カテゴリ:ミシュテカ王国

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ミシュテカ王国は、紀元前1500年の複合社会にはじまり、西暦990年頃、ティラントンゴに最初の都市を築いたとされています。
1960年代の発掘調査でティラントンゴはオアハカ州で最も古い集落の1つであることがわかりました。
メキシコのオアハカ州、ゲレロ州、プエブラ州の一部を含める「ラ・ミックステカ」と呼ばれる地域の先住民からなり、その一帯を支配していました。
その後、古代絵文書「Codex Zouche-Nuttall」で八の鹿王の物語として描かれた人物でミシュテカ地域全体を統一した名君 オチョ・ヴェナド(八の鹿・ジャガーの爪)は、200キロメートル離れたミクステカ・アルタとトトテペクを統治し、メキシコ中西部太平洋沿岸のトトテペクを主要都市として、25,000平方キロメートル以上の領域に及ぶ政治的影響力を持ちました。
1350年頃には、サポテカ帝国からモンテ・アルバンの神聖な儀式用地の支配権を握ります。
1494年、勢力を拡大するアステカ帝国と対峙し、戦いに敗れたミシュテカは領地コイストラワカを失いました。
この地はコルテスによると1520年9月スペイン軍に降伏し、のちに新スペイン総督府に編入されました。
その後もミシュテカはスペインの征服に対して激しい抵抗をし勇敢に戦いましたが、エルナン・コルテスの右腕といわれたコンキスタドールのペドロ・デ・アルバラード率いるスペイン軍と中央メキシコの同盟連合軍によって1522年に敗北しました。

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