「青椒肉絲」の版間の差分
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中国の伝統的な青椒肉絲は、豚肉が基本だが、日本では牛肉が多く用いられる。 | 中国の伝統的な青椒肉絲は、豚肉が基本だが、日本では牛肉が多く用いられる。 | ||
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また「青椒」という意味は、ピーマンや青唐辛子の両方の総称としても使われる。 | また「青椒」という意味は、ピーマンや青唐辛子の両方の総称としても使われる。 | ||
2022年12月21日 (水) 18:05時点における版
青椒肉絲(チンジャオロース/青椒肉丝)は、中国を起源とする料理で、日本でも定着している中華料理の一つである。
中国
歴史
トウガラシ属の伝来
青椒肉絲(青椒肉丝)は、それほど長い歴史のある中国料理ではなく、中南米が原産のナス科トウガラシ属(学名:Capsicum)である唐辛子やピーマンが中国に伝来した時代と深く関連している。 その独特の味と食感から中国の北部と南部の人々に急速に拡がった。 以来、人々の食卓にのぼるようになり、定番の家庭料理として定着し、家庭料理から中国料理の一角を占めるようになったのである。
中国に伝来したのは明(みん:1368年 - 1644年)の時代。 湖南省や貴州省で食べられるようになったのは清代の乾隆(けんりゅう:1735年10月8日 - 1796年2月9日)時代からで、一般的に食べられるようになったのは、清代の道光(どうこう:1820年10月3日 - 1850年2月25日)時代以降と歴史に記されている。 その後、中国各地で広く栽培されるようになり、導入が遅かったにもかかわらず、中国で最も広く使われている野菜の一つである。
ピーマンは、大椒、灯笼椒、柿子椒、甜椒、菜椒とも呼ばれるが、これらは、辛くはなく、独自の甘味がある。 また、ピーマンの代りに唐辛子(尖椒)が使われることもある。 これらの野菜は中国に伝わってから数百年しか経っていないが、中南米が原産のトマト同様に多くの人が料理に彩りや風味を加える副菜として好まれて使用されている。
起源
湖南省、四川省、貴州省には青椒肉絲の源流とされる料理があり、現在では青椒肉絲の発祥地として挙げられる。 これらの省は中国の南部から西南部に位置し、豊富な雨量と湿潤な気候が特徴である。 また、高く険しい山々が多い地理的要因から交通の便が悪く、油や塩が不足することもあり、簡素な食事になりがちだった歴史がある。
湖南省、四川省、貴州省は、唐辛子を多用した辛い料理が多い地域でもある。 中国ではそれを風刺した俗諺(ぞくげん:世間で言われていることわざ)に「四川人不怕辣,湖南人辣不怕,貴州人怕不辣」(四川人は辛さを恐れず、湖南人は辣さで威すことはできず、貴州人は辛くないのを恐れる)という言葉がある。
経済や文化の発展、移民に伴い、四川料理店は次第に中国全土に広がり、青椒肉絲はレストランで欠かせない料理となった。 よって青椒肉絲は四川料理(川菜:チュアンツァイ)に分類されることが一般的である。
- 湖南省では、キダチトウガラシ(小尖椒)を使うことが多く、辛味のある「小炒肉」(シャオチャオロウ)と呼ばれる代表的な料理がある。
- 四川省では、ピーマン(青圆椒)や青唐辛子(青尖椒)を使うことが多く、シンプルな油炒め(清炒:チンチャオ)と豆板醤炒め(豆瓣炒:ドウバンチャオ)の2種類がある。
- 貴州省では、なじみ深い料理として豆鼓を用いた「辣椒炒肉」(ラージャオチャオロウ)があるが、店やレストランなどでは「小炒肉」と表記される。 また貴州省は湖南省からの移民が多いため、料理的に似ている。
※現在では、小炒肉、辣椒炒肉の専門店や専門チェーンも多く、中国で広く食されている。
伝承
唐鲁孙
清朝(しん:1616年 - 1912年)末期、青椒肉絲はすでに王室や富裕層、著名人などの家で食される料理になっていた。
清の光緒帝の側妃の一人である珍妃と晋妃の従兄弟と甥であり、美食家で料理本の著者としても有名な唐鲁孙(タン・ルースン:1907年1月15日 - 1985年8月22日)は、家で雇う料理人の試験として、弱火料理の課題で鶏の清湯スープ(鸡汤)、強火料理の課題で細切り豚肉とピーマン炒め(青椒炒肉丝)を作らせた。
