異国食餌抄

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異国食餌抄(いこくしょくじしょう)は、大正、昭和期の小説家、歌人である岡本かの子(1889年・明治22年3月1日 - 1939年・昭和14年2月18日)の短編作品である。

異国食餌抄

 夕食前の小半時こはんとき、巴里パリのキャフェのテラスは特別に混雑する。一日の仕事が一段落いちだんらくついて、今少しすれば食欲三昧ざんまいの時が来る。それまでに心身の緊張をほぐし、徐おもむろに食欲に呼びかける時間なのだ。どのテーブルにもアペリチーフの杯さかずきを前にした男女が仲間とお喋しゃべりするか、煙草たばこの煙を輪に吹きながら往来おうらいを眺めたりしている。フランス人特有の身振みぶりの多い饒舌じょうぜつの中にも、この時許ばかりはどこかに長閑のどかさがある。アペリチーフは食欲を呼び覚さます酒――男は大抵たいていエメラルド・グリーンのペルノーを、女は真紅しんくのベルモットを好む。新鮮な色彩が眼に、芳醇ほうじゅんな香が鼻に、ほろ苦い味が舌に孰いずれも魅力みりょくを恣ほしいままにする。  午後七時になるとレストラントの扉とびらが一斉いっせいに開く。誰が決めたか知らない食道しょくどう法律が、この時までフランス人の胃腑いのふに休息を命じている。  フランス人は世界中で一番食べ意地の張った国民である。一日の中で食事の時間を何より大切な時間と考えている。傍はたで見ていると、何とも云いえず幸福そうに見える。それは味覚の世界に陶酔とうすいしている姿に見える。恐おそらく大革命の騒ぎの最中さなかでも、世界大戦の混乱と動揺どうようの中でも、食事の時だけはこういう態度を持ち続けたであろう。  巴里のレストラントを一軒一軒食べ歩くなら、半生かかっても全部廻まわれないと人は云っている。いくらか誇張こちょう的な言葉かとも聞きこえるが、或あるいは本当かも知しれない。日本では震災後、東京に飲食店が夥おびただしく殖ふえたが、それは飲食店開業が一番手早くて、どうにかやって行けるからだと聞いた。然しかし巴里のレストラントの数は東京の比ではない。それは東京に於おけるような経済的理由からではなくて、もっと他に深い理由がありはしないだろうか。兎とに角かく中流以下のレストラントには必ず何人かの常客じょうきゃくがいて、毎日同じテーブルに同時間に同じ顔を見ることが出来できる。私のような外国人でも二三日続けて行くと「あなたのナプキンを決めましょうか」と聞く。ナプキンを決めておけば食事毎ごとにその洗濯代として二十五サンチームぐらいの小銭こぜにを支払わなくても済むからである。  ルクサンブルグ公園にある上院の正門の筋向すじむかいにあって、議場の討論に胃腑いのふを空からにした上院議員の連中が自動車に乗る面倒もなく直すぐ駈かけつけることの出来できるレストラン・フォワイヨ、マデレンのくろずんだ巨大な寺院じいんを背景として一日中自動車の洪水こうずいが渦巻うずまいているプラス・ド・マデレンの一隅かたすみにクラシックな品位を保って慎つつましく存在するレストラン・ラルウ、そこから程ほど遠くないグラン・ブールヴァルの裏にある魚料理で名を売っているレストラン・プルニエール、セーヌ河を距へだててノートルダムの尖塔せんとうの見える鴨かも料理のツールダルジャン等一流の料理屋から、テーブルの脚あしが妙にガタつき縁ふちのかけたちぐはぐの皿に曲まがったフォークで一食五フラン(約四十銭)ぐらいの安料理を食べさせる場末ばすえのレストラントまで数えたてたら、巴里パリのレストラントは一体いったい何千軒あるか判わからない。  牛の脊髄せきずいのスープと云いったような食通しょくつうを無上むじょうに喜ばせる洒落しゃれた種類の料理を食べさせる一流の料理店から葱ねぎのスープを食べさせる安料理屋に至るまで、巴里の料理は値段相当のうまさを持っている。たとえ、一皿二フランの肉の料理でも、十分に食欲と味覚は満足させてくれる。  所謂いわゆる美食に飽あきた食通がうまいものを探すのは中流の料理屋に於おいてである。巴里の料理屋にはどこにも必ずその家の特別料理スペシャリテと称するものが二三種類ある。美食探険家はこういう中流料理屋のスペシャリテの中に思わぬ味を探し当てることがあるという。  