁香と異なる形状をした「母丁香」(ムーディンシャン)に含まれる油脂は強い抗真菌・抗カビ作用を持ち、冬場に果実を貯蔵するための天然の防カビ剤として利用できる。 また、煎じ薬は、結核菌、チフス菌、赤痢菌などの病原菌に対して大きな抑制効果があり、これらの病原菌によって引き起こされる病気を治療することができるとされる。
丁香油は、冬に流通するナツメ「冬枣」(ドンザオ)の抗カビ剤として腐敗を著しく抑制し、0℃~25℃の保存条件でフェニルアラニンアンモニウムリアーゼ(Phenylalanine ammonia-lyase/EC番号:4.3.1.24)、ポリフェノールオキシダーゼ(Polyphenol oxidase/EC番号:1.10.3.2)、ペルオキシダーゼ(Peroxidase/EC番号:1.11.1.x)などの総含有量を長期間にわたり高レベルに維持することがわかっている。 他には母丁香に含まれる酢酸エチル抽出物には強い殺ダニ作用がある。
茴香
茴香(ホイシャン/学名:Foeniculum vulgare)は、別名「甜茴香」、漢方では「小茴香」、古くは「蘹香」と呼ばれるセリ科ウイキョウ属の顕花植物の一種である。 日本では「ウイキョウ」、英名ではフェンネルとよばれ、世界で広く利用されている。 香りは茴香に含まれる芳香族化合物のアネトール(Anethole)による。
中国の歴史上で最初の記録は唐王朝が公布した『唐本草』または『唐新修本草』と呼ばれる文献に記されている。
茴香という名称の由来は唐の時代にさかのぼる。 長安は東洋文明の中心地として、多くの外国人が勉強のため訪れ、生活していた。 その頃、ペルシャ(波斯)の王女が唐の皇帝に嫁いでいたが、王女はホームシックにかかり、毎日気分がふせっている状態だった。 これを見た皇帝は、姫を草原に連れて行き、乗馬させて疾走させ、姫を大いに喜ばせた。 そして、草原で従者が子羊の丸焼きを皇帝と王女に差し出し、一口食べた王女は「肉は美味しいが、故郷に比べると香りが弱い気がする」と言ったという。 皇帝の側近の賢い侍従が「ペルシャの商人は肉を焼くときに必ず草の種のような香辛料を入れるのを見たことがある」と言った。 そこで皇帝は再び肉を焼くように命じ、姫はスパイスの効いた子羊を味わい、「これぞ故郷の味」と嬉しそうに言ったという。 皇帝はその香辛料は何かと尋ねたが、誰もその名前を知らず、皇帝はその味は姫が故郷に帰ったような気持ちにさせてくれるため「回乡吧」とよんだ。 長い年月を経て、この種子の名称は茴香として受け継がれた。
茴香の種子は中国の代表的な調合スパイスである「五香粉」や日本の国民食である「カレーライス」のスパイスの原料にもなっている。 また、ビタミンB1、ビタミンB2、ビタミンC、ナイアシン、カロチン、セルロースが豊富とされ、花や鱗茎を含む全草が食用となり、茎と若葉は野菜として、水餃子(水饺:シュイチャオ)、焼きパン(面饼:ミェンビン)、蒸しパン(包子:パオズ)などに入れられる。
茴香は調理の上で肉の臭みを取り、香りを補う調味料としてもよく使われる。 胃腸の神経血管を刺激し、消化液の分泌を促進し、胃腸の蠕動運動を活発にし、健胃作用があるとされている。
芫荽
香菜(シャンツァイ/学名:Coriandrum sativum)は、セリ科の独特の香りを持つ一年草の植物で、葉、茎、根を含めた全てが食用となる。 英語ではコリアンダー、または中国料理に多用されることから、中国パセリ(Chinese parsley)とよばれる。 これは、あくまで形容であり、パセリ(学名:Petroselinum crispum)は、コリアンダーと同じセリ科(Apiaceae)ではあるが種は異なる。
日本では近年、タイ料理の認知度が高くなり、「パクチー」という名で知られるようになったことで、「香菜=エスニック料理」と思われがちだが、中国では広く料理に使われている一般的なハーブである。 日本へは10世紀以前に中国から伝わった。
西漢王朝の時代の紀元前119年に張遷(ちょう けん)によって中国に伝えられ、中国全土、特に華北地方で多く見られ、四季を通じて栽培されている。 香菜は耐寒性のある野菜で、冷涼で湿潤な環境条件を必要とし、低温、長日植物である。
