「マンゴープリン」の版間の差分

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香港の代表的な調味料である「X.O醤」でも有名な香港の最高級ホテル「ザ・ペニンシュラ香港」のペニンシュラ・ブティック&カフェ
 
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東京千代田区有楽町のザ・ペニンシュラ東京
  
 
== 許留山 ==
 
== 許留山 ==

2023年2月14日 (火) 03:57時点における版

マンゴープリン(日本)

マンゴープリン(芒果布甸 - 広東語:モングォボーディン/中国語:マングォポウディン/英:Mango Pudding)は、香港で定番のデザート(甜品:ティエンピン)である。

マンゴー

伝説

マンゴーの木の奇跡『仏陀の生涯』
(大英図書館蔵)
玄奘三蔵像『玄奘三蔵西遊記』(東京国立博物館蔵)鎌倉時代

ある時、釈迦(本姓:ゴータマ・シッダールタ/梵:गौतम सिद्धार्थ)へ敬虔な信者がマンゴー園を提供し、その木陰で休息できるようにしたという。 マンゴーの葉や花、休眠中のモチーフは、インドの仏教やヒンドゥー教の僧院で見ることができる。 ヒンドゥー教では、この花の5枚の花弁は愛の女神カーマデーヴァ(梵:कामदेव)の5本の矢を表していると信じられ、ヒンズー教の女神であるサラスワティ(サンスクリット語:सरस्वती)を敬うためにこの花を使う。

1556年から1605年にかけて、ムガル帝国の第3代皇帝アクバルはデリーの近くに当時は世界でも稀な10万本のマンゴーの果樹園を持っていたという。

マンゴーをインド国外へ紹介したのは、中国・唐代の僧である玄奘(げんじょう:602年 - 664年3月7日)で、彼が筆録した『大唐西域記』(だいとうさいいきき)に「庵波罗果」(あんもらか)と記したのが最初とされている。 その後、タイ、マレーシア、フィリピン、インドネシアなどの東南アジア諸国を経て、地中海沿岸の国々にも広がっていった。 ブラジルや西インド諸島、アメリカのフロリダ州に広まったのは18世紀になってからである。

文化

マンゴーは、インドの国民的フルーツであり、一般市民も宗教家もこの果実に特別な意味があると信じられている。 マンゴーの木はインドの神話の中に登場する決して枯れることのない天上の木で希望の果実を与える人を意味する「カルパブリクシャ」(サンスクリット語:कल्पवृक्ष)とも呼ばれる。 インドの多くの寺院には、背の高いマンゴーの果樹が植えられており、実が熟す季節になると寺院の僧侶が質の良いものを選び、神に捧げる。 インドでは、果実は幸運のシンボルと信じられており、結婚式では果樹の枝や葉を使って、結婚式の天蓋までの通路を作ることが好まれる。 結婚式でマンゴーの木を飾らないと、インド人は「結婚がうまくいっていない」「これからの人生、幸せにはなれない」と不吉なイメージを持つ。 敬虔な信者の中には、この木の枝や葉から水を汲み、寺院の近くで水をかけることを日課とする人もいる。 これは、神への敬意を表し、また彼らの献身的な姿勢を示すためである。 インド人がマンゴー文化を世界に広めるにつれて、多くの人々がマンゴーを口にするようになった。 インドの独立後、自国の指導者たちはマンゴー外交を好んだと言われている。 インドの「マンゴー文化」がこれほどまでに有名になり、広く海外に普及したのは、この影響が大きい。

マンゴー崇拝

展示されている資料(ジョーダン・シュニッツァー美術館蔵)

マンゴー崇拝(中国語:芒果崇拜/英:Mango Cult)は、中国における文化大革命時代のマンゴーの崇敬、崇拝のことである。 1968年8月5日、毛沢東はパキスタン外相のミアン・アルシャド・フセインから贈られたマンゴー1箱を清華大学に駐在する労働者・農民毛沢東思想宣伝班に贈った。 これ以後、マンゴーは毛沢東の愛情の象徴となった。 マンゴーは食べるのではなく、ホルムアルデヒドで保存されたり、蝋で封印され、崇拝の対象とされた。 マンゴーを労働者に贈る毛沢東の行動とマンゴー崇拝の出現は、文化大革命の転機、つまり労働者階級が文化大革命に賛同し始めたことを示している。

東洋医学

アーユルヴェーダ

インドでマンゴーは古来より代替医療であるアーユルヴェーダにおいて、様々な薬として使われてきた。 マンゴーの木の葉を乾燥させたものは、その抗菌性と防腐性によって傷を治癒する効果もある。