巴里に行った人で一度はレストラン・エスカルゴの扉とびらを排はいしないものはないであろう。エスカルゴとは蝸牛かたつむりのことで、レストラン・エスカルゴは蝸牛料理で知られている店である。この店も一流料理屋の列に当然加わるべき資格を持っている。  一体いったい蝸牛かたつむりは形そのものが余あまりいい感じのものではない。而しかもその肉は非常にこわくて弾力性に富んでいる。これを食べるには余程よほどの勇気がいる。フランス人に云いわせれば牡蠣かきだって形は感じのいいものではない。ただ牡蠣は水中に住み、蝸牛は地中に住んでいるだけの相違だ。人間が新しい食物に馴なれるまでには蝸牛に対するのと同じ気味きみ悪さを経験したに違いないと主張する。云われて見ればそうかも知しれないが、日本人にとっては無気味ぶきみ此上このうえもないものである。  蝸牛はどれでもこれでも食べられるのではなくて、レストラン・エスカルゴ等で食べさせるのはブルゴーニュという地方で産するものである。この地方に産するものが一番旨うまいものとされている。  食用蝸牛の養殖ようしょくは一寸ちょっと面倒な事業だそうである。その養殖場には日蔭ひかげをつくるための樹林じゅりんと湿気しっけを呼ぶ苔こけとが必要である。市場に売り出すものは子供でなくてはならないので、一年に一度子供を親から別居べっきょさせなければならない。そして蝸牛の需要じゅようは秋から冬にかけてであるため、その頃になると蝸牛は土の中にもぐってしまうから、養殖者は丁度ちょうど芋いもを掘るように木の棒で掘り出さなければならない。掘り出したものは何度も何度も洗ったり泥どろを吐はかせたりしなければならぬ。寒い季節になると巴里パリの魚屋の店頭にはこうして産地から来た蝸牛が籠かごの中を這はい廻まわっている。  蝸牛料理はまだ一種類しかない。それは蝸牛の肉を茹ゆでて軟やわらかくしたものを上等のバタと細かく刻きざんだ薄荷はっかとをこね合あわせたものと一緒にして殻からに詰めるだけのことである。然しかしこの簡単な料理にもなかなか熟練じゅくれんを要するという。蝸牛の季節には巴里のレストラントのメニュウには大抵たいていそれが載のっている。或ある養殖家の話では巴里で一年に食べられる蝸牛の数は約七千万匹で、それを積み重ねると巴里の凱旋門がいせんもんよりも高くなるというから大したものである。  蛙かえるを食べ始めたのもフランス人だと聞いた。食用蛙は近来きんらい日本でも養殖されるが、本場のフランスに於おいてさえまだなかなか普遍ふへん的な食物とはなっていないようだ。その点から云えば蛙より蝸牛かたつむりの方が遥はるかに優まさっている。蛙料理は上等のバタでフライにしてトマトケチャップをかけて食べる。上等のバタを使うので、出来上できあがりがねっとりしていて些いささか無気味ぶきみに感ぜられる。蛙は寧むしろラードのようなものでからりと揚あげた方があっさりしていてよくはないだろうか。  蛙や蝸牛などのグロテスクなものを薄うす気味悪い思いをしてまで食べなくとも、巴里パリには甘うまい料理がいくらもある。  ラングストと云いっている大きな蝦えびの味は忘れかねる。これは地中海で獲とれる蝦で、塩茹しおゆでにしてマヨネーズソースをつけて食べる。伊勢蝦いせえびよりもっと味が細かい。芝しば蝦より稍々やや大きいラングスチンと呼ぶ蝦は鋏はさみを持っている。鋏を持っている蝦は一寸ちょっと形が変かわっていて変だが、これがまたなかなかうまい。殊ことにオリーブ油で日本式の天麩羅てんぷらにするといい。  日本は四方しほう海に囲まれているから海の幸さちは利用し尽つくしている筈はずだが、たった一つフランスに負けていることがある。それは烏貝からすがいがフランス程ほど普遍的な食物になっていないことだ。日本では海水浴場の岩角にこの烏貝が群むらがっていて、うっかり踏付ふんづけて足の裏を切らないよう用心しなければならない。あんなに沢山たくさんある貝が食べられないものかと子供の時によく考えたことだが、それがフランスへ行って、始めて子供の時の不審ふしんを解決することが出来た。烏貝はフランス語でムールと云う。このムールのスープは冬の夜など夜更よふかしして少し空服くうふくを感じた時食べると一等いい。