栽培技術や用途については、北魏の官吏であった贾思勰(賈思勰:かしきょう)が、533年から544年にかけて著した『齐民要术』(斉民要術:せいみんようじゅつ)に記録されている。 斉民要術は世界農学史上で最古の農業専門書であり、中国古代農業・畜産に関する著作の中で最も保存状態の良いものの一つで、紀元6世紀の中国黄河下流域における農業、園芸、林業、蚕業、畜産、獣医学、交配、醸造、調理、備蓄、荒地管理などの技術を集めたものである。
中東、地中海、インド、中南米、台湾、中国、東南アジアの料理によく使われるほか、薬用としても利用されている。 効能は、温性で辛味があり、発汗・発疹、食物の排除・気の低下、脾臓の覚醒・中焦を調和させる働きがある。 また、辛味、上昇性、分散性があり、胃腸の蠕動運動を促進し、開胃と脾臓の覚醒を助け、中焦を調和させる。 コリアンダーエキスには、発汗、清熱、浸透性の発疹という優れた働きがあるとされる。
麻婆飯・麻婆丼
麻婆豆腐燴饭
麻婆豆腐燴饭(マーボードウフ・フイファン)は、日本の麻婆飯・麻婆丼のようなもので、麻婆豆腐そのものが中国発祥であるため、中国でも決して珍しくない。 「燴」とは、とろみをつける、あんかけにするという意味で「燴饭」はそれをご飯にトッピングしたものである。 主に安価なレストランやファーストフード店、屋台のメニューであり、一般的にスープとセットで供じられる。 しかし、日本と同じくレストランや家庭において様々な料理をご飯の共とする場合は別で食される。
日本では牛丼を主力とする吉野家をはじめ、多くの日本のファーストフードチェーンが中国へ進出している。 中国で牛丼は認知度も高くなり、麻婆豆腐と合わせた「麻婆豆腐牛肉饭」もあるが、麻婆丼にあたる「麻婆豆腐饭」や麻婆茄子丼「鱼香茄子饭」もある。
また、日本国内でも知られる多くのコンビニチェーンも中国へ進出しており、麻婆丼に近いスタイルの弁当が売り出されている。 上海のローソン(罗森)では、25周年を記念してザリガニ(小龙虾)を使用した「小龙虾麻婆豆腐饭」が販売された。
これら中国のファーストフードやコンビニを含める麻婆豆腐は、あくまで中国の人々が慣れ親しんでいる本場のテイストで作られている。 しかし、中国内において「丼」という形式で食する場合、しばし日本のスタイルを現す「日式」を冠して紹介されることがある。
麻婆丼
麻婆丼(まーぼーどん)は、ご飯と麻婆豆腐を共に丼で食する料理だが、カレーライスのように皿に盛りつけたものも麻婆丼とする店もある。
近年、日本でも本場の味を求める人々が増え、花椒などを使った麻婆豆腐を提供する店も多くなったが、麻婆丼に比べ、定食が一般的である。 麻婆丼は、ファーストフードや町中華などでは庶民的なメニューであるが、コース料理を主体とする中華街などの店ではランチメニューを含めても提供する店は比較的に少ない。 だが、日本で麻婆丼は「丼物」の一種として完全に認知されており、「麻婆豆腐の素」なども市販されているため、多くの家庭や個人で気軽にアレンジを含めて作られている。
2022年11月15日、松屋は富士の伏流水を使用した自社製豆腐をまるごと一丁使ったシビ辛メニュー「富士山豆腐の本格麻婆めし」を発売した。
麻婆麺
麻婆春雨
螞蟻上樹
螞蟻上樹(蚂蚁上树:マーイーシャンシュー)は、肉末粉条(ロウモーフェンティアオ)とも呼ばれる伝統的な四川料理の一つで、四川省や重慶市周辺では非常に一般的な料理である。 料理名の由来は、春雨の表面に挽肉の粒が絡みつき、アリが枝を這うように見えることにちなむ。
主要となる食材は中国春雨(粉条:フェンティアオ)と豚ひき肉、調理にはニンニク、生姜、豆板醤、醤油、料理酒、チキンスープ、生唐辛子、青ネギなどを用いる。
麻婆春雨
