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'''カレー'''(かれー)は、終戦後の連合国軍占領下(1945年・昭和20年9月2日 - 1952年・昭和27年4月11日)にあった昭和23年(1948年)から学校給食に導入された献立である。 | '''カレー'''(かれー)は、終戦後の連合国軍占領下(1945年・昭和20年9月2日 - 1952年・昭和27年4月11日)にあった昭和23年(1948年)から学校給食に導入された献立である。 | ||
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当時は脱脂粉乳と安価だった鯨肉が使われていた。 | 当時は脱脂粉乳と安価だった鯨肉が使われていた。 | ||
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昭和57年(1982年)には(公社)全国学校栄養士協議会が学校給食創立35周年を記念して1月22日を「カレーの日」と定め、全国の小中学校の給食で一斉にカレーライスが出された。 | 昭和57年(1982年)には(公社)全国学校栄養士協議会が学校給食創立35周年を記念して1月22日を「カレーの日」と定め、全国の小中学校の給食で一斉にカレーライスが出された。 | ||
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*カレー粉:4g(小さじ2) | *カレー粉:4g(小さじ2) | ||
=== 調味料 === | === 調味料 === | ||
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*しょうゆ:4g(小さじ1弱) | *しょうゆ:4g(小さじ1弱) | ||
*塩:5g(小さじ1弱) | *塩:5g(小さじ1弱) | ||
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=== 他 === | === 他 === | ||
*ローレル:1枚 | *ローレル:1枚 | ||
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④ 野菜が軟らかくなったら、調味料、②のルウを加える。 | ④ 野菜が軟らかくなったら、調味料、②のルウを加える。 | ||
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+ | 救給カレーは「いのちをつなぐ」カレーとして、給(食)を救うカレーとして命名された。 | ||
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+ | そこで、全国の栄養教諭・学校栄養職員の手により、災害被災体験の教訓をもとに非常時に備えることを考え、成長期の子供たちの栄養バランス、心の安定、体力保持等、心身の健康に寄与することを目指して、ライフラインが途絶えた中で、救援物資が届くまでの72時間の間「命をつなぐ」ための非常食として開発された。 | ||
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+ | 原材料は国産のうるち米・スイートコーン・じゃがいも・人参・玉ねぎ・[[トマトピューレ]]・ぶなしめじなどが使われ、水を必要とせず常温で食べることが出来る。 | ||
== 関連項目 == | == 関連項目 == | ||
*[[昭和の給食一覧]] | *[[昭和の給食一覧]] | ||
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2024年3月25日 (月) 21:31時点における最新版
カレー(かれー)は、終戦後の連合国軍占領下(1945年・昭和20年9月2日 - 1952年・昭和27年4月11日)にあった昭和23年(1948年)から学校給食に導入された献立である。
歴史
終戦から2年後の昭和22年(1947年)1月、全国都市の児童約300万人に対し、学校給食が始まった。 その一年後の昭和23年(1948年)、全国の学校給食にカレーが導入され、この普及が基盤となり、カレーは国民食として発展していく。 当時は脱脂粉乳と安価だった鯨肉が使われていた。 また、カレーに限らず、給食の主食はご飯ではなく主にコッペパンであった。
昭和51年(1976年)、米飯給食が導入され、初めてカレーライスが登場する。 パン食の時代に比べ、メニューの種類が豊富になっていった。
昭和57年(1982年)には(公社)全国学校栄養士協議会が学校給食創立35周年を記念して1月22日を「カレーの日」と定め、全国の小中学校の給食で一斉にカレーライスが出された。
材料(四人分)
- ご飯:640g(4カップ)
- 豚肩薄切り:100g
- にんじん:60g(1/3本)
- 玉ねぎ:240g(中1個)
- じゃが芋:140g(中1個)
- にんにく:少々
- しょうが:少々
- 油:4g(小さじ1)
ルウ
- 油:30g(大さじ2.5)
- 小麦粉:30g(大さじ4弱)
- カレー粉:4g(小さじ2)
調味料
他
- ローレル:1枚
- 水:500ml(2.5カップ)
- 固形コンソメ:適量
作り方
① 豚肉は、一口大、にんじん、玉ねぎ、じゃが芋は、食べやすい大きさに切る。にんにく、しょうがは、すりおろす。
② ルウを作る。鍋に油を熱し、小麦粉を加え、焦がさないようにじっくり炒め、カレー粉を入れ、よく混ざったら火を止める。
③ 別の鍋に油を入れ、①の具をよく炒め、水、固形コンソメ、ローレルを入れて、よく煮込む。
④ 野菜が軟らかくなったら、調味料、②のルウを加える。
救給カレー
救給カレーは「いのちをつなぐ」カレーとして、給(食)を救うカレーとして命名された。
2011年3月11日14時46分18.1秒に発生した東日本大震災では建物の損壊、ライフラインの停止による学校給食施設の使用不能や、交通寸断による輸送不能により、給食の提供が不可能になり、震災直後は救援物資が届かず食料不足に陥った。 そこで、全国の栄養教諭・学校栄養職員の手により、災害被災体験の教訓をもとに非常時に備えることを考え、成長期の子供たちの栄養バランス、心の安定、体力保持等、心身の健康に寄与することを目指して、ライフラインが途絶えた中で、救援物資が届くまでの72時間の間「命をつなぐ」ための非常食として開発された。
原材料は国産のうるち米・スイートコーン・じゃがいも・人参・玉ねぎ・トマトピューレ・ぶなしめじなどが使われ、水を必要とせず常温で食べることが出来る。