「暑中の飲物(食道楽)」の版間の差分

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[[File:Japanese Tomato Dishes - Akanasu no Sandwich.png|thumb|right|200px|赤茄子のサンドウィッチ]]
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[[File:Japanese Tomato Dishes - Akanasu no Stew.png|thumb|right|200px|赤茄子のシチュー]]
 
'''暑中の飲物'''(しょちゅうののみもの)は、明治36年(1903年)発行された村井 弦斎(むらい げんさい)の小説『[[食道楽]]』「[[食道楽・秋の巻|秋の巻]]」に[[トマト|赤茄子]]を用いる料理が登場する項である。
 
'''暑中の飲物'''(しょちゅうののみもの)は、明治36年(1903年)発行された村井 弦斎(むらい げんさい)の小説『[[食道楽]]』「[[食道楽・秋の巻|秋の巻]]」に[[トマト|赤茄子]]を用いる料理が登場する項である。
  
== 第二百十三 旅の弁当 ==
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== 第二百三十一 暑中の飲物 ==
 玉江嬢は料理法を習うに熱心なり「鮎の鮨はどうして拵えます」お登和嬢「あれは鮎を開いて骨を抜いて塩を当てて塩が浸みたら上等の酢へ漬けて二、三時間以上置きまして御飯へは極く上等の酢と塩とを入れて炊きます。
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 夏の飲料は何人もその製法を知らざるべからず。
あるいは炊いた御飯へ酢と塩とを混ぜても出来ますが炊いた方が結構です。
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玉江嬢いよいよ熱心に「先生、そういう事を伺いまして私は何より悦ばしく思います。
もし酢が悪くって甘味が少ければ少しのお砂糖を加えてもようございます。
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氷水の害はお医者に聞いておりましたがさて何を以て氷水に換えようという事を存じません。
その御飯を鮎の腹へ溢れ出す位に詰めて手でよく抑えてそれから鮓箱へ入れますが鮓箱がなければ落し蓋のある箱へ並べて薄く切った生姜をバラバラと載せて蓋の上から圧石をしておきますと半日位で食べられます」と語るに連れて広海子爵東海道の鮨を連想し「お登和さん、長雨が続いて鮎が少しもない時分でも鮎の鮨を売っていますね、あれはどうして保存するのでしょう」お登和嬢「あれは開いた鮎へ沢山な塩を当てて樽へ詰めて圧石を置いてちょうど沢庵漬のようにしておきます。
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その外にまだ美味しいものがございますか」お登和嬢「さようですね、菓物のシロップを沢山拵えておいてそれを湯冷しの水へ注して壜へ入れて井戸の中か氷で冷しておけば美味しい飲料が何でも出来ます。
そうすると二月でも三月でも持ちます。
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シロップは先日もお教え申したように桃でも梅でも杏でも李でも梨でも牡丹杏でも林檎でも苺でも何でも水気を付けずに皮を剥いてザラメ糖か角砂糖を振かけて半日ほど置くと砂糖が溶けて菓物の液を沢山呼び出します。
それを使う時は水へ鮎を入れて南天の葉を交ぜておきますと二、三時間で塩が抜けます。
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それを弱い火にかけて浮いて来るアクを幾度も掬い取りながら一時間ほど煮てその身はジャムにしますし、液は二度ばかり漉してモー一度火へかけて二十分間も煮て壜へ詰めて栓を確りしておくと一年でも二年でも持ちます。
それを鮎の鮨に拵えたのですからそういう風にしたのは鮮しい魚で拵えたのと大層味が違います」広海子爵「全体汽車で旅行をする時一番困るのは食物ですね。
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家になければ食品屋で買うと色々なシロップが出来ています。
汽車の窓から腹塞に買う食物は気味が悪くって滅多に食べられません。
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それを極ごく美味しくして戴きますには食品屋から英国製のライムジュースというレモンに似て小さいライムの液を買って大きなコップへそのライムジュースを小匙に二杯、菓物のシロップを小匙二杯、葡萄酒を二杯位の割で混ぜて湯冷しの水を注いで壜へ入れて井戸の中か氷で冷しておくのです。
殊に暑い時分はなおさらです。
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これは誠に結構なものです。
中川さんは旅行する時どうなさいますか」中川は何か饒舌たくて溜まらぬ処「ハイ私は手製の弁当を持って歩きます。