 日本に始めて渡来した西洋料理がポークカツレツ――通称トンカツであったかどうかは知らないが、西洋にいても日本人はよくこのトンカツを食べたがる。ところがこのトンカツなるものが西洋の何処どこへ行っても一向いっこう見当みあたらないので失望する人が多い。イギリスのレストラントへ行ってメニュウを探して見るとポークカツレツというのがあるから、喜んで注文するとそれはわれわれの予期するカツレツではなくて日本の所謂いわゆるポークチャップであった。トンカツは英語と考えている人があると見える。倫敦ロンドンで会った人の話に、その人もトンカツを英語とばかり思っていたので、レストラントへ行ってトンカツレツをくれと云いったがどうしても通じないで非常に弱ったそうだ。  トンカツに巡めぐり会わない日本人はようやくその代用品を見つけて、衣を着た肉の揚物あげものに対する執着しゅうちゃくを充みたすだけで我慢しなければならぬ。それは犢こうしの肉のカツレツである。フランスではコトレツ・ミラネーズと云い、ドイツではウィンナー・シュニッツレルと云う。  フランス人はその名の示すようにこの料理を伊太利イタリアミラノのコトレツと考え、ドイツ人は墺太利オーストリアの首府しゅふウィーンの料理と考えているらしい。差当さしあたってこの両都市で本家争ほんけあらそいを起おこすべきである。コトレツ・ミラネーズとウィンナー・シュニッツレルの異ことなるところは前者は伊太利風のマカロニかスパゲチを付け合あわせとして居おり、後者が馬鈴薯じゃがいもを主な付け合せとしていることで、そこに両本家の特色を表わしている。

食魔 : 岡本かの子食文学傑作選

1976(昭和51)年7月15日に冬樹社から初版第1刷発行された『岡本かの子全集』(第4,5,7,11-13巻)を底本とし、新かな遣いに改め、多少ふりがなを加えたもの。

収録内容

  • 家霊
  • 食魔
  • 女体開顕(抄)
  • 食魔(グウルメ)に贈る
  • 異国食餌抄
  • 旅とガストロノム
  • 欧洲土産話
  • 巴里の食事
  • 外国の魚
  • 季節のしゅん
  • 新茶
  • うなぎ、揚げもの、川魚
  • 新米
  • 粉末食糧品時代
  • 酒と煙草
  • 若菜
  • 夏季と味覚
  • 初秋におくる
  • 野菜料理
  • 田家の兎料理
  • 国民食、大根礼讃
  • 食物に関して男子への注文
  • 力を培う餅
  • 食餌感想
  • 恋人にたべさせたい御料理

内容説明

毎晩どじょう汁をねだりに来る老彫金師とどじょう屋の先代の女将の秘められた情念を描いた「家霊」。 北大路魯山人をモデルにしたといわれる、食という魔物に憑かれた男の鬼気迫る物語「食魔」ほか、昭和の初めに一家で渡欧した折の体験談、食の精髄を追求してやまないフランス人の執念に驚嘆した食随筆など、かの子の仏教思想に裏打ちされた「命の意味」を問う、食にまつわる小説、随筆を精選した究極の食文学。

目次

  1. 小説(家霊;鮨;娘;食魔;女体開顕 抄)
  2. 随筆(食魔に贈る;異国食餌抄;旅とガストロノム;欧洲土産話;巴里の食事;外国の魚;季節のじゅん;新茶;うなぎ、揚げもの、川魚;新米;粉末食料品時代;酒と煙草;若菜;夏季と味覚;初秋におくる;野菜料理;田家の兎料理;国民食、大根礼讃;食物に関して男子への注文;力を培う餅;食餌感想;恋人にたべさせたい御料理)