「マンゴープリン」の版間の差分
(→許留山) |
(→許留山) |
||
61行目: | 61行目: | ||
亀苓膏と漢方茶を販売するにあたり、漢方茶は苦すぎるため、デザートと共に提供することを余儀なくされ、メニューにデザート(甜品:ティエンピン)が必然的に追加されていった。 | 亀苓膏と漢方茶を販売するにあたり、漢方茶は苦すぎるため、デザートと共に提供することを余儀なくされ、メニューにデザート(甜品:ティエンピン)が必然的に追加されていった。 | ||
− | + | 1980年代、許留山はココナッツミルク(椰汁)、白玉団子(糖不甩)、ゼリー(果冻)、大根餅(萝卜糕)などのデザートを販売し始め、予想外に多くの人々から人気をよび、かつての苦い漢方茶の店から新鮮なフルーツデザート店への転換期を迎えたのである。 | |
1992年に発売したスイーツ「[[タピオカ・ココナッツミルク|マンゴータピオカ]]」(芒果西米捞)が大ヒットした。 | 1992年に発売したスイーツ「[[タピオカ・ココナッツミルク|マンゴータピオカ]]」(芒果西米捞)が大ヒットした。 |
2023年2月9日 (木) 21:22時点における版
マンゴープリン(芒果布甸)
マンゴー
伝説
ある時、釈迦(本姓:ゴータマ・シッダールタ/梵:गौतम सिद्धार्थ)へ敬虔な信者がマンゴー園を提供し、その木陰で休息できるようにしたという。 マンゴーの葉や花、休眠中のモチーフは、インドの仏教やヒンズー教の僧院で見ることができる。 ヒンズー教では、この花の5枚の花弁は愛の女神カーマデーヴァ(梵:कामदेव)の5本の矢を表していると信じられ、ヒンズー教の女神であるサラスワティ(サンスクリット語:सरस्वती)を敬うためにこの花を使う。 1556年から1605年にかけて、ムガル帝国の第3代皇帝アクバルはデリーの近くに当時は世界でも稀な10万本のマンゴーの果樹園を持っていたという。 マンゴーをインド国外へ紹介したのは、中国・唐代の僧である玄奘(げんじょう:602年 - 664年3月7日)で、彼が筆録した『大唐西域記』(だいとうさいいきき)に「庵波罗果」(あんもらか)と記したのが最初とされている。 その後、タイ、マレーシア、フィリピン、インドネシアなどの東南アジア諸国を経て、地中海沿岸の国々にも広がっていった。 ブラジルや西インド諸島、アメリカのフロリダ州に広まったのは18世紀になってからである。
文化
マンゴーは、インドの国民的フルーツであり、一般市民も宗教家もこの果実に特別な意味があると信じられている。 マンゴーの木はインドの神話の中に登場する決して枯れることのない天上の木で希望の果実を与える人を意味する「カルパブリクシャ」(サンスクリット語:कल्पवृक्ष)とも呼ばれる。 インドの多くの寺院には、背の高いマンゴーの果樹が植えられており、実が熟す季節になると寺院の僧侶が質の良いものを選び、仏に捧げる。 インドでは、果実は幸運のシンボルと信じられており、結婚式では果樹の枝や葉を使って、結婚式の天蓋までの通路を作ることが好まれる。 結婚式でマンゴーの木を飾らないと、インド人は「結婚がうまくいっていない」「これからの人生、幸せにはなれない」と不吉なイメージを持つ。 敬虔な信者の中には、この木の枝や葉から水を汲み、寺院の近くで水をかけることを日課とする人もいる。 これは、神への敬意を表し、また彼らの献身的な姿勢を示すためである。 インド人がマンゴー文化を世界に広めるにつれて、多くの人々がマンゴーを口にするようになった。 インドの独立後、自国の指導者たちはマンゴー外交を好んだと言われている。 インドの「マンゴー文化」がこれほどまでに有名になり、広く海外に普及したのは、この影響が大きい。
効能
- マンゴーを食べると胃腸をきれいにする効果があり、乗り物酔いや船酔いにも一定の制吐効果がある。
- マンゴーにはビタミンAが多く含まれており、がん予防や抗がん作用があるとされている。
- 肌を美しくする。 マンゴーには多くのビタミンが含まれているので、よくマンゴーを食べると、肌に栄養を与える役割を果たすことができる。