漢方

1596年に中国の代表的な本草学の集大成『本草綱目』を編纂したことで知られる明代の医師・李時珍(りじちん)はマンゴーを「果物の最高峰」“ 果中极品 ”とよんだ。 多くの人はマンゴーの芯を捨ててしまうが、中国では芯を生姜と豆豉(トウチ)と水で煮て、家庭の風邪薬として有効利用する。

成分と薬理作用

マンギフェリン

キサントノイド『マンギフェリン』C19H18O11

マンギフェリン(英:Mangiferin/中国語:芒果甙)は、マンゴーの果実に多く含まれることで知られる天然由来のキサントン誘導体である。 最初にマンゴーの葉と樹皮から単離された。

マンギフェリンには、抗酸化作用、抗菌作用、抗炎症作用、抗糖尿病作用、抗高尿酸血症作用、抗ウイルス作用、抗アレルギー作用、抗ガン作用、コレステロール低下作用、免疫調節作用など、多くの健康増進作用があるとされる。 その効果は、腫瘍壊死因子α(TNF-α)の発現抑制、アポトーシス誘導などである。 また、この化合物は脂質過酸化反応をブロックすることができる。 多くの研究は、マンギフェリンが糖尿病治療のための強力な薬になり得ることを示している。 また、ビタミンEよりも抗酸化作用が高く、皮膚の酸化的損傷を防ぐのに役立つ。

これらの特性から、天然薬として伝統医学、栄養補助食品、化粧品として広く利用されている。

マンゴーポリフェノール

ポリフェノール誘導体『マンゴーポリフェノール』

2010年、米国テキサス州の農業および生命科学研究機関(テキサス州立・A&M大学)である「テキサス・A&M・アグリライフ研究センター」(Texas A&M AgriLife Research)の食品科学者は、マンゴーのポリフェノール抽出物に、結腸がん、乳がん、肺がん、前立腺がん、白血病の予防効果があることを発見した。 その中でも乳がんと結腸がんに最も効果的であったという研究結果を発表している。

食用効果

抗がん

トリテルペノイド『マンギフェロン酸』C30H46O3
トリテルペノイド『イソマンギフェノール酸』C30H48O3

マンゴーの果実には、マンギフェロン酸(Mangiferonic acid)、イソマンギフェノール酸(Isomangiferolic acid)などの三酢酸とポリフェノール化合物が含まれており、抗がん薬理効果がある。 したがって、マンゴーを摂取することは、特定のがん予防と治療に有効である。

血中脂質の改善

マンゴーのビタミンC含有量は56.4%~98.6%と一般の果物に比べて多く、同じくマンゴーの葉にもビタミンCが多く含まれるが、加熱しても含有量や栄養が損なわれない特徴がある。 したがって、マンゴーを定期的に食べることで、体内のビタミンCの消費を常に補充し、コレステロールや中性脂肪を下げ、心血管疾患の予防に役立てることができる。

視力改善

マンゴーに含まれるビタミンAの含有量は38%と高く、果物の中でも上位クラスである。 ビタミンAは目や上気道、消化管粘膜などの様々な粘膜組織に欠かせない成分であり、潤滑粘液の分泌を促進することができるため、目の保護に有益な効果を持っていることが知られている。 マンゴーは視力を改善にも有効的である。

免疫力活性

ヒトのナチュラルキラー細胞(走査型電子顕微鏡)※カラー化

マンゴーに含まれるビタミンCは、オレンジやイチゴなどの果物を上回る。 ビタミンCは身体の免疫力を左右するNK細胞(ナチュラルキラー細胞)の活性を高める働きがあるため、免疫力を高める効果が期待できる。

アンチエイジング

マンゴーにはマンギフェリンという物質が含まれている。 マンギフェリンは消化器官や血液の流れに悪影響を及ぼす有害物質である過酸化脂質に対する抗脂質過酸化および脳神経細胞(ニューロン)の保護作用を持つ。 また、皮膚細胞の活性を刺激し、細胞の老化を遅らせ、皮膚のコラーゲンの柔軟性を維持し、シワの発生を防ぐ。 マンゴーはビタミンC およびビタミンEが豊富であり、これらのビタミンは強力な抗酸化作用、血管内をクリーンにする能力があり、色素沈着を防ぐ効果がある。

抗炎症およびデトックス

熟したマンゴーの果肉は火傷(やけど)の傷を和らげ、痛みや腫れを改善する効果がある。 マンゴーは飽和脂肪酸グリセリル(Saturated glycerides)、オレイン酸グリセリル(Glyceryl Oleate)などのワックス成分を豊富に含んでいるため、強力なデトックス(解毒)作用がある。 これらの成分は肌や髪に潤いやツヤを与えたり、胃腸にも有益であり、解熱および解毒などにも効果がある。

