海老料理(食道楽)

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海老のクリームコロツケ

海老料理(えびりょうり)は、明治36年(1903年)発行された村井 弦斎(むらい げんさい)の小説『食道楽夏の巻』で赤茄子が登場する項である。

第百八十 徳用料理

 玉江嬢「それからまだ伊勢海老のコロッケも覺えました、それは先づ海老を湯煮て皮を剥いて身を取出して肉挽器械で二三度挽いて極く細かに崩します、器械が無ければ庖丁で細かに叩いても構ひませんし葛粉を交ぜて擂鉢で擂っても細かになります、それを例の白ソース、即ちメリケン粉をバターでいためて牛乳とスープと鹽胡椒で少し固い位に拵へたもので今の海老の身を捏ねて圓く細長くコロッケの形に丸めて最初メリケン粉へ轉がしてそれから玉子の黄身へ轉がして復たパン粉へ轉がしてフライ鍋で揚げるのです、それには先刻申した赤茄子ソース即ちコルンスタッチをバターでいためてスープと壜詰のトマトソースを加へて鹽胡椒で味をつけたものをコロッケへ掛けて出します、モー一つは湯煮た海老の身を今まの様に細かく砕いて白いソースで今の通りに捏ねて置いて、別に海老の皮をよく洗って頭の方へ胴の皮を挿し込んで、髭や足を取り拂って其の腹の中へ今の身を詰めてテンピの中でに十分間程燒きます、モー一つは先刻申したマイナイスソースの通りに玉子一つを固く湯煮て黄身計りを裏漉しにして生玉子の黄身一つを混ぜて芥子を小匙に一杯、鹽を小匙に半杯、砂糖を小匙に半杯、胡椒少しとそれだけ加へてよく練り交ぜて今度は酢とサラダ油の分量が先刻と違ってサラダ油を大匙二杯に西洋酢を矢つ張二杯入れて少し酢味の多いマイナイスソースを作ります、其へ今の通りに砕た海老の身を入てパセリを細かく切てよく捏ねて今の様に海老の胴中へ詰てピツクルス即ち西洋の酢漬の胡瓜を細く切って上へ十文字に幾つも載せてテンピの中で二十分も燒ます、此お料理は前のお料理よりも美味しくなる様で御座いますネ」中川「左様です私もその方が好きです、全體海老は極く消化の悪いもので胃腸病の患者に禁じてある位ですが極く細かに機械で砕てそれから今の様なお料理に使ひますから鬼殻燒や具足煮の様にお腹へ入って急に消化しないと云う事がありません、家庭料理は不消化物を消化し易くして食べるのが本旨です、それには私が平生主張する通り、料理の時に手数をかけると腹の中で胃腸の手数が省けます海老などを丸で腹へ送り込んでは胃腸の手数が一通りでありません、胃腸がその手数に堪えないで往々病氣を起す事もあります、然るに世間の妻斤立は兎角料理の手数を厭って胃腸に手数をかけさせ度がります、随分簡略なお料理計り擇りに擇って教へてもまだ面倒だと云って海老の丸煮なんどを良人に食べさせる人が多い様です、貴嬢の様に御熱心で稽古なされば是れからは追々上等な料理をお教へ申しませうが、私は世間の人がナゼ手足の勞を惜んで胃腸の勞を惜まないだろうか、手足を遊ばせて胃腸計り虐使するだらうかと不審に堪えません、海老の身を肉挽器械で挽けば三分間か五分間で極く細かくなります、丸の儘胃の中へ送ると二三時間かゝらなければそれだけになりません、ナゼ世人は三分間か五分の勞を厭って二三時間の勞を厭はないでせうか、そこへ氣が付かなければ我國の家庭料理は迚も進歩しませんネ」と中川の說容易に世に行はれ難し、玉江嬢は笑ひながら「然し中川さん、それは妻君計りの罪でありますまい、一家の御主人が食物の趣味を持たなければ妻君獨りで苦んでも何の役に立ちますまい」中川「如何にも其通り」

『食道楽』夏の巻・第百八十

参考文献