牛の脳味噌(食道楽)

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牛の脳味噌(うしののうみそ)は、明治36年(1903年)に出版された村井弦斎の小説『食道楽冬の巻』で赤茄子が登場する項である。

註譯

○梨はこの外に焼梨という料理あり。 そは焼林檎の如く心をくり抜きバターと砂糖を詰めテンピの中にて二時間ほどロース焼にするなり。 よく気長に焼くべし。

○牛の脳味噌はコロッケーにもすべし。 それには一旦湯煮て細かく切り固き白ソースへ混ぜ塩胡椒を加えて冷まし、それを丸めてメリケン粉をつけ玉子の黄身にてくるみパン粉をまぶして油にて揚げる。 これにトマトソースをかけて食すれば一層上等なり。

第二百八十八 牛の脳味噌

 お登和嬢「奥さんは梨をどういう風にお煮なさいます」妻君「やっぱり外の菓物のようにお砂糖を入れて煮ました」お登和嬢「それでは甘くばかりあって美味しくありません。梨は全体甘味ばかりで酸味がありませんからお砂糖ばかりでは甘ったるくなります。あれは先ず大きい梨の皮を剥いて心を除って四つに割って梨一斤半にお砂糖を百目入れて水を五勺注して四十分間煮てそこへ甘くない生葡萄酒を五勺加えてまた二十分間煮ます。そうして冷めてから戴くとなかなか結構です」妻君「なるほど葡萄酒で煮たらば美味しくなりましょう。この頃は西洋梨といって長い形のコチコチした石のように堅いのがありますがあんまり堅過ぎて煮なければ食べられませんね」お登和嬢「イイエ、あれは極ごく柔くって味の好いものです。堅いようなのを買って糸で縊って風通しの好い処へ釣るしておくと二、三日目か四、五日目位でちょうどいい食べ頃が来ます。手で触ってみると柔くなっていますからそれを召上るとどんなに美味しゅうございましょう。とても日本の梨は遠く及びません。ちょうど梨と林檎の味を一緒に持っているようです。その代り食べ頃はたった一日か二日でその時食べないと直きに腐敗しかけて酸味を帯びます。そうなるとモー食べられません。よく世間の人が西洋梨を堅い堅いといいますが全く食べ頃を知らんからです。マンゴーでもマングスタンでもライチーでも皆んなその通りちょうどいい時に召上らないと菓物の王だとか女王だとかいう味が致しません」妻君「それで分りました。やっぱり此方が悪いのですね。お登和さん、先日良人が貴嬢から三十銭料理や二十銭料理を教えて戴きまして宅へ帰ってから一々皆な試みてみましたが大層経済に出来てどんなに悦びましてしょう。その中でも二十銭のサンドウィッチ料理なんぞは大層社中の賞賛を博したそうです。あれから宅では十八銭のブリスケ料理だの牛の尾の料理だのと徳用なお料理ばかり致しますがその外に臓物料理は皆んな直段が廉くって味が好いと伺ったそうです。全体牛の臓物料理と申しますとどういうものでございましょう」お登和嬢「そうでございますね、上の方から申せば第一が犢の頭です。頭一つを四十五銭から六十銭位までで買えます。大牛の頭も買えない事はありませんけれども大牛の頭は切りほどくのに面倒ですから大概犢を買います。大牛のは脳味噌とか舌とかいって別々に買う方が便利です。犢なら頭一つで脳味噌も取れれば舌も取れますし、顔の皮の美味しい処も取れて大層徳用です」妻君「牛の脳味噌は大層お薬だと申しますがどうして拵えます」お登和嬢「ハイ牛の脳味噌は大層なエキス分を含んでいますから興奮の効が多いそうです。脳味噌はトントお豆腐のように柔いものでそれをザット塩湯煮にして薄い膜を剥ぎまして薄く切ります。それへ塩胡椒してメリケン粉をつけて玉子の黄身へくるんでパン粉をつけてバターでフライにするのが一番軽便で美味しゅうございましょう。その外色々のお料理に出来ますけれども食べ慣れないお方は気味を悪わるがって召上らないようです。西洋人は一週間に一度お薬のつもりで食べる人が多いそうです」

『食道楽』秋の巻・第二百八十八

参考文献