制吐作用

昔、航海する人たちは、船酔いを和らげるためにマンゴーを用いたと云われている。 マンゴーを生食することで、乗りもの酔いや船酔いの症状が改善されるとされ、その利用はスモモでもみられる。 乗りもの酔いや船酔いに悩まされる人はマンゴーを「酔い止め薬」として利用することができる。 また、妊娠初期の女性は、つわりの症状が起こりえるが、甘酸っぱいマンゴーを適度に食べることで、つわり予防や吐き気を抑え、妊娠中の不快感を和らげることができる。 マンゴーはこれらの効能と同様に悪心や嘔吐を抑制する制吐薬の作用がある。

減量効果

脾臓および胃の強化

鎮咳・抗喘息効果

マンゴープリン

発祥

イギリス統治時代の香港の国旗
中国・香港特別行政区

マンゴープリン(英:Mango Pudding)は、イギリスの伝統的なデザートであるプディング(英:Pudding)の一種、いわば日本でいうプリンおよび西洋のデザートの類と捉えられていることがある。 マンゴープリンやマンゴーデザートは、イギリス統治下時代に生まれたことに違いないが、現在の西洋諸国では香港発祥の東洋のデザートと見なされている。

マンゴープリンは、香港では「芒果布丁」「芒果布甸」「香芒布甸」と表記されるが、これらはいずれも同じ意味である。 プリンとの大きな違いは、プリンのように蒸す工程を必要としない。 名称はプリンであるものの、調理的にはゼリーの類である。

香港は、1840年5月に起きた清国(中国)とイギリスのアヘン戦争によって、1842年8月29日に「南京条約」が締結し、福州(福建省)、厦門(福建省)、寧波(浙江省)、上海(上海市)の合わせて5つの開港、香港島の割譲に始まり、1997年7月1日(香港返還)に中華人民共和国へ返還されるまでイギリス統治下であった歴史的背景がある。

現在の中国人民共和国における特別行政区は、1997年にイギリスから返還された香港と、1999年にポルトガルから返還されたマカオ(澳門)の二つになっている。

香港

マン ゴープリン「芒果布甸
利苑酒家(香港)

マンゴープリンの発祥店は定かになっていないが、香港で1973年創業の「利苑酒家」(リーユエン)がマンゴーを使ったデザート「楊枝甘露」(広東語:ヨンチーカムロウ)を1984年に考案していることから、この年代には存在していた可能性は高い。 利苑酒家は、マカオ、上海をはじめ中国本土、東南アジアに支店をかまえ、複数の支店がミシュランで星を獲得している広東料理の名店であり、マンゴープリンも人気の一つとなっている。

魚型マンゴープリン
鱼型芒果布甸」翠园(香港)

香港で1971年創業の「翠園」の魚型マンゴープリン(鱼型芒果布甸)は知られるところである。 翠園は、美心食品有限公司(マキシマム・グループ/英:Maxim's Caterers Limited)傘下の広東料理の名店で、香港、中国本土、マニラ(フィリピン)に支店をかまえている。 翠園では料理に化学調味料を使用しない。

鯉は中国では「龍門」“ 鯉は滝を登り、やがて龍へと化した ”という故事・伝説がある。 立身出世などの意味を含め、中国文化では縁起のよいものとされ、日本では「鯉の滝登り」として知られる。 マンゴープリンを鯉の形に仕立てるのはポピュラーで、鯉を模るのはマンゴープリンに限らない。

マンゴープリン「芒果布丁
許留山(香港)

2021年に廃業してしまった「許留山」(ホイラウサーン)は、マンゴーを主力としたデザートで香港デザートとしての知名度の確立とマンゴープリンやマンゴーデザートを広く知れ渡らせた開祖である。 マンゴープリンの中には角切りのマンゴーの果肉が入っており、店員はエバミルクを掛けるかどうかを客に問い、リクエストに応じて提供する。 マンゴープリンにエバミルクを掛けるスタイルは香港ではポピュラーである。

マンゴープリン フルーツ添え
鲜果芒果布甸」許留山(香港)

鲜果芒果布甸(英:Mango Pudding with Mixed Fruits)は、マンゴープリン・アラモードと呼べるものである。 プリン・アラモードは日本発祥のデザートだが、それとは異なり、さまざまなフルーツがダイナミックに盛りつけられる。

マンゴープリン
芒果布丁」ザ・ペニンシュラ香港

香港の代表的な調味料である「X.O醤」でも有名な香港の最高級ホテル「ザ・ペニンシュラ香港」のペニンシュラ・ブティック&カフェ

東京千代田区有楽町のザ・ペニンシュラ東京

許留山

『許留山』(香港・元朗区)
※店名の下「特種亀苓膏」の文字
芒椰芒果爽」マンゴーゼリー マンゴー&ココナッツ添え(香港)

