ビーフェ・デ・タルタルーガ
ビーフェ・デ・タルタルーガ(Bife de Tartaruga)は、大西洋の中央、アフリカの北西に位置する群島で構成されるカーボベルデ共和国の伝統料理で主にサンティアゴ島の代表的な料理として知られる。
概要
ビーフェ・デ・タルタルーガは、アオウミガメの肉をステーキ状に切り、塩、唐辛子、ニンニク、白ワインで味つけをし、1時間ほどマリネする。 次に、フライパンにバターを入れて、切った玉ねぎと肉を強火で炒める。 通常、白米と茹でたキャッサバとともに供される。
2002年12月、カーボベルデ政府は、1995年に「生物の多様性に関する条約」(CBD:Convention on Biological Diversity)に調印し、「ワシントン条約:絶滅のおそれのある野生動植物の種の国際取引に関する条約」(CITES:Convention on International Trade in Endangered Species of Wild Fauna and Flora)に批准して、ウミガメ漁を全面的に禁止したため、公に食べることは出来ない。
カーボベルデのウミガメの歴史
カーボベルデの全ての爬虫類のうち、この諸島に生息する唯一の海棲爬虫類(かいせいはちゅうるい)はウミガメである。
ポルトガル王室に仕えたベネチアの商人で航海士であったアルヴィーゼ・ダ・カダモスト(Alvise de Cadamosto:1432年頃 - 1488年7月18日)は、アフリカの西海岸を探検したことで、カーボベルデの島々を発見し、探検したことで知られている。 彼は、1456年にサンティアゴ島で、カーボベルデの島々にカメがいることを初めて記録した。 彼の記録の中で、カーボベルデがウミガメの宝庫であることを記し、現在のバン・ダルガン国立公園があるアルギム湾のウミガメと比較すると、サンティアゴ島の方が極めて大きいと述べている。
1456年以来、カーボベルデはウミガメについて多く言及されてきた島である。 味は美味として知られ、産卵期には大規模な漁業の対象となり、ハンセン病の治療にも使用された。 フランス国王のルイ11世(Louis XI:1423年7月3日 - 1483年8月30日)自身もこのような流行り病を恐れて、治療法を研究するためにカーボベルデに使者を派遣したと考えられている。
こうした理由から、18世紀になっても物資や食料をアメリカ大陸の植民地へ運ぶ船によって、カーボベルデでウミガメが捕獲された。 1945年、マリオ・セカ(Mário Seca)は、*テストゥド・ミイダス(Testudo mydas)という種が、カーボベルデのボア・ビスタ島では最も一般的なカメで、雨季は夜間に産卵するために砂浜を上ってくる時期であると説明している。
※テストゥド・ミイダス(Testudo mydas)は、1758年に生物学者であるカール・フォン・リンネが命名したもので、現在のアオウミガメ(学名:Chelonia mydas)と同種である。
航海糧食
ウミガメの卵、肉、脂肪、血液、甲羅は、諸島に上陸した船乗りたちに常に高く評価されてきた。 これらの海産爬虫類は抵抗力があるため、長い航海の間、船上で生かしておくことができ、解体した肉を塩漬けにすることで保存期間をさらに長くすることができた。
治療薬
当時の航海士の記録には、ウミガメは食料としてだけでなく、治療薬としても用いられた。 黄熱病、ハンセン病、梅毒、喘息、腸内寄生虫などの疾患は、ウミガメの血、肉、脂肪で治ると信じられていたことが記されている。
貿易
ウミガメは、カーボベルデを通過する船乗りたちによって常に自由に捕獲され、貴重な食料として利用されていた。 諸島が開拓された後、カメは通貨として使われ、諸島の統治者と諸島を頻繁に訪れる他国(スペイン、オランダ、イギリス、フランス)の船員との間で取引されるようになった。
第二次世界大戦中の飢餓の回避
カーボベルデは、ヴェルデ岬の西の沖合いの島々を領土とする島国で、国名はヴェルデ岬に由来する。
ヴェルデ岬で獲れたウミガメや海鳥は、第二次世界大戦中に起きた食糧難や島々の孤立を余儀なくされた時期に、多くの人々を飢えから救ったことで知られている。 カーボベルデに属するサン・ニコラウ島やサント・アンタン島の記録によれば、公海(国の領海外水域)から船が到来し、ウミガメの数に応じて赤旗や白旗を掲げたとされる。
ウミガメ漁の全面禁止
類似料理
- ファロファ・デ・タルタルーガ(Farofa de Tartaruga)
- パキシコ・デ・タルタルーガ(Paxicá de Tartaruga)
- ソルポテル・デ・タルタルーガ(Sarapatel de Tartaruga)
- ピカジーニョ・デ・タルタルーガ(Picadinho de Tartaruga)