「杏仁豆腐」の版間の差分

提供: Tomatopedia
ナビゲーションに移動 検索に移動
16行目: 16行目:
 
== 中国 ==
 
== 中国 ==
 
=== 歴史 ===
 
=== 歴史 ===
[[File:Chinese Physician -(董奉)Dong Feng, CE 200–280.png|thumb|right|250px|董奉の想像画]]
+
[[File:Chinese Physician -(董奉)Dong Feng, CE 200–280.png|thumb|right|200px|董奉の想像画]]
 
杏仁豆腐の起源は、三国時代にさかのぼる。
 
杏仁豆腐の起源は、三国時代にさかのぼる。
 
その時代、董奉(とうほう)という名医がいた。
 
その時代、董奉(とうほう)という名医がいた。

2022年12月30日 (金) 20:14時点における版

杏仁豆腐(日本)

杏仁豆腐(あんにんどうふ)

概要

アンズの種子(左下)と杏仁

杏仁豆腐は、中国の東部に位置する江蘇省(こうそしょう)の伝統料理で、満漢全席にも登場する。 主に「甜杏仁」(テンキョウニン)を粉砕し、水で煮た後、冷やして切り分けたもので、豆腐に似ていることからこの名がついた。 ただし、杏仁豆腐は地方によって作り方が異なる。

杏仁は、アンズの果実の核(種子の仁)で、タンパク質が20%含まれ、デンプンは含まれていない。 中国では、甜杏仁は滋養強壮、肺の機能を高める作用があるとされる。 杏仁を正しく摂取することで、滋養強壮や喉の渇きを癒す、肺を潤して喘息を緩和する、腸を滑らかにし、腸ガンを抑制するなどの効果が得られるとされる。 しかし、主に食用とされる甜杏仁であっても、薬用とされる苦杏仁(クキョウニン)であっても、過剰摂取は杏仁に含まれる青酸配糖体(アミグダリン)による中毒を引き起こす原因となるため、水に数回浸して加熱・煮沸してから摂取する必要がある。

中国

歴史

董奉の想像画

杏仁豆腐の起源は、三国時代にさかのぼる。 その時代、董奉(とうほう)という名医がいた。 董奉は三国時代には、張仲景として知られる張機(ちょうき:150年 - 219年)、華佗(かだ:145年 - 208年)とならぶ名医で、漢代には「建安三神医」(建安三神醫)と形容された。

董奉は医術に長けていたが、貧しい患者からは治療費を取ることはせず、その代りに重病から完治した患者にはアンズの苗木を5株、軽度の患者には1株を植えてもらったという。 彼らによって植えられた苗は立派なアンズの林となり、その後、人間的にも優れた名医を「杏林」と呼ぶようになった。

そして、杏仁は変遷を経て杏仁豆腐として宮廷に伝わり、満漢全席で有名な甘味料理となったのである。

この董奉の伝承は、東晋時代(317年 - 420年)の学者である葛洪(かつこう:283年 - 343年)が著した中国の仙人の伝記集『神仙伝』(神仙傳)に記されている。 この故事にちなみ、中国では「董仙杏林」の名を冠した病院が多い。 日本では、杏林製薬(東証1部)、杏林大学(東京都三鷹市)などがある。

日本では国語で「故事成語」(例:矛盾・蛇足・五十歩百歩・四面楚歌など)を学習するが、故事成語の「杏林」(きょうりん)とは、名医の美称、代名詞である。

杏仁の種類

ファイル:Apricot Kernel - Sweet Almond and Bitter Almond.png
中央から左が南杏、右が北杏
※白いものは薄皮を除去したもの

中国では、ホンアンズ(学名:Prunus armeniaca L.)から採れる「甜杏仁」と、アンズ(学名:Prunus armeniaca Linne var. ansu Maximowicz)から採れる「苦杏仁」に分けられる。

これらの杏仁は、広東省では南杏、北杏と呼ばれ、一般に甜杏仁は「南杏」、苦杏仁は「北杏」と呼ばれる。 香港では、この二つを合わせて「南北杏」とよばれるが、香港の漢方薬局では南杏を主とし、それに対して北杏は少量の割合で販売されている。

一般的に、甜杏仁は食用、苦杏仁は薬用に用いられる。

甜杏仁

甜杏仁(テンキョウニン)は、主に河北省、北京市、山東省で生産され、その他、陝西省、四川省、内モンゴル自治区、甘粛省、新疆ウイグル自治区、山西省、中国東北部でも生産されている。

