リアル・タートルスープ

提供: Tomatopedia
ナビゲーションに移動 検索に移動
リアル・タートルスープ
ジェニュイン・タートルスープ

リアル・タートルスープ(Real Turtle Soup)は、ウミガメを主原料としたスープである。 本来、この料理自体は生肉から調理して食されていたものだが、本項では産業として缶詰加工されたものを扱う。

ジェニュイン・タートルスープ(Genuine Turtle Soup)の名でも製造されたが、 “ ジェニュイン ” とは “ 正真正銘 ” を意味し、リアル・タートルスープと同義である。

全盛期には製造メーカーによって多少異なる商品名があるにせよ、本質的には同じものであり、その多くが生産された。 当時、これらの缶詰は英国をはじめとするヨーロッパや米国において、現代のスーパーマーケットに並ぶトマト缶と同様に陳列していた商品であり、主にその国の嗜みを目的として製造されたものである。

以下は、主な生産国と一例として製品を挙げている。

概略

リアル・タートルスープとモック・タートルスープ
アオウミガメ

リアル・タートルスープとは、文字通り、本当のウミガメを使ったもので、その後に誕生した模倣料理のモック・タートルスープとは異なる。

現代の缶詰加工の技術は、缶詰の父と称される二コラ・アペールと、その後に微生物学の先駆者であるルイ・パスツールの二人のフランス人によって、製造のプロセスが確立された。 1812年にはイギリス人のブライアン・ドンキンとジョン・ホールが2つの特許を買収し、保存食として製造を開始した。

本来、ウミガメは生かしたまま長距離の運搬が可能であった。 それを缶詰に加工することは当時の新ビジネスといってよい。 これにより、支配階級や貴族の美食であったウミガメ料理は、富裕層、さらには大衆にまで流行した。 過分に屠殺した場合でも腐敗による廃棄などのロスを出すことなく、新鮮なまま食用に加工できるメリットはあったが、同時に遠方、もしくは海外にまで流通させることも可能であり、それによって大幅な需要と供給が生まれ、過剰なまでのウミガメ漁に拍車をかけたデメリットを生んだことも確かである。

実際問題、ウミガメは先住民や島民の伝統的な食文化、重要な食糧とされてきたことも事実だが、これらは過剰に捕獲することなく、生命の維持、自然との調和、共存共栄の範囲内で行われていた。 このような意識を兼ね備えた人々、および国々を “ 国際 ” 、“ 国際世論 ” 、または “ 国際意識 ” 、“ 国際連盟 ” というネームバリューで都合よく政治的に巻き込み、包括して禁止とするのは大きな誤りであり、責任転換に近い。

今一度、ウミガメが絶滅危惧種に指定にされた経緯や根本、真の再生について冷静に考えなければならない。

イギリス

リアル・タートルスープ(イギリス)

イギリスにおけるウミガメの缶詰の製造は、世界に先んじて行われたものであり、これは他国への波及、および同産業に影響を与えたといってよい。 1874年、イギリスの商人で「亀の王」(タートル・キング)と称されたトーマス・ケリソン・ベリス(Thomas Kerrison Bellis:1841年2月5日 - 1929年4月24日)によって、ロンドンに「ケー・ティー・ベリス・タートル・カンパニー」(T.K. Bellis Turtle Company Limited)が設立され、事業が始められた。 ビクトリア朝の宴会や高級レストランの定番となっていたウミガメ料理を製品化したのである。 ウミガメのスープ缶をはじめ、ガランティーヌ、パテ、ゼリー、天日干しにした乾物などの保存食や、ウミガメのスープ専用のハーブミックス、脂肪を原料とした美容石鹸など様々な商品を開発し、ヴィクトリア女王に供給していた。

ベリスは、これらの製品で1882年にスコットランドの首都エディンバラで開催された国際水産博覧会で銀メダルを獲得し、翌年の1883年5月に開催されたロンドン三国漁業博覧会では金メダルを獲得した。 彼はウミガメに特化したビジネスで不動の地位を築き上げ、19世紀末まで英国におけるウミガメの貿易、および製品の取引をほぼ独占した。

商品の宣伝では健康上の利点やインフルエンザなどの流行病に対する効能を示した。 これは航海士たちの間で生まれて培われ、深く信じられた民間療法的なものであり、ベリス自身が勝手に謳ったものではない。

1905年の広告(T.K. Bellis Turtle Co., Ltd)

1902年には、カナダでスープ缶を広告宣伝し、輸出したことで他国でも購入を可能とした。 この事業は19世紀末においてウミガメのスープを提供するための平均原価をおよそ半額にまで下げたのである。

1904年10月、ロンドンで “ ウミガメショック ” のようなものが引き起こったといわれている。 街中のどこを探してもウミガメを見つけることができず、人々は法外な値段でも購入することをいとわなかったという。 原因はアオウミガメの深刻な個体数の減少とされるが、相場師のコントロールも考えられる。 その理由はこの事業自体が大きな打撃を受けることなく、さらに18年後まで平然と続けられた事実である。

