えびめし
えびめし(Ebi Meshi)
発祥
いんでいら 渋谷本店
東京・渋谷区宮下にかつてあった1955年(昭和30年)創業の「カレーハウス いんでいら 渋谷本店」が発祥。 いんでいらは渋谷本店とFC店を展開していたが渋谷本店は2011年に閉店した。 その同年、東京都大田区千鳥の小さな居ぬき店舗へ移転したが座席数が少なくテイクアウトがメインの店となり、2016年に閉店したことで、事実上いんでいらは解体消滅した。 現在はFC店であった渋谷区「いんでいら道玄坂店」と愛媛県松山市「カレーハウスいんでいら」が独立して存続している。
当時のいんでいらホームページには以下が記載されていた。
いんでいらと元祖えびめし 誕生の物語
貼り紙を見て、ブラリと立ち寄った老調理人
“ 戦後まもない昭和30年、渋谷駅前の交差点の一角のそばに間口一間ほどの小さなカレー屋として「いんでいら」は生まれました。
味については特段の魅力があったわけではなく、いわば可もなく不可もない平凡な店。客席もまばらな出発でした。 しかし、開業より3年、あるひとりのずんぐりとした白髪の老人が店頭の「調理人急募」の貼り紙を見て、ブラリと・・・。 急募のわけとは、その直前店主が前の調理長に「お客様がさあ、ここのカレーは美味くないって、食べ残される方がね~」と話すやいなや、「よーがす。自分の調理に文句つけられては、やってなんかいられませんや。おい皆んな引き上げるぜ」と手下を連れて総引き上げに及んだために開店休業状態になってしまったためでした。 この時ブラリと現れた老調理人こそ、当店の伝説の長岡チーフその人であり、まさに「いんでいら」の味の創始者なのでした。 「自分が好きな料理をつくらせてさえもらえれば、飯が食えるだけで充分でさぁ」と毎朝5時の始発から閉店間際まで黙々と調理場に立つ後姿に、つき従い尊敬のまなざしで教えを乞う若い調理人があとにつづきました。
料理への愛情はカレーの味にも従前とは比較にならない美味しさとなって現れ、評判が評判を呼んで、小さいが美味しいカレーの店として生まれ変わるのに時を長くは要しませんでした。 ”
店主の発想と長岡チーフの創造力がコラボ
“ この長岡チーフと文人だった先代店主とのコンビは新しいメニュー作りにも創造力にとみ、カレーライスコロッケなるものを発明したり、様々な工夫を試みておりました。
発想は店主であり、実現は長岡チーフでありました。 そんな中でドライカレーでもない、チャーハンでもない、誰でも好きな海老の入ったソース焼きめしみたいなものができないかという店主のひらめきに一週間後に「オーナーこんなものでよーでがすか?」と目の前に見せたのが今の「元祖えびめし」でした。 それは、見た目はまっ黒な焼きめし。 ところが見た目とは違い、ほろ甘い香ばしい香りがいっぱいで、どこか昔懐かしいその風味は、それまで誰もが見たことも食べたこともない不思議な食べ物でした。 この「元祖えびめし」の味の魅力にひきつけられて来客数もますます増え、カレーとともにいんでいらの看板商品になって行きました。 創業55年を迎えせていただきましても、たくさんのお客様に今もって「いんでいら」のカレーとえびめしをご愛顧いただいておりますことを、心よりありがたく感謝申し上げますと同時に、長岡チーフと先代の美味しいものへの探究心に敬意を表するものです。”
「カレーハウス いんでいら」
いんでいら 奉還町店
岡山のえびめしの起源は、現在の「えびめしや」の前身である「いんでいら 奉還町店」に遡る。 1964年東京オリンピック(昭和39年)の頃、渋谷の「カレーハウスいんでいら」を訪れた出井達海は、そのカレーの美味しさに惚れ、弟子入りをした。 修行を終えた出井氏は故郷の岡山へ戻り、1966年(昭和41年)、岡山市北区奉還町(ほうかんちょう)に「カレーとコーヒーの店・いんでいら 奉還町店」を開業した。 修業先で習得した「えびめし」もメニューに取り入れたが、予想に反してカレーではなく、えびめしが人気商品となった。 その後、1968年に、天満屋百貨店地下街の「いんでいら天満屋地下店」を開店。 えびめしは口コミなどで話題となり岡山市を中心に知名度が高くなっていった。
えびめしや
特徴
ギャラリー
- Japanese Tomato Dishes - Omu Ebi Meshi(Local Good Cheap of Okayama).png
オムえびめし