「ベルジャン・フリッツ」の版間の差分

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実際、このタイプのフリットコットは、観光客やツアー客が行列をなす店とは全く異なる存在であり、店主と地元民とのフレンドリーな親密性、敷居の低さから多くの人々に愛されている定番のスタイルである。
 
実際、このタイプのフリットコットは、観光客やツアー客が行列をなす店とは全く異なる存在であり、店主と地元民とのフレンドリーな親密性、敷居の低さから多くの人々に愛されている定番のスタイルである。
 
フリットバラカが姿を消し、それを継ぐ屋台としてフリットコットはビルに入っている店舗よりも、多くの国民に支持され養護されている存在だが、首都ブリュッセルの都市計画では最終的に全てのフリットコットを店舗型のビルに移行させる計画と予算案まで持ち上がっており、絶滅を危惧する人々も多い。
 
フリットバラカが姿を消し、それを継ぐ屋台としてフリットコットはビルに入っている店舗よりも、多くの国民に支持され養護されている存在だが、首都ブリュッセルの都市計画では最終的に全てのフリットコットを店舗型のビルに移行させる計画と予算案まで持ち上がっており、絶滅を危惧する人々も多い。
2016年には、ベルギー北部のオースト=フランデレン州の州都ヘントで、多くの経営者と行政との間で数か月にわたって口論や小競り合いが続いた「フリッツ戦争」と呼ばれた出来事も起きている。
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2016年には、ベルギー北部のオースト=フランデレン州の州都ヘントで、多くの経営者と行政との間で数か月にわたって口論や小競り合いが続いた「フリッツ戦争」と呼ばれる出来事も起きている。
 
フリットコットは屋台ではあるものの、昔のように土地を自由に不法占有して営業しているわけではなく、正当な税金を長年納めてきた存在であることが大きな問題となっており、それにも関わらず、排他的で不当な扱いや権利費の吊り上げなどを受けて憤慨したものである。
 
フリットコットは屋台ではあるものの、昔のように土地を自由に不法占有して営業しているわけではなく、正当な税金を長年納めてきた存在であることが大きな問題となっており、それにも関わらず、排他的で不当な扱いや権利費の吊り上げなどを受けて憤慨したものである。
  

2023年6月7日 (水) 20:27時点における版

ベルジャン・フリッツ

ベルジャン・フリッツ(Belgian Fries)は、ベルギーの代表的な国民食であり、ベルギーに訪れる観光客の間でも必食の名物である。

概説

起源

小魚のフリッツ『プティ・ポワソン・フリッツ』
フリッツ店の最古の写真
(トゥルネー民俗博物館)1885年

起源は、15世紀初頭にスペイン人が新世界からジャガイモをヨーロッパに持ち込み、その200年後の17世紀に始まる。 現在のベルギー東部のリエージュ、ベルギー南部のナミュール州のディナンやアンデンヌの貧しい人々が、ムーズ川で小魚を獲って揚げて食べていた料理が起源で、冬になると川が結氷(けっぴょう)するため、ジャガイモを同じ要領で調理して誕生したとされる。

ムーズ川(フランス語:Meuse)は、オランダ語やドイツ語ではマース川(Maas)とよばれる西ヨーロッパの川で、フランスを源流とし、フランス、ベルギー、オランダを約950km経由して北海へ注ぐ川である。 ムーズ川には、大型の淡水魚も生息するが、小魚類も多数生息しているため、当時の小魚の揚げ物には多種の雑魚が利用されたと思われる。 現在は、複数種の小魚を揚げたものは家庭で作られるかもしれないが、レストランでは一種類が一般的で、「プティ・ポワソン・フリッツ」(Petits Poissons Frits)の名で知られている。

