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2023年2月12日 (日) 01:11時点における版
マンゴープリン(芒果布甸 - 広東語:モングォボーディン/中国語:マングォポウディン)は、香港で定番のデザート(甜品:ティエンピン)である。
マンゴー
伝説
ある時、釈迦(本姓:ゴータマ・シッダールタ/梵:गौतम सिद्धार्थ)へ敬虔な信者がマンゴー園を提供し、その木陰で休息できるようにしたという。 マンゴーの葉や花、休眠中のモチーフは、インドの仏教やヒンドゥー教の僧院で見ることができる。 ヒンドゥー教では、この花の5枚の花弁は愛の女神カーマデーヴァ(梵:कामदेव)の5本の矢を表していると信じられ、ヒンズー教の女神であるサラスワティ(サンスクリット語:सरस्वती)を敬うためにこの花を使う。 1556年から1605年にかけて、ムガル帝国の第3代皇帝アクバルはデリーの近くに当時は世界でも稀な10万本のマンゴーの果樹園を持っていたという。 マンゴーをインド国外へ紹介したのは、中国・唐代の僧である玄奘(げんじょう:602年 - 664年3月7日)で、彼が筆録した『大唐西域記』(だいとうさいいきき)に「庵波罗果」(あんもらか)と記したのが最初とされている。 その後、タイ、マレーシア、フィリピン、インドネシアなどの東南アジア諸国を経て、地中海沿岸の国々にも広がっていった。 ブラジルや西インド諸島、アメリカのフロリダ州に広まったのは18世紀になってからである。
文化
マンゴーは、インドの国民的フルーツであり、一般市民も宗教家もこの果実に特別な意味があると信じられている。 マンゴーの木はインドの神話の中に登場する決して枯れることのない天上の木で希望の果実を与える人を意味する「カルパブリクシャ」(サンスクリット語:कल्पवृक्ष)とも呼ばれる。 インドの多くの寺院には、背の高いマンゴーの果樹が植えられており、実が熟す季節になると寺院の僧侶が質の良いものを選び、神に捧げる。 インドでは、果実は幸運のシンボルと信じられており、結婚式では果樹の枝や葉を使って、結婚式の天蓋までの通路を作ることが好まれる。 結婚式でマンゴーの木を飾らないと、インド人は「結婚がうまくいっていない」「これからの人生、幸せにはなれない」と不吉なイメージを持つ。 敬虔な信者の中には、この木の枝や葉から水を汲み、寺院の近くで水をかけることを日課とする人もいる。 これは、神への敬意を表し、また彼らの献身的な姿勢を示すためである。 インド人がマンゴー文化を世界に広めるにつれて、多くの人々がマンゴーを口にするようになった。 インドの独立後、自国の指導者たちはマンゴー外交を好んだと言われている。 インドの「マンゴー文化」がこれほどまでに有名になり、広く海外に普及したのは、この影響が大きい。
マンゴー崇拝
マンゴー崇拝(中国語:芒果崇拜/英:Mango Cult)は、中国における文化大革命時代のマンゴーの崇敬、崇拝のことである。 1968年8月5日、毛沢東はパキスタン外相のミアン・アルシャド・フセインから贈られたマンゴー1箱を清華大学に駐在する労働者・農民毛沢東思想宣伝班に贈った。 これ以後、マンゴーは毛沢東の愛情の象徴となった。 マンゴーは食べるのではなく、ホルムアルデヒドで保存されたり、蝋で封印され、崇拝の対象とされた。 マンゴーを労働者に贈る毛沢東の行動とマンゴー崇拝の出現は、文化大革命の転機、つまり労働者階級が文化大革命に賛同し始めたことを示している。
成分と薬理作用
マンギフェリン
マンギフェリン(英:Mangiferin/中国語:芒果甙)は、マンゴーの果実に多く含まれることで知られる天然由来のキサントン誘導体である。 最初にマンゴーの葉と樹皮から単離された。
マンギフェリンには、抗酸化作用、抗菌作用、抗炎症作用、抗糖尿病作用、抗高尿酸血症作用、抗ウイルス作用、抗アレルギー作用、抗ガン作用、コレステロール低下作用、免疫調節作用など、多くの健康増進作用があるとされる。 その効果は、腫瘍壊死因子α(TNF-α)の発現抑制、アポトーシス誘導などである。 また、この化合物は脂質過酸化反応をブロックすることができる。 多くの研究は、マンギフェリンが糖尿病治療のための強力な薬になり得ることを示している。 また、ビタミンEよりも抗酸化作用が高く、皮膚の酸化的損傷を防ぐのに役立つ。
これらの特性から、天然薬として伝統医学、栄養補助食品、化粧品として広く利用されている。
マンゴーポリフェノール
2010年、米国テキサス州の農業および生命科学研究機関(テキサス州立・A&M大学)である「テキサス・A&M・アグリライフ研究センター」(Texas A&M AgriLife Research)の食品科学者は、マンゴーのポリフェノール抽出物に、結腸がん、乳がん、肺がん、前立腺がん、白血病の予防効果があることを発見した。 その中でも乳がんと結腸がんに最も効果的であったという研究結果を発表している。
東洋医学
アーユルヴェーダ
インドでマンゴーは古来より代替医療であるアーユルヴェーダにおいて、様々な薬として使われてきた。 マンゴーの木の葉を乾燥させたものは、その抗菌性と防腐性によって傷を治癒する効果もある。
漢方