許留山(広東語:ホイラウサーン/日本語:きょりゅうざん)は、香港式デザートで独占的な地位を確立していた香港最大のデザート専門チェーンである。

1950年代、香港・元朗区の路上で創業者である徐慈玉が医者であった亡き父の名「徐留山」を店名に使い、亀ゼリー(龜苓膏:グイリンガオ)と漢方薬を台車の載せ、移動式屋台で販売したのが始まりである。

1960年、元朗区に最初の店舗を構え、名物の特種亀苓膏と漢方茶の店として徐々に規模を拡大していった。 この店舗は許留山発祥の店であり、他の近代的な支店とはスタイルが異なり、当初の形態や雰囲気を色濃く残していた。

亀苓膏と漢方茶を販売するにあたり、漢方茶は苦すぎるため、デザートと共に提供することを余儀なくされ、メニューにデザート(甜品:ティエンピン)が必然的に追加されていった。

1980年代、許留山はココナッツミルク(椰汁)、白玉団子(糖不甩)、ゼリー(果冻)、大根餅(萝卜糕)などのデザートを販売し始め、予想外に多くの人々から人気をよび、かつての苦い漢方茶の店から新鮮なフルーツデザート店への転換期を迎えたのである。

1992年に発売したスイーツ「マンゴータピオカ」(芒果西米捞)が大ヒットした。 許留山は、フィリピン・ルソン島の厳選されたマンゴーを直送し、毎日支店に届けていた。 マンゴーをメインとした人気デザートやドリンクを数多く生み出し、マンゴーデザートの元祖ともいえる存在となった。 また、マンゴープリンを広く知れ渡らせた開祖である。 2000年には香港を訪れる海外や日本を含む観光客の間でも必ず立ち寄るべきグルメスポットとなっていた。

拡大と終焉

許留山の近代的な店舗(香港)
『All Mango. All the time.』
お土産用のマンゴープリン

2009年、創業者の徐一族は、全株式をマレーシアの外資系投資会社であるナビス・キャピタル(Navis Capital)に売却し、急速に拡大。 2012年には、海外市場の第一歩としてマレーシアのクアラルンプール、ペナン、ジョホールバール、マラッカに出店した。

2014年に全盛期を迎え、アジアには276の支店があり、そのうち155が直営店で、2016年までに総売上高は4億6000万元に達し、“ 香港で一番山が多い山といえば許留山 ” と形容されるほどであった。 キャッチフレーズは「All Mango. All the time.」、イメージキャラクターもマンゴーだった。

2017年の時点で、許留山は中国で584店舗ものフランチャイズ店を所有し、マレーシア、マカオ、シンガポール、アメリカ、韓国、台湾にも店舗を構えていた。

許留山は、過剰投資による拡大によって債務超過に陥り、関連する企業との訴訟問題は最終的に香港高等裁判所に持ち込まれ、2021年5月26日、相互の同意により解散命令を下した。 これによって、ほとんどの店舗が閉鎖した。 この末路は過剰投資と株によるファイナンス的な思惑・問題に合わせて、ある種の経済的ショックによって引き起こる典型的なものである。

最後の店として唯一残っていた香港・油塘店(フランチャイズ店)が2021年11月末に閉店することがメディアで報じられ、廃業を惜しむ多くの人たちが詰めかけた。

許留山は香港の人々にとって、長らく老若男女を問わずコミュニケーションの場でもあった。 台風などの悪天候で、ほとんどの店が休業する中でも、許留山だけは営業していた。 店内に広東語が賑やかに飛び交う日常の情景は香港の人々の想い出に代わった。

許留山は歴史に幕を閉じたが、香港デザートという知名度を広く認知させた功績を残した。 許留山の考案したスイーツは多くの店で提供されるようになっている。




ギャラリー

  • 明治17年(1884年)創業「聘珍樓 横濱本店」:2022年5月15日に閉店するまで日本最古の中国料理店であった
  • 明治25年(1892年)創業「萬珍樓 本店」:現存する日本最古の中国料理店


時事

  • 2021年05月26日:1960年に創業した香港最大のデザート専門チェーン『許留山』は債務超過の状況となり、香港高等裁判所から清算命令を受けた後、そのほとんどの店が閉鎖した。 許留山はマンゴーを主力としたデザートで人気を博し、香港式デザート業界で独占的地位を確立していた。
  • 2021年11月26日:許留山の最後の支店(フランチャイズ店)として唯一残っていた油塘支店が予定の28日より2日早い26日をもって営業を終了した。 事実上、許留山は歴史に幕を閉じた。

日本の中華デザート

関連項目