門違ひ(食道楽)

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豚饂飩

門違ひ(かどちがい)は、明治36年(1903年)に出版された村井弦斎の小説『食道楽春の巻』で赤茄子が登場する項である。

註譯

○豚饂飩は一旦湯煮た豚を小さく切り、湯煮た汁に味をつけてよく長く煮たる処へ饂飩を入れて再び少し煮るなり。 汁はからき位にし寡きがよし。 饂飩の上へ肉を盛りて出すべし。

○豚と大根も湯煮たる汁にて煮るがよし。しかし下等肉にて白肉の溶けたる汁は不可。

○豚とマカロニはマカロニを鍋にて湯煮る時下へ竹の皮かあるいは煮笊を敷かぬと焦げ附く癖あり。 豚の湯煮汁にて湯煮て豚と共に味をつけて煮るべし。

○豚と素麺は豚饂飩の通り。

○マカロニとは西洋の干饂飩ともいうべきものにて中に孔あり。 伊太利人は我邦の蕎麦の如くに好んで食す。西洋料理には種々に使うものなり。 マカロニと赤茄子とを共に料理すれば味よし。 西洋には赤茄子をマカロニの附物という。 マカロニは伊太利を良しとす。

第十一 門違い

 手料理を人に饗するものは先方の胃袋が堪うると否とに頓着なく多食せらるるを快となす癖あり。 主人の中川自慢顔に「大原君、その四角な大きな肉を試してみ給え箸で自由にちぎれるよ。 それが長崎有名の角煮といって豚料理の第一等、本式にすると手数も随分かかるが非常に美味いものだ。一つ遣ってみ給え」と頻に薦められ客は箸にてその肉をちぎり「なるほどちぎれる。これは美味い、これは非常だ。どうして拵えるのだね」主人笑いながら「これはうっかり教えられん、伝授料が要るよ。 長崎でも同じ角煮といいながら家によって少ずつ料理方が違う。 僕の家のは支那人直伝の東坡肉というのだ。 今に君が家でも持たら妹に命じて君の御妻君に教えて進ぜよう」大原は失望の気味「イヤそれは少しお門違い、僕は御令妹の調理された者を食たいのが志願だね」御本人の娘も大原の心を察せず「お教え申すというほどに出来ませんが奥さんがいらっしゃいましたらお互に知た事の御交換をして戴きたいのです。 小山さんにも先日願いまして南京豆のお料理を習いに出ますつもりです」と何処までも余所余所し。 大原張合なく「困りましたね、そうおっしゃっては。僕のような者の処へ嫁に来てくれる人がありません」と窃に先方の気を引いてみる。 生憎娘は何とも答えず主人が串談に「アハハ来てくれる人があっても君の大食を見たら胆を潰して逃げ出すだろう。 お登和や、豚饂飩が出来ているなら私におくれな」妹「ハイ、お客様にも差上げましょうか」と大原の様子を窺えども大原は打萎れて黙っている。 今度はお登和が張合なく「誠に不出来でお口に合いますまいから」と謙遜の言葉も大原の耳には怨言らしく聞え「イエ戴きます、何でも戴きます。貴嬢のお手料理なら死ぬまで辞しません」と我が意気組を知らせるつもり。 この時娘は料理と共に酒の銚子を持ち来り「兄さんやっとお燗も出来ました。料理の方で火を使いましたからお湯が皆んな冷めてしまって遅くなりました」と食卓の上へ置く。 主人は深くも飲まぬと見えて小さな盃へ半ばほど注がせ「大原君、君はどうだね」客「飲むさ、酒が来ればまた食べられるからね。 僕は酒を美味いと思わん。むしろ不味まずくって我慢する方だが腹が張った時飲むと胃を刺撃して再び食慾を起す。僕の酒は食うために飲むのだ」主人「何でも食う事ばかり。 アハハお登和や、一つお酌をしてお進げ」大原「有難い。この酒ばかりは特別に美味いよ」主人「上等の酒を吟味してあるからね」大原「ナニそういう訳ではない、酒のお蔭でまた食べられる。豚饂飩も結構だね」主人「まだこの外に豚と大根の料理だの、豚とマカロニだの、豚とそうめんだの、豚料理は沢山あるから追々御馳走する事にしよう。折々遊びに遣って来給え」大原「毎日でも来るよ」とは御馳走を目的とするにあらず。 しかるに娘は誤解しけん「ホントにお早く奥さんをお持ちになるとようございますね、私も遊びに上って色々なものを拵えますのに」大原再び失望「どうぞモー奥さん奥さんと言って下さるな、情けなくなります」主人「情けないとはおかしいでないか、何が情けない」大原「情けない事があるのだよ」と到底我心人に通ぜず。

『食道楽』夏の巻・第十一

参考文献