トマト年表
🍅 紀元前1800年
マヤ文明(先古典期)都市建造が始まる。
🍅 紀元前200年
メキシコシティ南東のテワカン渓谷にある洞窟の発掘調査で紀元前200年前の地層からトマトの種子が見つかる。
🍅 紀元後古典期年
マヤ文明(古典期)
🍅 700年
マヤ文明(後古典期)
🍅 1428年
アステカ(メキシコ中央部で栄えたメソアメリカ文明)
🍅 1492年
クリストファー・コロンブスが8月3日、インド(インディア)を目指してパロス港を出航し、10月11日大陸を発見する。
🍅 1519年
スペインのコンキスタドール(征服者)であるエルナン・コルテスが、キューバ総督ディエゴ・ベラスケスの命令に違反してメキシコに上陸、侵攻を開始する。
🍅 1521年
エルナン・コルテスがメキシコ高原のテノチティトランを征服、アステカ帝国が滅亡する。
🍅 1527年
エルナン・コルテスがスペインに一時帰国。
その際にトマトを祖国に移入した可能性。
🍅 1544年
イタリア(トスカーナ)の医師で植物学者であるピエトロ・アンドレア・マッティオリがトマトを含む文献を出版。
黄金の林檎(Poma aurea)と名付ける。
トマトは塩、コショウをして油で揚げて食べていた。
🍅 1548年10月31日
フィレンツェ共和国(イタリア)の銀行家で公爵であるコジモ・デ・メディチがフィレンツェのトレッデルガロの邸宅からトマトのバスケットを受け取り、執事が、デ・メディチの個人秘書に「トマト(Pomi d'oro)のバスケットが届いた」と書き、トマトがPomi d'oroとしてイタリアで最初の名前を与えられる。
それまで、Pomi d'oroは科学者が論文でイチジク、メロン、柑橘類を指すものとして使われていた。
🍅 1592年
フィリペ2世により、スペイン(カサ・デ・カンポ)の祭司に任命された植物学者であるグレゴリオデロス・リオスによって書かれたAgricultura de jardines(園芸農業)という著書の中でスペインで初のトマトの栽培に関する内容が登場する。
🍅 1597年
イギリスの床屋で外科,植物学者のジョン・ジェラードが、フランス人とイタリア人がトマトを食べたことを認めながらも、トマトは有毒であると述べた本、The Herball or Generall Hiftorie of Plantesを出版。
🍅 1639年
フィリペ4世の妻であるフランスのエリザベス女王が料理にトマトが多すぎるとして、わずかに無気力になる。
🍅 1692年
貴族、バルベリーニ枢機卿の料理人であるアントニオ・ラティーニがトマトソースのレシピ本を出版。
🍅 1697年
最後まで自立を保持していたペテン盆地のタヤサルが陥落、マヤ文明圏全域がスペイン領に併合される。
🍅 1710年
イギリスの医師であるウイリアム・サーモンが旅行の際、アメリカ(イギリス北領)サウスカロライナで栽培されているトマトを見たと報告。
🍅 1745年
スペイン(フランシスコ会)修道士のシェフであるフアン・アルタミラスによってトマトを使ったスペイン料理の本が出版される。
第3代アメリカ合衆国大統領であるトーマス・ジェファーソンが、ユダヤ人の友人であるジョン・デセケイラ博士が、1745年にウィリアムズバーグ(バージニア州)に到着した後、バージニアにトマトを紹介したと書く。
🍅 1758年
イギリスの料理作家であるハナー・グラスによると、1750年代、トマトはイギリスではスープで食べられていた。
🍅 1613年
中国(山西省)の文献「猗氏县志」ではじめてトマトが西番柿として登場する。
🍅 1779年
フランスの園芸雑誌、ル・ボン・ジャルディニエ(Le Bon Jardinier:1755年 - 1781年刊行)でトマトでソースを作ることが可能だと紹介された。
🍅 1785年
イタリアの貴族であり作曲家で料理人であるイポリト・カヴァルカンティ公爵がトマトソースとパスタを合わせたレシピ本を出版。
🍅 1770年
アメリカで最も初期のトマト料理のレシピが、サウスカロライナで出版される。
🍅 1780年
トマトの味など品種改良に大きな功績を残したトマトブリーダーであるアレクサンダー・W・リヴィングストンが20年の歳月を費やしてパラゴントマトの栽培に成功する。
パラゴン品種は、現代の多くのトマトの祖先と見なされている。
🍅 1790年
ヨーロッパを渡り歩いたローマの料理人、フランチェスコ・レオナルディがトマトソースとパスタを合わせたレシピ本を出版。
イタリアではトマトを最初に使った人の一人でパスタとトマトソースをあわせた古典的な料理の起源と捉えている。
🍅 1792年
フィリップ2世のアランフェス(スペイン・マドリード州南部)の植物園の主任庭師が「ソースに良いと言われています」と書いた。
しかし、一般的には装飾用の植物とされ、料理用としてめったに使われなかった。
フィレンツェ(イタリア・トスカーナ州)の貴族、ジョヴァン・ヴィットリオ・ソデリーニは「彼らは美しさだけだけを求められた」と記している。
🍅 1799年 - 1825年頃
アレッポ(シリア北部にある都市)のイギリス領事であるジョン・バーカーによって北アフリカと中東にトマトが紹介され栽培が導入される。
🍅 1807年
イタリアのローマでトマトを使ったスープにミニパスタが入った「ミネストラ」が大流行する。
🍅 1820年9月26日
アメリカ(ニュージャージー州セーラム郡)の裁判所前で 、ジョンソン大佐として知られるロバート・ギボン・ジョンソンが「トマトを食べてみせる」と言い、それに2,000人もの群衆が集まり、食べる姿を見て怒号や悲鳴、失神する女性も出たが最後は歓声で終わった。
🍅 1873年5月1日 - 10月31日
一般的には、まだ非常にエキゾチックに映っていたトマトはハンガリー帝国(オーストリア)のウィーン万国博覧会で人の目を引く植物として展示された。
🍅 1883年
Nix v. Hedden
🍅 1886年
🍅 1893年
アメリカの税関規制の下で、トマトは果物ではなく野菜として分類されるべきであるという決定を合衆国最高裁判所がしたことで一連のNix v. Hedden問題が解決。
🍅 1940年
イタリアの起業家であるジョヴァンニ・ブイトーニが、ニューヨークのタイムズ・スクエアにレストランをオープン。
トマトソースのパスタを25セントで提供したことで人気をよび、インターナショナルになる。
1940年半、スペイン(ブニュール)でトマティーナが始まる。
🍅 1959年
毎年段々と過激になってきたことを受けてブニュールでトマティーナのルールが制定される。
🍅 1961年
世界中で約2,800万トンのトマトが生産された。
🍅 1988年
グッドモーニングアメリカ(ABCで放送されている朝の情報番組)は、ジョンソン大佐がアメリカで最初にトマトを食べたと報道した。