もう一つの伝承では、ジャガイモのフリッツが初めてベルギーに登場したのは1850年頃で、ムッシュ・フリッツ(Monsieur Fritz)と呼ばれるベルギーの露天商が、移動式の屋台車両(フードトラック)で売り始めたのが始まりとされている。 この露天商の名である “ フリッツ ”(Fritz)が、料理名の “ フリッツ ”(Fries)の語源であるという。 彼はフランスのモンマルトルのレストランで調理法を学び、ベルギーに帰国したといわれている。

特徴

マヨネーズ & ケチャップ
  • サイズ:ベルジャン・フリッツは厚く太め(約1cm)のスティック状。
  • :牛の脂、または牛の脂と馬の脂を混合した独特の油で揚げられる。
  • 揚げ方:二度揚げをするのが基本である。 二度揚げは20世紀初頭に生まれた技法で、二つのフライヤーを利用する。 まずは160℃の油で5分間揚げた後、油をよく切り30分置く。 その後、180℃の油で1分ほど揚げて黄金色に仕上げ、油をよく切って完成する。 保温器は一切使用せず、注文を受けてから仕上げるため、熱々の揚げたてが供じられる。
  • 味つけ:揚げた後の味付けは塩のみで胡椒は使われないのが一般的である。 また、無塩のまま提供され、用意された塩を客が好みの量かける場合もある。
  • ソース

ベルギーのフリッツ文化

フリットコット

フリッツの屋台(ブリュッセル・ジョルダン広場)

フリットコット(Fritkot)は、屋台のスタイルを踏襲するフリッツ専門店で、フリットコットの “ コット ”(kot)とは “ 小屋 ” の意味である。







フリッターリ

フリッツ専門店(ブリュッセル)

ベルギーには、フリッターリ(Friterie)とよばれるフリッツ専門店が 5,000軒近くあり、首都ブリュッセルにとどまらず、各地方や村に至るまで存在する。 ベルギー国民の25%は少なくとも週に1回、年間では80%の人々がフリッターリに通う。 ベルジャン・フリッツは、ベルギー人にとって、社会的地位、貧富、出身、言語、宗教を超えた儀式、習慣、および文化である。

この文化は、ベルギー本土とベルギー国境地域であるフランス北部とオランダ南部を除いて見られない。 ベルジャン・フリッツは、グローバリゼーションの波によって世界中に点在するファストフードのメニューにも波及し、フリッツ店はそれらファーストフード店と混同されがちだが、ベルギー国民にとって重要性をもつ食文化であり、アイデンティティである。

フリッツ店の派生スタイル

仮設型

フリットバラカ

良い雰囲気を醸し出している現役で人気のバラック風フリッツ店
セントピーターズ教会のキリスト像とフリットバラカ(ウェスト=フランデレン州・トルホウト)1960年~1980年

フリットバラカ(Frietbarak)は、バラック(掘っ建て小屋)スタイルのフリッツ専門店で、近代的な「フリットコット」の始祖である。 初期のフリットバラカは、廃材や合板、トタンなどを組み合わせて即席で設営した文字通りのバラックであり、シュールでカオスな店構えが大きな特徴である。 フリットバラカは日本で例えるなら、多くが姿を消した屋台やチャルメラのように、知らない世代の人々にとっても郷愁を誘うノスタルジックな存在であり、古来のフリッツ店の姿として、ベルギー国民の誰もが思い浮かべるスタイルである。

現在では、たとえば秘境と呼ばれるような場所で、尚かつ熱狂的で口の堅いコアなファンやマニア限定であれば、ある程度の営業は可能かもしれないが、現実問題としては見つかり次第「即撤去」の対象であるため、公(おおやけ)な営業は困難である。 すでに天然記念物に近く、市街地で見かけることは不可能に等しい。 郊外で神出鬼没に出現したところに偶然出会った、もしくは催事などの話題の一環として公式的に仮設されて拝見できるレベルである。 もし、似たような外観の店を見つけたとしても、それは古来のフリットバラカのように独立した小屋ではなく、別の建物に併設されたバラック風が大半である。