同社(T.K. Bellis Turtle Co., Ltd)は1912年9月に廃業し、1911年1月に設立された別会社である「ケー・ティー・ベリス・タートル・カンパニー」(T.K. Bellis Turtle Co.)は1922年1月に廃業した。 この2社は社名から関連性があるにしても、その関係は明らかになっていない。 ただ、ベリスは後者の役員の一人であったとされる。 どちらにせよ、廃業にいたる限界までウミガメを輸入し、生産していたことは明らかである。

ウミガメ料理そのものは缶詰加工される以前に英国で確立されたものであり、英国海軍の巡洋艦をカリブ海にまで派遣するほどの大規模なものであった。 したがって、この事業はベリス個人の偉業ではなく、いわば国家ぐるみ、大英帝国、王室や貴族の大きな後ろ盾があったと考えるのが自然である。

現在、英国では野生で捕獲された保護種のカメを生きたまま輸入・販売することや、カメから作られた製品を商業目的で許可なく輸入・販売することは違法となっている。

タートル・ハーブス

ハーブス・フォー・タートルスープ
(イギリス・ロンドン)

タートル・ハーブス(Turtle Herbs)は、ウミガメのスープのために調合したハーブミックスである。 この製品はイギリスや北米の上流階級の間でウミガメ料理が重要な役割を果たしていた1930年代から1940年代にかけて製造された。

実際には調理に使う香草類に規定はないが、ウミガメのスープ専用に調合していることを強調して付加価値をつけた商品である。 イギリスの食品会社であるクロース&ブラックウェル社が発売した製品は、セージ、バジル、ローズマリー、レモンバーム、セイボリー、タイム、マジョラム、チャービルで構成されている。

現在は販売されていないが、この香草の組み合わせはウミガメ料理に特化して開発されたものである。 いわば美味しく食べることを目的として生まれた伝統的なレシピ “ 先人の知恵 ” のようなものであるため、今日でもモック・タートルスープに用いたり、合法的なカメを使った料理に十分に適応、発揮する。

ドイツ

シルトクレーテン・ズッペ(ドイツ)

ドイツ・ヘッセン州で最も人口の多い都市である通称フランクフルト(正式名:フランクフルト・アム・マイン)に位置するニーダーラート地区では、かつてウミガメの缶詰が製造されていた。 同国では海から遠く離れている内陸の地が主要な生産地となった。

ドイツ語で、シルトクレーテン(Schildkröten)とは “ カメ ” を意味し、ズッペ(Suppe)は “ スープ ” の意味である。 この “ カメ ” という表記は、本来の “ カメ類全般 ” の意ではなく、単なる商品名であり、実質的にはウミガメに限られていた。 これはドイツに限らず、カメ(タートル:Turtle)を標榜とする缶詰の主原料がウミガメであることは当時の多くの人々に暗黙の了解で認識されていた。


1959年には約250トンのウミガメが缶詰に加工された。

1972年に米国の世界最大規模のコングロマリット(巨大複合企業)であるITT(International Telephone & Telegraph Corp:インターナショナル・テレフォン・アンド・テレグラフ)が買収し、これを1979年にキャンベル・スープ・カンパニーが引き継いだ。 キャンベルも同様にウミカメのスープを製造したが、絶滅危惧種の保護に関するワシントン条約が発効されてから10年後、大規模な世論の圧力を受けて1985年に商品から姿を消した。 また、1993年にはフォアグラのパテの缶詰も生産中止となった。 現在、ラクロワ社は創業者とは異なる経営陣によって運営され、そのブランドは今日まで存続している。

ニーダーラート郷土博物館にはラクロワ社のスープ缶や工場敷地内のウミガメの写真が展示されてる。

アメリカ

フロリダ州

クリア・グリーンタートルスープ
(アメリカ・フロリダ州・キーウェスト)
キーウェスト・タートル・ミュージアム

アメリカ合衆国フロリダ州の最南端に位置する都市でフロリダキーズ諸島を構成するキーウェスト (Key West) は、ウミガメの缶詰の主要な生産地であった。 グリーンタートル(Green Turtle)とは “ アオウミガメ ” の呼称であり、カメを使った緑色のスープの意味ではない。

ウミガメ料理がブームになるかなり以前から、ウミガメはフロリダキーズの先住民にとって必要な食料源だった。 1800年代後半、ウミガメの肉はエキゾチックな珍味としてアメリカやヨーロッパの大都市のレストランで求められ、使用された。

