三十六品(食道楽)
門違ひ(かどちがい)は、明治36年(1903年)1月~12月まで報知新聞に連載された村井弦斎の小説『食道楽・春の巻』で赤茄子が登場する項である。
註譯
○鰹の煮取りは一名煎じという。 鰹節を湯煮たる液を煎じ詰めたるなり。
○カラスミは鰡の子なり。
○ウニはカゼといえる貝の卵巣なり。
○塩辛は鰹魚の腸なり。 ソーダ鰹より製したるは色黒し。
○独活は半日ほど水に漬けてアクが抜けたらば別段湯煮こぼさざるもよし。 また独活は蛋白質一分六毛、脂肪一厘、含水炭素二分四厘七毛、繊維七厘、鉱物質五厘七毛にて九割五分一厘は水分なり。
第七十九 三十六品
お登和嬢も行末は我身の親とすべき人を饗応するなり。
なるべくは田舎に珍らしきくさぐさの料理を用意して新来の客に満足せしめたけれど時間の迫りしが何よりの当惑「大原さん、支那料理の三十六碗を拵えるには四、五日前から用意しなければなりません。何ぼ急いでも今から晩までに三十六品のお料理を作る事はとても出来ませんね」大原「出来ない処を無理にでも出来るようにして下さいませんか。何でも極く手軽なお料理ばかりで品数さえ揃えばいいのです」お登和「それにして人の手が足りません。宅の下女を連れて来て手伝わせてもまだ間に合いません」大原「では小山君の宅へ行って奥さんと女中を頼んで手伝ってもらいましょう。僕も停車場へ向いに行くまで何でも手伝います、どうか一つ御奮発なすって下さいませんか」お登和「それではこうしましょう、台所も此方ばかりでは狭過て仕方がありませんから宅の台所と此方の台所と両方を使って宅の方では兄に手伝ってもらいますし、此方へは小山の奥さんや女中をも呼んで戴きましょう。それにしてもどういう風に三十六品の献立をしましょうか、それがなかなか大変です。エート、やっぱり支那料理に傚って四色ずつとしましょうか。先ずお吸物が四色、お魚が四色、お酒の肴にちょうどよいものが家に沢山ありますから、それを四色、豚のお料理を四色、牛肉と鶏肉のお料理を四色、野菜を四色、お米のお料理を四色、手製のお菓子を四色、菓物の煮たのを四色とそれでちょうど四九三十六品になりますね。その外にお香の物を四色取揃えて椎茸の御飯でも炊きましょう」大原「どうぞそうして下さい。それだけ揃えば両親もさぞ悦びましょう。では早速小山君の処へ行って奥さんと女中を頼んで来ましょうか」お登和「ハイ、私も原料を買出して参りましょう。三十六品の中でお酒の肴にすると申した長崎のカラスミ、鹿児島の鰹の煮取り、越前のウニ、小田原の塩辛、これだけは宅にありますから直ぐ間に合います。それから先刻此方へ持って来ましたのはお昼の副食物に差上げようと思った牛の舌のシチュウと独活の酢煮ですがあれがまだ宅に沢山出来ておりますから持って参って晩の御馳走に加えましょう。お昼はお香の物位で我慢なさいまし」大原「イエ昼飯は食べずにいましょう。僕も晩の大御馳走をお招伴しますからなるたけ腹を減らしておきます。先刻持って来て下すったのはタンシチュウとウドの酢煮ですか。婆や、その頂戴したものをここへ出してお見せ。なるほどこれがタンシチュウですな、これはどうしてお拵えになるのです」お登和「これは先ず牛肉屋から牛の舌を買って十分間ばかり水へ漬けておいて塩をつけてゴシゴシ洗うと牛のヌメリがよく取れます。それから深い鍋へ湯を沢山入れてその舌を一時間半位よく湯煮てザラザラした厚皮を手で剥くと中から柔い肉が出ます。それを二分位の厚みに截って湯と一緒に極く少しの塩を入れて弱火とろびへかけてザット二時間位煮ると肉が柔やわらかになります。そこで先ずジャガ芋と薄く切った大根と人参とを入れるのですが人参が多過ぎると臭くなっていけません。宅ではその外に蒟蒻も入れます。それが三十分ばかり煮えた処で玉葱か普通の葱を加えますがそれはその時の見計いでいいのです。そうして塩と胡椒とバターで味をつけて三十分ばかり煮て翌日まで置きます。さて食べる前にまた火へかけて葡萄酒を少し加えて赤茄子のソースを交まぜて米利堅粉でその汁を濃くするのですが略式にすれば加える物を減しても構いません。牛肉のバラーをシチュウにしてもその通りですがこれは最初湯へ入れてから二時間ほど煮て野菜を加えてまた一時間煮ます。シチュウには上等の羊の肩肉が一番結構です」と相も変らず料理談。
参考文献
- 『食道楽・春の巻』:明治三十六年(第七十九・三十六品)