本来のバラックから進化したプレハブ工法のようなフリットバラカも生まれ、この両者は 1950年から1980年にかけて主流のスタイルとして非常に人気が高かった。 多くの歴史的建造物や教会に至るまで点在し、“ 外観的カオス ” と “ 景観的カオス ” が入り混じりながらも、敷居の低さで多くの庶民に愛された経緯がある。

しかし、その後、街の景観に支障をきたす根源として急速的に淘汰され、姿を消していった。 古来のリアルなバラック系は早い段階で姿を消し、それはプレハブ系にまで及んだ。 ベルギーには、現在でもフリッツ店のない市、自治体、村は存在しないが、全盛期には50,000軒あった店が10分の1の5,000軒にまで激減したのである。

一方、地域によってはフリットバラカを少なからず保護する動きもあり、復活をとげ、保守されている場所もある。 日本でも、あらためて時代を振り返った時、数少なくなったイニシエ系の店の存在が貴重であることを知り、雑然とした店内は、まるで時間の流れが止まったかような博物館級の空間を演出し、古き大衆文化の情緒・風情が味わえるグルメスポットとして世代を超えて理解され、どうにか絶滅を免れている。 真の美食家は、美食の一環として高級店にも足を運ぶが、庶民的な食べ物であろうと外観や店内がどうであれ、歴史や文化を味わい、探求する心の旅人のようなもので、フリットバラカは、そのような人たちにも陰で愛される存在であり続けるだろうと思われる。 フリットバラカは、ベルギーの象徴および無形文化遺産となったフリッツ文化の根本である。

フリットコット

古いフリットコットに貼られた誹謗中傷「町の恥」
撤去される古いフリットコット
ユネスコ世界遺産『ブルージュの鐘楼』にあるフリットコット(ウェスト=フランデレン州)

フリットコット(Fritkot)は、フリットバラカより近代的なものだが、余分な装飾はせず、いたってシンプルな構造が特徴である。 古いものは鉄板の直線的な外観で武骨さを醸し出している店もあれば、古典的なフリットバラカを彷彿させる小屋のような店もある。 これらのスタイルはフリッツ愛好家のみならず、多くの庶民に愛されているスタイルである。 店によっては、天候によって外に雨よけや日よけが用意される。

近年、都市部では行政の強制執行で解体されるケースや地域の議員の扇動に賛同したような姿が見えないステレス的な抗議運動、さらに “ 汚い、不衛生 ” などの助長したバッシングを一方的に受け、営業が困難となり、閉店に追い込まれるケースもある。 これらの多くは過去に “ 街の景観に支障をきたす根源 ” として淘汰され、すでに「絶滅」もしくは「風前の灯」となったフリットバラカから新たにフリットコット向けられたものである。 経年による古めかしい外観のフリットコットは、フリットバラカとの境界線を失い、年季の入った外観で店内空間が雑然としたフリットコットも混同され、中には 80年近く営業していた老舗が閉店、解体、移転を余儀なくされた事態も起きており、それを惜しむ人々もいる。

実際、このタイプのフリットコットは、観光客やツアー客が行列をなす店とは全く異なる存在であり、店主と地元民とのフレンドリーな親密性、敷居の低さから多くの人々に愛されている定番のスタイルである。 フリットバラカが姿を消し、それを継ぐ屋台としてフリットコットはビルに入っている店舗よりも、多くの国民に支持され養護されている存在だが、首都ブリュッセルの都市計画では最終的に全てのフリットコットを店舗型のビルに移行させる計画と予算案まで持ち上がっており、絶滅を危惧する人々も多い。 2016年には、ベルギー北部のオースト=フランデレン州の州都ヘントで、多くの経営者と行政との間で数か月にわたって口論や小競り合いが続いた「フリッツ戦争」と呼ばれる出来事も起きている。 フリットコットは屋台ではあるものの、昔のように土地を自由に不法占有して営業しているわけではなく、正当な税金を長年納めてきた存在であることが大きな問題となっており、それにも関わらず、排他的で不当な扱いや権利費の吊り上げなどを受けて憤慨したものである。