麻婆春雨(まーぼーはるさめ)は、大手食品メーカーの永谷園(ながたにえん)が開発したものである。 1979年(昭和54年)9月初旬、当時の社長で永谷園の創業者である永谷嘉男は当時の開発企画室長であった能登原隆史を社長室に呼び、「当社は、次に何を開発するかという点が弱いと感じている。そこでこれからの2年間、食べたいものを食べ、行きたいところに行き、とにかく“ぶらぶら”して新商品のアイデアを考えることに専念して欲しい。出社は自由。経費は使い放題。報告書も不要だ」という異例の辞令を出し、前代未聞の社内制度「ぶらぶら社員」が誕生した。 その後、計画を立てて永谷嘉男に行動計画書を見せた際「なんだこんなもの。スケジュールで動いちゃダメだ。もっと気楽にぶらぶらしてこい。」と一蹴されたという。 それから国内はもとより海外にも広く足を運び、様々な料理を食べ歩く放浪の旅をすることとなった。 ぶらぶら社員になって2年になろうとする頃、中国の食堂でこってりしたスープを飲んだ際、ご飯に合う可能性と春雨との組み合わせをひらめき、日本へ帰国。 早々に販売へ向けての試作と商品開発を行い、「ぶらぶら社員制度」発足から2年後の1981年(昭和56年)11月に「麻婆春雨」が誕生した。
麻婆春雨は、永谷嘉男が世に送り出した「お茶づけ海苔」、「松茸の味お吸いもの」「すし太郎」と並ぶ、新たなヒット商品となり、日本中に「麻婆春雨」という名前も浸透し、現在では家庭料理や中華料理の定番となっている。 また、中国でも日式中国料理の一つとして知られるまでになっている。
麻婆茄子
魚香茄子(四川)
魚香茄子(鱼香茄子:ユィシャン・チェズ)は、日本の家庭料理でも作られる『麻婆茄子』の原型料理であり、四川料理の主要な伝統的料理の一つである。
「魚香」を冠する料理名だが、魚に由来するものではなく、赤唐辛子の塩漬け(泡红辣椒:パオラージャオ)、ネギ、ショウガ、ニンニク、砂糖、塩、醤油などの調味料によるものである。 この調理法は、四川省独特の魚の調理法に端を発し、現在では四川料理に広く用いられており、塩味、酸味、甘味、辛味、香りを持ち合わせた新鮮で豊かな風味を特徴としている。
港式魚香茄子(香港)
港式魚香茄子(港式鱼香茄子:ガァンシィー・ユィシャン・チェズ)は、香港でアレンジされた魚香茄子である。
従来、「魚香」(ユィシャン)とは四川料理の調理法を指しているため、魚香茄子は魚香の調理法を用いて豚挽肉と茄子を調理したものであり、実際には具材に魚は使っていない。 しかし、広東省や香港では文字通り、魚の香りを際立たせるために、鹹魚(広東語:ハムユイ/塩漬した魚)を刻んだものを加え、塩辛い風味を楽しむ。 また、辛味は餡ではなく唐辛子を用いる。
麻婆茄子
麻婆茄子(まーぼーなす)は、四川の伝統的料理である魚香茄子(鱼香茄子:ユィシャン・チェズ)を基に日本でアレンジされた料理である。
1984年(昭和59年)、大手食品加工メーカーの丸美屋(まるみや)は、麻婆を基に日本人の味覚に合わせ、家庭でも食べられる調味料として「麻婆茄子の素」を販売し、日本中に「麻婆茄子」を浸透させた。 この商品は赤味噌と醤油をベースに豆板醤などの中国の味噌も配合したものである。 その後にCook Do(味の素)から麻婆茄子用の中華合わせ調味料が販売された。 丸美屋の麻婆茄子のフリガナは「マーボーナス」、Cook Doの麻婆茄子のフリガナは「マーボチェズ」となっている。
その他の豆腐料理
- 家常豆腐(ジア・チャン・ドウフ)揚げ豆腐と豚肉の家庭風辛子煮
- 魚香豆腐(ユィシャン・ドウフ)
- 香菇肉末豆腐(シャンクー・ロウモー・ドウフ)
- 石锅老豆腐(シーグゥオ・ラオドウフ)
- 豆花牛柳(ドウホァー・ニウリュウ)
- 镜箱豆腐(ジン・シャン・ドウフ)
- 麻辣鸭血臭豆腐(マーラー・ヤーシュエ・チョウドウフ)
- 蟹黄豆腐(シエファン・ドウフ)上海蟹のミソと豆腐の煮込み
「鏡箱豆腐」
(江蘇省・無錫市)
ギャラリー
- Japanese Mabo Dofu -(陳麻婆豆腐)Keitokuchin in Yokohama Chinatown, Kanagawa, established in 1892.png
「陳麻婆豆腐」
四川マーボー豆腐(本場の辛さ)
景徳鎮 本館
(神奈川・横浜中華街) - Japanese Mabo Dofu -(麻婆豆腐)Keitokuchin in Yokohama Chinatown, Kanagawa, established in 1892.png
「麻婆豆腐」
マーボー豆腐(普通の辛さ)
景徳鎮 本館
(神奈川・横浜中華街)