1596年に中国の代表的な本草学の集大成『本草綱目』を編纂したことで知られる明代の医師・李時珍(りじちん)はマンゴーを「果物の最高峰」“ 果中极品 ”とよんだ。 多くの人はマンゴーの芯を捨ててしまうが、中国では芯を生姜と豆豉(トウチ)と水で煮て風邪薬として有効利用する。
栄養価
食用効果
抗がん
マンゴーの果実には、マンギフェロン酸(Mangiferonic acid)、イソマンギフェノール酸(Isomangiferolic acid)などの三酢酸とポリフェノール化合物が含まれており、抗がん薬理効果がある。 したがって、マンゴーを摂取することは、特定のがん予防と治療に有効である。
血中脂質低下
マンゴーのビタミンC含有量は56.4%~98.6%と一般の果物に比べて多く、マンゴーの葉もビタミンC含有量が多く、加熱加工しても含有量や栄養が損なわれない特徴がある。 したがって、マンゴーを定期的に食べることで、体内のビタミンCの消費を常に補充し、コレステロールや中性脂肪を下げ、心血管疾患の予防に役立てることができる。
視力改善
免疫力活性
アンチエイジング
乗り物酔い防止
香港
許留山
許留山(広東語:ホイラウサーン/日本語:きょりゅうざん)は、香港式デザートで独占的な地位を確立していた香港最大のデザート専門チェーンである。
1950年代、香港・元朗区の路上で創業者である徐慈玉が医者であった亡き父の名「徐留山」を店名に使い、亀ゼリー(龜苓膏:グイリンガオ)と漢方薬を台車の載せ、移動式屋台で販売したのが始まりである。 1960年、元朗区に最初の店舗を構え、名物の特種亀苓膏と漢方茶の店として徐々に規模を拡大していった。 この店舗は許留山発祥の店であり、他の近代的な支店とはスタイルが異なり、当初の形態や雰囲気を色濃く残していた。
亀苓膏と漢方茶を販売するにあたり、漢方茶は苦すぎるため、デザートと共に提供することを余儀なくされ、メニューにデザート(甜品:ティエンピン)が必然的に追加されていった。 1980年代、許留山はココナッツミルク(椰汁)、白玉団子(糖不甩)、ゼリー(果冻)、大根餅(萝卜糕)などのデザートを販売し始め、予想外に多くの人々から人気をよび、かつての苦い漢方茶の店から新鮮なフルーツデザート店への転換期を迎えたのである。
1992年に発売したスイーツ「マンゴータピオカ」(芒果西米捞)が大ヒットした。 許留山は、フィリピン・ルソン島の厳選されたマンゴーを直送し、毎日支店に届けていた。 マンゴーをメインとした人気デザートやドリンクを数多く生み出し、マンゴーデザートの元祖ともいえる存在となった。 また、マンゴープリンを広く知れ渡らせた開祖である。 2000年には香港を訪れる海外や日本を含む観光客の間でも必ず立ち寄るべきグルメスポットとなっていた。
拡大と終焉
2009年、創業者の徐一族は、全株式をマレーシアの外資系投資会社であるナビス・キャピタル(Navis Capital)に売却し、急速に拡大。 2012年には、海外市場の第一歩としてマレーシアのクアラルンプール、ペナン、ジョホールバール、マラッカに出店した。
2014年に全盛期を迎え、アジアには276の支店があり、そのうち155が直営店で、2016年までに総売上高は4億6000万元に達し、“ 香港で一番山が多い山といえば許留山 ” と形容されるほどであった。 キャッチフレーズは「All Mango. All the time.」、イメージキャラクターもマンゴーだった。
2017年の時点で、許留山は中国で584店舗ものフランチャイズ店を所有し、マレーシア、マカオ、シンガポール、アメリカ、韓国、台湾にも店舗を構えていた。
許留山は、過剰投資による拡大によって債務超過に陥り、関連する企業との訴訟問題は最終的に香港高等裁判所に持ち込まれ、2021年5月26日、相互の同意により解散命令を下した。 これによって、ほとんどの店舗が閉鎖した。 この末路は過剰投資と株によるファイナンス的な思惑・問題に合わせて、ある種の経済的ショックによって引き起こる典型的なものである。
最後の店として唯一残っていた香港・油塘店(フランチャイズ店)が2021年11月末に閉店することがメディアで報じられ、廃業を惜しむ多くの人たちが詰めかけた。
許留山は香港の人々にとって、長らく老若男女を問わずコミュニケーションの場でもあった。 台風などの悪天候で、ほとんどの店が休業する中でも、許留山だけは営業していた。 店内に広東語が賑やかに飛び交う日常の情景は香港の人々の想い出に代わった。
許留山は歴史に幕を閉じたが、香港デザートという知名度を広く認知させた功績を残した。 許留山の考案したスイーツは多くの店で提供されるようになっている。
ギャラリー
- 明治17年(1884年)創業「聘珍樓 横濱本店」:2022年5月15日に閉店するまで日本最古の中国料理店であった
- 明治25年(1892年)創業「萬珍樓 本店」:現存する日本最古の中国料理店
時事
- 2021年05月26日:1960年に創業した香港最大のデザート専門チェーン『許留山』は債務超過の状況となり、香港高等裁判所から清算命令を受けた後、そのほとんどの店が閉鎖した。 許留山はマンゴーを主力としたデザートで人気を博し、香港式デザート業界で独占的地位を確立していた。
- 2021年11月26日:許留山の最後の支店(フランチャイズ店)として唯一残っていた油塘支店が予定の28日より2日早い26日をもって営業を終了した。 事実上、許留山は歴史に幕を閉じた。