フリットコットは郊外では多く存在し、今日も多くの人々に愛され利用されているが、ブリュッセルのジョルダン広場でも見られるように、由緒ある場所では完全に認定された恒久的なフリットコットが主で、これらは屋台形式であっても不動産業の店舗物件と変わらない。 ユネスコ世界遺産『ブルージュの鐘楼』にあるフリットコットはイタリア人オーナーが破格の値段で入札して経営している。

このような典型的な淘汰の動きは、国外(または欧州外・ユーロ通貨圏外)の大規模な資本系ファーストフードの参入、または自国に上場する多国籍企業チェーンの独占を招き、いずれは一極集中型の流れを産み、本来あるべき伝統的な姿が歪曲されて置き去りになる傾向になりかねない。 また、これはのちに「ベルジャン・フリッツ・ショック」なるものを自在に引き起こせるスイッチボタンにもなるのである。

経済および観光客に対する外面ばかりを重視した時、観光客は伝統的なものを知ることなく口にして本物と思い、逆に本物を知っている自国の人々は愛することを辞め、遠ざかるという悪循環が生じる。 これは多くの国々に見られるものだが、本当の旅行者に対しての客観性を失っており、大局を見た時、これらの動きは経済や観光の観点においても、その場しのぎの短絡的なものでしかない。 古都や遺跡巡り、観光向けのレストランだけでは単なるバカンスであり、旅行の本質や必要性をいずれ失うことになる。

廃車両型

キャラバンのフリッツ屋台

バス、キャンピングカー(キャラバン)、鉄道車両を問わず、ほとんどの場合は役目を終えた車両かスクラップ行きの車両を利用しており、エンジンが稼働する車両があるにせよ、ナンバーもないため、キッチンカーのように公道を移動することもない。 主に殺風景な空き地のような場所にあり、投棄された車両のごとく野ざらしになっているため、その風貌はバラックに引けを取らない店もある。




日本でも廃車両を利用したスタイルが過去に存在し、一時は「バスラーメン」というジャンルで呼ばれるほどの時代があった。 しかし、全国的に存在した通称「廃バスラーメン」は消滅の一途をたどり、特に最多で有名であった和歌山県はマニアの間では文化遺産とまで呼ばれていたが、徐々にその数を減らし、唯一残っていた最後の一軒が2019年9月に廃業した時点で事実上、本当の意味でのレトロな廃バスラーメンは絶滅している。

移動車両型

ワゴンタイプのフリッツ屋台

車両ごと移動可能なフードトラック(日本でいうキッチンカー)は、行政の許可を得ることが困難となり、許可証を持っていたとしても更新不可による失効で、時代と共に徐々に姿を消しつつある。 それまでフードトラックは街々の駅や交差点などでも見かける存在であった。

2007年には、ベルギー北部を占めるフランデレン地域の2つの自治体が、公道でのフリッツ販売を全面的に禁止した。 ベルギーの国境に接するフランス北端の地域であるノール=パ・ド・カレー(2016年3月4日から現在の オー=ド=フランス地域)でも同じような傾向が見られ、撤退もしくは業態を改めることを余儀なくされている。

現在では、当局の許可および指導で、牽引可能なトレーラー(ワゴンタイプ)に姿を変え、営業場所が固定されている場合が多い。 見本市(Foire:フォワール)、守護聖人祭(kermesse:ケルメス)などのフェアや縁日バザー、コンサート、スポーツイベント、スタジアム周辺、遊園地、競馬場など多くの人々が集まる場所では、依然として風物詩の役割を担い、その存在感を示している。