細切り肉は柔らかくて旨味があり、ピーマンは熱が通っていながらもシャキッとしていることが合格の基準だったといわれている。 当時、青椒肉絲は料理人の腕を試すための必須試験であった。
※青椒炒肉丝(チンジャオチャオロースー)は青椒肉絲と料理的に同じ意味。
毛沢東
第二次国内革命戦争(中国共産党成立1921年~1927年)の時、中国共産党革命根拠地は物資が非常に不足しており、昼食はとても質素なものだった。
ある時、黄偉華は師団の食堂に米をとりに行き、豚肉の細切りと唐辛子(この場合はピーマンで代用)の炒め物(辣椒肉丝)、青梗菜の炒め物(一盘青菜)、そしてスープを作った。
湖南省出身である毛沢東(もう たくとう:1893年12月26日 - 1976年9月9日)は食べながら「ああ、江西省の唐辛子は湖南省の唐辛子に負けない辛さだ。ご飯に合う。よく炒められて色も風味も豊かだ。」と皮肉を言ったといわれている。
※辣椒肉丝(ラージャオロース―)
効能
青椒肉絲に使われるピーマンの果肉は肉厚で歯ごたえがあり、ビタミンC、炭水化物、ミネラルを多く含み、ビタミンKも豊富である。 壊血病の予防と抑制、歯茎の出血や貧血などの病気の補助治療効果が期待できる。 また、体力を高め、仕事や生活のストレスによる疲労を回復させる効果、唾液や胃液の分泌を促進し、食欲増進、消化促進、腸の蠕動運動促進によって便秘の予防に効果があるとされる。
豚肉は安定した旨味があり、タンパク質と必須脂肪酸が豊富で、滋陰、筋肉を強化し、肌をしっとりさせる働きがある。 病後の体力低下、産後の血虚、黄疸、痩せ気味の人などの滋養強壮に用いられる。 また、漢方医学では、腸や胃を潤して津液を生成し、腎を養い、解熱効果、口の渇き、虚弱、腎虚、産後の血虚、乾咳、便秘、滋養不足、滋陰、肝陰(肝臓の陰気)を養って皮膚を潤し、排尿を促して喉の渇きを癒やす効果があるとされる。
唐辛子の強い辛味は、唾液や胃液の分泌を促し、食欲増進、腸の蠕動運動を促進し、消化を助ける消化促進作用がある。
多様性
類似料理
日本
起源
日本では、青椒肉絲の起源は古くから豚肉を調理した福建料理とされ、料理としては広東風とされているが中国では異なる。 これらの認識は、日本に中華街が誕生し、中国料理として初期に広く認識された料理が主に広東料理であり、広東、香港、上海出身の料理人が多かったことに起因している。
明治17年(1884年)創業で、2022年5月15日に閉店するまで日本最古の中国料理店であった「聘珍樓 横濱本店」、明治25年(1892年)創業で現存する日本最古の中国料理店である「萬珍樓 本店」も共に広東料理である。 また、日本のラーメンの起源とされる「淺草 來々軒」も広東料理であった。
中国では、湖南省、四川省、貴州省を発祥とし、他の地域によってローカルナイズされた料理やバリエーション料理という認識である。 広義では、魚香茄子などに用いられる四川の伝統的な調理法「魚香」を用いた「魚香肉絲」などもバリエーションの一つとされる。 狭義においての青椒肉絲は、豚肉の細切りとピーマンもしくは青唐辛子のシンプルな炒めもの(清炒:チンチャオ)料理である。
食材および調味料
食材
中国の伝統的な青椒肉絲は、豚肉が基本だが、日本では牛肉が多く用いられる。
メインの野菜は、中国でも日本と同様に一般的にはピーマン(青椒)が使われるが、中国には様々な形をしたピーマンがあり、シシトウや甘唐辛子(唐辛子甘味種)も含まれる。 また「青椒」という意味は、ピーマンや青唐辛子の両方の総称としても使われる。
香味を出すための野菜としては、少量のニンニクや生姜が用いられる。
中国で1987年9月と12月に上下巻で四川教育出版社から刊行された四川料理専門学校の模擬教科書『四川料理の調理法』(川菜烹饪技术)では、肉は豚ヒレ肉(里脊肉:リージーロウ)、野菜は二荆条唐辛子:にけいじょうとうがらし(二荆条:アールジンティアオ)のみで、ニンニクや生姜は使われていない。
日本では、ピーマン以外に最も定番的に加えられる食材は「タケノコの細切り」であり、青椒肉絲の一般的なイメージとして確立している部分がある。 次いでタマネギ、他ではシイタケ、豆モヤシなどがある。