- 高血圧、動脈硬化の予防。 マンゴーには、ビタミンC、ミネラルなどの栄養素が含まれており、がん予防の効果に加え、動脈硬化や高血圧の治療効果も期待できる。
- 便秘を予防する。 マンゴーには大量の食物繊維が含まれており、排便を促すことができるため、便秘の予防や抑制に一定の効果がある。
- 殺菌性。 マンゴー葉エキスは、化膿球菌、大腸菌、緑膿菌を抑制することができる。 また、インフルエンザウイルスを抑制する効果もある。
香港
許留山
許留山(広東語:ホイラウサーン/日本語:きょりゅうざん)は、香港式デザートで独占的な地位を確立していた香港最大のデザート専門チェーンである。
1950年代、元朗区の路上で創業者である徐慈玉が医者であった亡き父の名「徐留山」を店名に使い、亀ゼリー(龜苓膏:グイリンガオ)と漢方薬を台車の載せ、移動式屋台で販売したのが始まりである。 1960年、元朗区に最初の店舗を構え、名物の特種亀苓膏と漢方茶の店として徐々に規模を拡大していった。 この店舗は許留山発祥の店であり、他の支店とはスタイルが異なり、当初の形態や雰囲気を色濃く残していた。
亀苓膏と漢方茶を販売するにあたり、漢方茶は苦すぎるため、デザートと共に提供することを余儀なくされ、メニューにデザート(甜品:ティエンピン)が必然的に追加されていった。 1980年代、許留山はココナッツミルク(椰汁)、白玉団子(糖不甩)、ゼリー(果冻)、大根餅(萝卜糕)などのデザートを販売し始め、予想外に多くの人々から人気をよび、かつての苦い漢方茶の店から新鮮なフルーツデザート店への転換期を迎えたのである。
1992年に発売したスイーツ「マンゴータピオカ」(芒果西米捞)が大ヒットした。 許留山は、フィリピン・ルソン島の厳選されたマンゴーを直送し、毎日支店に届けていた。 マンゴーをメインとした人気デザートやドリンクを多く生み出し、マンゴーデザートの元祖ともいえる存在となった。 また、「マンゴープリン」が広く知られるようになった開祖的な存在である。 2000年には香港を訪れる海外や日本を含む観光客の間でも必ず立ち寄るべきグルメスポットとなっていた。
2009年、創業者の徐一族は、全株式をマレーシアのの投資会社であるNavis Capitalに売却し、急速に拡大。 2012年には、海外市場の第一歩としてマレーシアのクアラルンプール、ペナン、ジョホールバール、マラッカに出店した。 2014年に全盛期を迎え、アジアには276の支店があり、そのうち155が直営店で、2016年までに総売上高は4億6000万元に達し、“ 香港で一番山が多い山といえば許留山 ” と形容されるほどであった。 キャッチフレーズは「All Mango. All the time.」、イメージキャラクターもマンゴーだった。 2017年5月の時点で、許留山は中国で584店舗ものフランチャイズ店を所有していた。
許留山は、過剰投資による拡大によって債務超過に陥り、関連する企業との訴訟問題は最終的に香港高等裁判所に持ち込まれ、2021年05月26日、相互の同意により解散を命じた、ほとんどの店舗が閉鎖した。 この末路は過剰投資と株によるファイナンス的な問題に合わせて、ある種の経済的ショックによって引き起こる典型的なものである。
最後の店として唯一残っていた油塘店(フランチャイズ店)が11月末に閉店することがメディアで報じられ、廃業を惜しむ多くの人たちが詰めかけた。
ギャラリー
- 明治17年(1884年)創業「聘珍樓 横濱本店」:2022年5月15日に閉店するまで日本最古の中国料理店であった
- 明治25年(1892年)創業「萬珍樓 本店」:現存する日本最古の中国料理店
時事
- 2021年05月26日:1960年に創業した香港最大のデザート専門チェーン『許留山』は債務超過の状況となり、香港高等裁判所から清算命令を受けた後、そのほとんどの店が閉鎖した。 許留山はマンゴーを主力としたデザートで人気を博し、香港式デザート業界で独占的地位を確立していた。
- 2021年11月26日:許留山の最後の支店(フランチャイズ店)として残っていた油塘支店が予定の28日より2日早い26日をもって営業を終了した。 事実上、許留山は歴史に幕を閉じた。