常設型

シャレー風

シャレー風のフリットコット

シャレー(仏:Chalet)とは、スイスやヨーロッパのアルプス地方の伝統的な木造家屋のことで、それを模したフリットコットである。

自然の多い郊外や緑に囲まれた公園内の要所要所に存在することが多く、中には花壇やランタンを吊し、バンガローやコテージのような雰囲気を醸し出しているのが特徴である。 夜には灯りがともされたり、ライトアップや看板のネオンが光ることが多い。 しかし、気軽にフリッツを楽しむ人々や愛好家からは、ブルジョワ過ぎて敷居が高いという印象を受けている。

複合型

住居型

増築・拡張型

増築を加えて設けられたフリッツ店は独立した店ではなく、他の飲食業態と連携しているため「別館」と呼ばれることもある。 調理場およびフライヤーは共有となっており、場合によっては本体の店と増築された店とを隔てる壁を打ち貫いて空間を一体化している店もある。

サロン型

豊富なメニューを取り揃えているスナックバーであり、フリッツ専門店ではない。 座席を設け、店外の装飾、花々、BGMなどで高級感を演出しているのが特徴である。 気軽にフリッツを楽しむ人々や愛好家からはビジネス志向のスタイルとされている。

サン・テュベール教会にある近代的なフリットバラカ(ナミュール州・アン=シュル=レス)
減少傾向にあるフードトラックのフリッツ店(2010年)
  • 屋台
    • 仮設型
      • フリットバラカ
        • プレハブタイプ
        • バラック風
        • 廃車両型
          • バス
          • キャラバン
          • 電車
        • フリットコット
          • 常設型フリットコット
            • シャレー風
          • 店舗物件型フリッツ専門店
            • 複合型
              • 住居型
              • 増築・拡張型
              • サロン型
    • 移動車両型
      • フードトラック
        • 牽引トレーラー


フリッツ博物館

フリッツ博物館の門と看板
フリッツ博物館の全景
(ベルギー・ブルージュ)

フリッツ博物館(Friet Museum)は、2008年5月に開館したベルギーのブルージュにある博物館で、ジャガイモとフリッツに特化した世界で唯一の博物館であることを誇りにしている。 世界中の観光および旅行ガイドを出版しているロンリープラネット(Lonely Planet)のガイド「ベスト・イン・トラベル 2013」では、「世界の奇妙な食べ物博物館 10」で紹介されており、今日も人気の博物館である。

ブルージュの都市中心部は、レンガ造りのゴシック建築の街並みが何世紀にもわたって残っており、「ブルージュ歴史地区」(Historic Centre of Brugge)として、ユネスコ世界遺産に登録されている。 芸術においては、初期フランドル派の発祥の地であり、ヤン・ファン・エイク(Jan van Eyck:1395年頃 - 1441年7月9日)や ハンス・メムリンク(Hans Memling:1430~1440年頃 - 1494年8月11日)などの芸術家の絵画発展の中心地であった。 16世紀の宗教戦争とフランス革命を除き、第一次世界大戦や第二次世界大戦、その他の紛争による荒廃を免れ、19世紀の産業革命でも、市の南西部にある鉄道駅を除いて、町の構造はほとんど影響を受けていない。

フリッツ博物館は、世界遺産に登録されている「ブルージュ歴史地区」にあり、1399年に建造された歴史的指定建造物を利用している。

呼称問題

ベルジャン・フリッツは、「フレンチ・フライ」(French fries)の名で広く伝わった。 現在もベルギーの公用語が、フランス語・ドイツ語・オランダ語であるように、第一次世界大戦中、ベルギーでフランス語を話す地域に駐留していたアメリカ兵は、自分たちがフランスにいると勘違いしていたことに起因する。 この料理を食べた兵士たちは「フレンチフライ」という呼び名をつけた。