追加食材は、中国の家庭的なおかず(家常菜:ジャーチャンツァイ)や日本の家庭においても「かさ増し」や「食材処理」など目的や事情で自由である。 ただ、日本で店でも定番となっているタケノコ入りの青椒肉絲は、中国では「日式中国料理」と捉える人もいる。
調味料
日本に浸透している青椒肉絲の味の決め手として使われる代表的な調味料は「オイスターソース」である。 オイスターソースは、中国大手調味料メーカー「李錦記」の創業者である李錦驤(リキンショウ)が発明し、1888年に広東省珠海市(南水鎮)から拡がった調味料で、初期の段階で広まったのは澳門(マカオ特別行政区)、広州市(香港)である。
中国では、オイスターソースが発明される以前に青椒肉絲はすでに存在している。 現在では、中国でも青椒肉絲にオイスターソースが使われることもあるが、伝統的なレシピでは中国のたまり醤油(老抽:ラオチョウ)と薄口醤油(生抽:サンチョウ)、塩、胡椒で味つけし、オイスターソースは使われない。 また、『四川料理の調理法』(川菜烹饪技术)では、老抽や生抽ではなく、四川で「豆油」とよばれる醤油と塩のみで、豆板醤は使われていない。
調理
青椒肉絲は、中国の家庭、日本の家庭でも極めて手軽に作られている料理であり、特に作り方に関しては難しく捉えられていない料理でもある。 しかし、材料や味付けもシンプルがゆえに、プロの料理人(厨师:チュシー)と素人の差が歴然と現れる料理である。 青椒肉絲は中国の清朝末期、王室で雇う料理人の腕を試すために用いられ、強火で調理しつつ、細切り肉は柔らかさと旨味、ピーマンは熱が通っていながらもシャキッとしていることが求められた。 火を加えすぎるとピーマンは軟らかくなり、同時に肉は硬くなる。 逆に火が足りないとピーマンは生と同様の青臭さで、肉は香ばしさを失う。 青椒肉絲は両食材の歯ごたえや味わいを相対させながら一皿にバランスよく共存させなければならない奥深い料理である。
ピーマンの切り方は、中国も日本も含めて店や家庭によって切り幅もそれぞれで、果実に対して縦も横も存在する。 綺麗に細長く麺状のストレートにする場合は果実に対して縦に切る。 四川料理の第一人者である陳建民は、ピーマンを噛んだときに甘味を感じられるとして果実に対して輪切りにする方向で細切りにする方を選んだ。 この細切りは果肉がカールするのが特徴である。
ヌーベル・シノワ
近年では、ヌーベル・シノワを基調とする風潮もあり、中華料理も二分化しつつある。 ヌーベル・シノワは決して大衆的な料理ではなく、中国において未だ主流にはなっていないが、中国料理の新派として認知されているジャンルの一つである。 盛り付けばかりが注目されることも多いが、食材や料理法においても幅広く取り入れるスタイルである。
陳建民の息子である陳建一がプロデュースする赤坂 四川飯店が母体の「スーツァンレストラン陳」では、和牛サーロインを真空調理したチンジャオロース(真空青椒牛排)を提供している。
現存する日本最古の中国料理店であり、ヌーベル・シノワ調の料理も多い「萬珍樓 本店」では、和牛を用いつつ、チンジャオロースに関しては至ってオーソドックスなスタイルである。
ギャラリー
- 明治17年(1884年)創業「聘珍樓 横濱本店」:2022年5月15日に閉店するまで日本最古の中国料理店であった
- 明治25年(1892年)創業「萬珍樓 本店」:現存する日本最古の中国料理店
- 明治創業「中華菜館 同發 本館」:横浜中華街の広東料理の老舗
- 大正15年(1926年)創業「一楽」:横浜中華街の広東・四川料理の老舗(広東料理として創業)
- 昭和35年(1960年)創業「重慶飯店 本館」:横浜中華街の四川料理の老舗
- 昭和36年(1961年)創業「中國上海料理 四五六菜館」:横浜中華街の上海料理の老舗
- 昭和35年(1960年)創業「民生 廣東料理店」:兵庫・神戸中華街(南京町)最古の中国料理店
- 昭和03年(1928年)創業「中国料理館 会楽園」:長崎・新地中華街(長崎市)最古の中国料理店
- 昭和19年(1944年)創業「中国名菜 京華園」:長崎・新地中華街で会楽園にならぶ老舗
- 昭和21年(1946年)創業「中國菜館 江山楼」:長崎・新地中華街で会楽園にならぶ老舗