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それからモット上等の飲料を拵えるには玉子の黄身四つへ砂糖を大匙三杯混ぜて一合の牛乳を少しずつ注いで行ってそれを湯煎にして暫しばらく掻廻すとドロドロしたカスターソースが出来ます。
一度や二度の弁当で済む時ならばお登和にサンドウィッチを拵えさせますが手製のサンドウィッチを食べては買った品を食べられません。
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そのソースを壜へ入れて井戸の中か氷へ冷しておきます。
売っているサンドウィッチは大概ハムをパンの間へ挟んだのですが宅では色々のサンドウィッチを作ります。
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食べる時に玉子の白身へ少し砂糖を入れてよくよく泡立たせてレモン汁かライムジュースか何か酸いものを白身へ加えてまた泡立たせて今のソースをコップへ注いでその上へ白身を載せて匙で掻き廻しながら戴きますとそれはそれは美味しゅうございます。
先ず手軽いのが玉子のサンドウィッチで湯煮た玉子を黄身も白身も一緒に裏漉にして塩を少しとバターとを好きほどに混ぜて煉ります。
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カステラへこのソースを掛けて出すといよいよ結構です。
パンの薄く切ったのへバターを塗って今の玉子を挟んで両方から合せてまた小さく切って紙へ包めばポッケットへでも何処へでも入ります。
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全体は菓物の煮たのへかけるのが本式です。
極く急ぐ時にはジャムばかりを塗っても出来ます。
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暑いから何か飲みたいという時にはこういうものに限ります。
赤茄子のサンドウィッチは大層結構ですが、毎度お話に出るマイナイソースを少し固く拵えてパンへ塗って生の赤茄子へ沸湯をかけて丸のまま皮を剥いて薄く切ってパンの間へ挟んで小さく切ります。
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くれぐれも氷水を飲んではいけません。
外の野菜やチサ菜のようなものでもその通りにして出来ます。
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もし旅行中かあるいは田舎へ行ってラムネのようなものが欲しい時には瑞西製のソドルという器械付の壜を買って今のシロップでもあるいは牛乳でもビールでも何でも飲料へ炭酸瓦斯を入れて飲むと胸がすいて心持がようございます。
それからパンの方へバターを塗りその上へ溶いた芥子を塗ってパンの間へ牛肉のロースか鳥のロースを挟んで小さく切っても出来ますが、丁寧にすればその肉を肉挽器械で挽いてバターと塩と溶き芥子と外に細かく刻んだ玉葱でも交ぜて少し煉るようにしてパンの間へ挟むとようございます。
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冷水を飲むにもソドルにすれば殺虫の功があります。
あるいは鑵詰の鰯の皮と骨を除って挟んでも出来ます。
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この頃は新式の軽便なのも出来ています。
ハムのサンドウィッチは今のようにパンへバターと芥子と塩を塗ってザット湯煮たハムを挟むのです。
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今申したように良人や親が炎天をセッセと帰って来たら先ずこんな飲料を出しておいて、御飯の副食物にはマイナイスソースで和えた赤茄子とチサ菜のサラダでも出して御覧なさいまし。
よく外の人はハムを湯煮ずに食べますがあれは極く危険です。
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それはそれは頬の落ちるほど美味しく感じます。
こんな弁当は汽車中ばかりでありません。
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決して金銭に換えられない家庭料理の真味が分かります」玉江嬢「そういう処が一家の妻君たる人の働きですね。赤茄子の料理は随分色々伺いましたがまだ外にございますか」お登和嬢「赤茄子のシチューと申すのは湯をかけて指で皮を剥むいて二つに切って種を絞り出して赤茄子が五つならばバター大匙一杯と塩胡椒とを混ぜて弱い火で二十分間煮ます。 それへパンのサイの目に切ったのをバターで揚げて交ぜるとなかなか結構です。 これは全体フーカデンなんぞの付合せですがこれだけでも食べられます。 それからシタフトマトと申しますのは生のトマトの皮を剥いて中央まんなかを上の方からくり抜いてその中へ湯煮玉子の細かく切ったのをマイナイスソースで和えてそのまま出してもよし、湯煮た魚の身を細かく切ってマイナイスで和えて詰めてよし、牛肉や鳥肉の細かにしたのを和えて詰てもよいのです。この方が煮たのよりも味が良いいようです」
会社へ出るとか役所へ出るとかする人は腐りかかった弁当飯を取寄せて食べるより自宅で美味いサンドウィッチを拵えて持って行く方がどんなに利益だか知れません。
 