定番のソース

社会・時事

ベルギーの首相シャルル・ミシェル氏がフリッツ襲撃をうける。(2014年12月22日)
ドイツの首相アンゲラ・メルケル氏がフリッツ店に立ち寄る。(2016年02月19日)
フリッツが宇宙に打ち上げられる。(2016年04月28日)
「フリッツ戦争」がピークに達する。(2016年07月05日)
ベルギー郵政がフリッツをモチーフにした切手を限定発売。(2023年08月28日)
  • 2008年05月01日:フリッツ博物館(Friet Museum)がベルギーのブルージュで開館。
  • 2009年11月30日:ワロン地域農業大臣の主導のもと、第1回「フリッツ週間」(Semaine de la Frite:セメーヌ・ドゥ・ラ・フリテ)が同年12月06日までベルギー南部のワロン地域で開催された。
  • 2014年01月10日:ベルギーのフランドル地方はフリッツ店を無形文化遺産として認定した。 ユネスコ無形文化遺産の登録を目指す。
  • 2014年12月22日:ベルギーの女性解放思想団体「リリス」(Liliths)を名乗るメンバーらは、緊縮財政と社会モデルの破壊に抗議するため、ベルギーの首相であるシャルル・ミシェル氏が講演中、フリッツを投げつけ、マヨネーズをかけるという “ パイ投げ ” ならぬ 史上初の “ フリッツ襲撃 ” を行った。ミシェル氏はマヨネーズだらけになるも笑顔だった。 リリスはトップレスで抗議活動を行うことで世界的に有名なフェミニズム団体「フェメン」(FEMEN)の元メンバーで学生であった。
  • 2015年01月15日:ベルギーのフリッツ店の写真集『Barak Friture』が出版される。
  • 2016年02月19日:EU首脳会議中、ドイツの首相であるアンゲラ・メルケル氏がブリュッセルのジョルダン広場にあるフリットコット「メゾン・アントワーヌ」を訪れた。
  • 2016年04月28日:ベルギーの音楽ラジオ局「Radio Contact」スタッフのダヴィッド・アントワーヌ率いるプロジェクトチームは、ブリュッセルの中心部から直径10メートルの気球にフリッツを取り付けて宇宙に向けて打ち上げた。 アントワーヌは “ 本物のフリッツはベルギー産だ ”(Les vraies frites sont belges)というメモを忍ばせた。
  • 2016年07月05日:ベルギー北部のオースト=フランデレン州の州都ヘントで多数のフリッツ店と行政との間で数ヶ月にわたって口論が続き、メディアではこれを「フリッツ戦争」と呼んだ。 5日の夜にはピークに達し、店の経営者たちは市庁舎に大量のフリッツを投棄して抗議した。
  • 2016年11月23日:ベルギーのフランス語共同体はフリッツ店を無形文化遺産として認定した。
  • 2016年11月23日:「フリッツ週間・2016」が12月04日までベルギー南部のワロン地域で開催された。 大使に任命されたベルギーの歌手、詩人であるジャン=リュック・フォンクは「One、Two、Frites、Four!」を作曲し、ラジオ局「ヴィヴァ・シティ」で流れた。
  • 2017年07月20日:ベルギーの無形遺産としてフリッツ店が正式に認定された。
  • 2018年07月:ベルギーの首都ブリュッセルの産業跡地である「トゥール・エ・タクシー」(Tour et Taxis)の再開発にともない、ストリート、広場、その他の路地の新たな名称を市民から公募し、参加者837名、1,397件の応募の中から “ フリット通り ” を意味する「パサージュ・ドゥ・ラ・フリテ」(Passage de la Frite)が決定された。 本来、名称には「歴史に関連した名前、あるいは歴史にちなんだ名前、近隣の英雄に敬意を表したもの、または地域の英雄に敬意を表したもの」を提案するよう促していた。
  • 2020年:トゥール・エ・タクシー(Tour et Taxis)の新しい地区の名称として「パサージュ・ドゥ・ラ・フリテ」(Passage de la Frite)が正式名称となった。
  • 2023年08月28日:ベルギー郵政(Bpost)はフリッツショップ文化に敬意を表し、フリッツの歴史的な写真を使用した5つの公式切手を発行する。

関連項目