1895年、ニューヨークの大富豪の金融家が、キーウェスト湾にウミガメの食肉加工業として「タートル・クラールズ」(Turtle Kraals)を設立した。 「クラールズ」とは、アフリカーンス語で “ 家畜の囲い ” を意味し、捕獲されたばかりのアオウミガメを生かしたまま保管する場所である。 アオウミガメは、隣接する屠殺場で加工した。 肉や脂肪は食用として缶詰にして料理人やレストランに販売され、甲羅や皮膚は装飾品や革製品などの材料となり、全ての部位に至るまで利用できた。 この事業は、アメリカ北部のレストランで新鮮なカメのスープを提供する手段として始められ、ニューヨーカーたちを大いに喜ばせた。

現在、キーウェストのマーガレット・ストリート200番地にあるタートル・クラールズの跡地は、1994年6月23日にアメリカ合衆国国家歴史登録財となり、「キーウェスト・タートル・ミュージアム」(Key West Turtle Museum)として、ウミガメの保護活動に焦点を当てた小さな無料博物館となっている。

また、マーガレット・ストリート231番地にある缶詰工場の建物は、陸生のカメである「ハコガメ」のレースを毎週開催し、海を見渡して屋外でも食事が楽しめるウォーターフロントのレストランとして観光客に人気の高いスポットに生まれ変わっている。

ニュージャージー州

クリア・グリーンタートルスープ
(アメリカ・ニュージャージー州・ニューアーク)

アオウミガメは、ニュージャージー州ニューアークでも缶詰加工された。 当時、同州では1863年に設立されたムーア&カンパニースープ(Moore & Co Soups, Inc.)とボン・ヴィヴァン社(Bon Vivant)が主要メーカーであった。 この2社は関連性があるとされているが、1970年代にボツリヌス菌中毒事件の渦中に廃業した。

1971年7月2日、アメリカ食品医薬品局(FDA)は、ニューヨーク州ウエストチェスター郡の男性が、ボン・ヴィヴァン社のヴィシソワーズの缶詰を食べた後、ボツリヌス菌中毒で死亡し、その妻も重篤な状態に陥ったことを受けて国民へ注意勧告を公式発表した。 製品を調べた結果、ボン・ヴィヴァン社が製造した324缶のスープ缶のうち、5缶がボツリヌス毒素に汚染されていることが判明し、全種のスープ缶を含む6,444缶がリコールされ、その数は100万缶を超えた。 同社はリコール開始から1ヵ月以内に破産を申請し、商号をムーア社(Moore & Co.)に変更した。 FDAはスープ缶の在庫の廃棄を決議したが、同社は1974年まで法廷でこの訴訟案と争った。

オーストラリア

チック・タートルスープ
(オーストラリア・クイーンズランド州)

オーストラリアは、かつてウミガメ漁の盛んな漁場となり、缶詰の製造が行われた。 商品名である “ チック ” (Thick)とは、とろみのある濃厚なスープの意味である。

本来、ウミガメはオーストラリア大陸の先住民であるアボリジニの重要な食糧となっていたが、これに関しては過剰な捕獲ではなかったため、生態系に大きな影響を及ぼすことはなかった。 しかし、19世紀末から入植者たちによって食品産業のビジネスが始まり、1920年代半ばには、オーストラリアのクイーンズランド州沿岸沖に連なる世界最大のサンゴ礁地帯であるサザン・グレート・バリア・リーフ(世界自然遺産)を構成するヘロン島とノース・ウェスト島にウミガメの缶詰工場が建設された。 これはイギリスで設立された企業によって行われたものである。 主に輸出のためにウミガメ漁が行われ、大量の缶詰が生産された。 このビジネスは10年も経たないうちに乱獲によってウミガメが激減したことで消滅をみた。 今でもノース・ウェスト島の工場は島内に廃墟として残っている。

現在、同国でウミガメ漁を合法的に許可されているのは、アボリジニの人々とトレス海峡諸島の人々だけである。 1993年に成立したオーストラリア連邦法である「先住権原法」211条により、伝統的な方法で狩猟することが許されている。

産業の終焉

ウミガメ産業の結末は、国際条約や多国間条約、または世論や動物愛護団体の反発運動などが直接原因ではなく、明らかに乱獲による “ 個体数の激減 ” によって陥った結果である。 あまりにもウミガメ一種にこだわり、一極集中型で漁が行われたことに起因する。 ウミガメを食用とすること自体は決して悪いことではない。 これに関して非難するのは本題から外れた感情や世論扇動の問題であり、それを減算して人類において重要な教科書とすべきである。

このケースはウミガメに限ったことではなく、今日のスーパーマーケットでは在り来たりの魚介類がならび、これらには定番の価値が付いているが、実際には食用可能であっても未利用されているものも多く存在する。 これらとのバランスをとらなければ同じ過ちを繰り返すことになる。 可能な限り美味く食べるための調理法を開発する発展にも繋がり、それを忘れた場合、進化ではなく退化を歩むこととなる。 ウミガメ漁や食用を禁止とすることで全面解決するというのは余りにも安直な思考であり、たとえ高価であれ、再び食卓に上るように努力した方がよっぽど賢く、それが人類に与えられた叡智である。

関連項目