主人が外へ出て弁当飯を食べるのは妻君の恥辱と申してもいいのです。
 
遠くへ旅行する時にはサンドウィッチの外に食品屋からポテットミートと申して砕き肉の料理した極く小さい鑵詰を買って途中でそれをパンへ塗って即席のサンドウィッチを作ります。
 
西洋人もよくそうしていますがなかなか便利です」と我邦の旅行者は平生最も食物に注意を要す。
 
 
 
== 登場する料理 ==
 
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Image:Shokudouraku Natsu no Maki in 1903 - Foods appearing in Shocyu no Nomimono(Ayu Zushi).png|鮎の鮨
 
Image:Shokudouraku Natsu no Maki in 1903 - Foods appearing in Shocyu no Nomimono(Eki Ben).png|駅弁<small>(JR姫路駅の元祖・幕の内弁当:明治21年復刻)</small>
 
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== 参考文献 ==
 
== 参考文献 ==
*『食道楽・秋の巻』:明治三十六年(第二百十三・旅の弁当)村井 弦斎
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*『食道楽・秋の巻』:明治三十六年(第二百三十一・暑中の飲物)村井 弦斎
 
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[[カテゴリ:日本の旧トマト料理|し]]
 
[[カテゴリ:日本の旧トマト料理|し]]

2022年5月2日 (月) 19:08時点における版

赤茄子のシチュー

暑中の飲物(しょちゅうののみもの)は、明治36年(1903年)発行された村井 弦斎(むらい げんさい)の小説『食道楽』「秋の巻」に赤茄子を用いる料理が登場する項である。

第二百三十一 暑中の飲物

 夏の飲料は何人もその製法を知らざるべからず。 玉江嬢いよいよ熱心に「先生、そういう事を伺いまして私は何より悦ばしく思います。 氷水の害はお医者に聞いておりましたがさて何を以て氷水に換えようという事を存じません。 その外にまだ美味しいものがございますか」お登和嬢「さようですね、菓物のシロップを沢山拵えておいてそれを湯冷しの水へ注して壜へ入れて井戸の中か氷で冷しておけば美味しい飲料が何でも出来ます。 シロップは先日もお教え申したように桃でも梅でも杏でも李でも梨でも牡丹杏でも林檎でも苺でも何でも水気を付けずに皮を剥いてザラメ糖か角砂糖を振かけて半日ほど置くと砂糖が溶けて菓物の液を沢山呼び出します。 それを弱い火にかけて浮いて来るアクを幾度も掬い取りながら一時間ほど煮てその身はジャムにしますし、液は二度ばかり漉してモー一度火へかけて二十分間も煮て壜へ詰めて栓を確りしておくと一年でも二年でも持ちます。 家になければ食品屋で買うと色々なシロップが出来ています。 それを極ごく美味しくして戴きますには食品屋から英国製のライムジュースというレモンに似て小さいライムの液を買って大きなコップへそのライムジュースを小匙に二杯、菓物のシロップを小匙二杯、葡萄酒を二杯位の割で混ぜて湯冷しの水を注いで壜へ入れて井戸の中か氷で冷しておくのです。 これは誠に結構なものです。 それからモット上等の飲料を拵えるには玉子の黄身四つへ砂糖を大匙三杯混ぜて一合の牛乳を少しずつ注いで行ってそれを湯煎にして暫しばらく掻廻すとドロドロしたカスターソースが出来ます。 そのソースを壜へ入れて井戸の中か氷へ冷しておきます。 食べる時に玉子の白身へ少し砂糖を入れてよくよく泡立たせてレモン汁かライムジュースか何か酸いものを白身へ加えてまた泡立たせて今のソースをコップへ注いでその上へ白身を載せて匙で掻き廻しながら戴きますとそれはそれは美味しゅうございます。 カステラへこのソースを掛けて出すといよいよ結構です。 全体は菓物の煮たのへかけるのが本式です。 暑いから何か飲みたいという時にはこういうものに限ります。 くれぐれも氷水を飲んではいけません。 もし旅行中かあるいは田舎へ行ってラムネのようなものが欲しい時には瑞西製のソドルという器械付の壜を買って今のシロップでもあるいは牛乳でもビールでも何でも飲料へ炭酸瓦斯を入れて飲むと胸がすいて心持がようございます。 冷水を飲むにもソドルにすれば殺虫の功があります。 この頃は新式の軽便なのも出来ています。 今申したように良人や親が炎天をセッセと帰って来たら先ずこんな飲料を出しておいて、御飯の副食物にはマイナイスソースで和えた赤茄子とチサ菜のサラダでも出して御覧なさいまし。 それはそれは頬の落ちるほど美味しく感じます。 決して金銭に換えられない家庭料理の真味が分かります」玉江嬢「そういう処が一家の妻君たる人の働きですね。赤茄子の料理は随分色々伺いましたがまだ外にございますか」お登和嬢「赤茄子のシチューと申すのは湯をかけて指で皮を剥むいて二つに切って種を絞り出して赤茄子が五つならばバター大匙一杯と塩胡椒とを混ぜて弱い火で二十分間煮ます。 それへパンのサイの目に切ったのをバターで揚げて交ぜるとなかなか結構です。 これは全体フーカデンなんぞの付合せですがこれだけでも食べられます。 それからシタフトマトと申しますのは生のトマトの皮を剥いて中央まんなかを上の方からくり抜いてその中へ湯煮玉子の細かく切ったのをマイナイスソースで和えてそのまま出してもよし、湯煮た魚の身を細かく切ってマイナイスで和えて詰めてよし、牛肉や鳥肉の細かにしたのを和えて詰てもよいのです。この方が煮たのよりも味が良いいようです」

参考文献

  • 『食道楽・秋の巻』:明治三十六年(第二百三十一・暑中の飲物)村井 弦斎