苦杏仁

苦杏仁(クキョウニン)は、低山地や丘陵地の山間部で栽培されている。 主に中国北部の3地域(中国北部、中国北東部、中国北西部)で生産されており、内モンゴル自治区、吉林省、遼寧省、河北省、山西省、陝西省が最も一般的で、その中でも河北省承徳市の平泉県(へいせんけん)は中国最大の生産地である。

効能

文献

杏花春馆『圆明园四十景图』1744年
(フランス国立図書館蔵)

名医别录

孙思邈

本草拾遗

养性要钞

本草图经は、宋代(1061年)に蘇頌(そしょう:1020年12月16日 - 1101年6月18日)によって編纂された書物である。

杏核仁は今日どこでも見かける。 実はいくつか種類があるのだが、黄色くて丸いものを「金杏」と呼ぶ。 伝承によると、済南郡の分流山で栽培され、人々からは「帝杏」と呼ばれ、今日では多くの種類があり、熟すのが最も早い。 扁平で緑がかった黄色のものは「木杏」と呼ばれ、酢のような味がして、金杏には及ばない。 杏子は薬として使われるが、現在では東方のものが最も優れており、本国で栽培されたものが今も使われている。 山杏は薬に適さない。 5月に収穫され、芯を割って二つの仁を取り出す。

杏仁豆腐

日本

歴史

アンズの伝来

『あんずの里』(長野・千曲市)

日本への伝来は諸説あるが、奈良時代(710年 – 784年)に、ウメなどと一緒に伝わったと考えられている。 確たる根拠は、710年に建造された平城京の遺跡からアンズの種が出土したことである。

もう一つは、弥生時代の倭国(現在の日本)を記録した中国の歴史書『魏志倭人伝』(ぎしわじんでん)からである。 魏志倭人伝は多くの学者が解読に挑み、さまざまな歴史的解釈がなされている。 そこに記された倭国に生息する植樹木や草類などの植物名も同様であるが、その中に「ウメ、アンズ、クスノキ有り」という解釈がある。

杏仁

ちゃのこ『山内料理書』より
1497年(宮内庁書陵部蔵)
ちゃのこ『山内料理書』

杏仁は、室町幕府・第11代征夷大将軍の足利 義澄(あしかが よしずみ)の時代である明応6年(1497年:明応六年十巳二月廿六日)に、山内三郎左衛門尉が著した『山内料理書』(やまのうちりょうりしょ)の「ちゃのこ」の項に登場する。 「ちゃのこ」とは、“ しほしほしく、こまやかなるもの ” と記されているが、これは「茶の子」を意味する。


  • 海藻類:油煎和布・泥和布(ぬため:ワカメの酢味噌和え)・煎昆布・結昆布・炙昆布・甘海苔・海苔・出雲海苔・青苔・海雲・紫苔(カワノリ)・菊池苔(カワノリ)
  • 大豆・小麦類:麩・豆腐上物・唐納豆・大豆
  • 蔬菜類:ごぼう・干大根・たけの子
  • 果実類:くるみ・かやの実・干なつめ・生栗・串柿・杏仁
  • 菌類:干松茸


また、戦国時代には、敵陣を討ち落した後、敵地の水には毒が混入されている可能性があるため、飲むことはせず、水が必要な時は必ず流れている川の水を器に汲み、そこに水の汚れを取る浄水効果があるとされる杏仁やタニシの干物を入れて、その上澄みを調理や飲料水として用いたという。

杏仁豆腐

日本の古典的な杏仁豆腐





ブランマンジェ(Blanc Manger)

ヌーベル・シノワ

山桃杏仁プディング『山桃杏仁布甸
萬珍樓 點心舗(神奈川・横浜中華街)

中国料理は世界三大料理の一つとされている。 中国ではデザートに関して「医食同源」「薬膳」的な概念があり、伝統的なものは質素であるため、その趣旨を理解できない他国の人々には、西洋的に華やかに映るものではなかった。

近年では、ヌーベル・シノワを基調とする風潮もあり、杏仁豆腐も飛躍的な革新を遂げてきている。 ヌーベル・シノワは、中国料理の新派として認知されているジャンルの一つで、盛り付け、食材や料理法においても幅広く取り入れるスタイルである。

高級中国料理店では、デザート部門のエキスパート(甜品师:ティェンピンシー)を専属で雇い、伝統的なスタイルと両立させつつ、斬新な杏仁豆腐や杏仁を使った多彩なデザートが生み出されている。

ギャラリー

  • 明治17年(1884年)創業「聘珍樓 横濱本店」:2022年5月15日に閉店まで日本最古の中国料理店
  • 明治25年(1892年)創業「萬珍樓 本店」:現存する日本最古の中国料理店


日本の中華デザート

関連項目