營養三明治
營養三明治(インヤンサンミンツー:栄養サンドイッチ)は、台湾北部の基隆市にある「廟口夜市」で生まれた軽食で、名物として観光客にも人気が高い。
日本人の多くは、基隆廟口夜市(ジーロン・ミャオコウ・イエシー)と繋げてよんでいる。
名称
サンドイッチという名前ですが、通常のサンドイッチとは異なり、長い楕円形のパンで作られた「台湾流ホッドドッグ」です。 栄養サンドイッチは、台北の寧夏夜市(ニンシア・イエシー)など台湾の主要なナイトマーケットのいたるところで売られ、サラダボード(沙拉船)としても知られいる。
歴史
1950年代から60年代にかけて、朝鮮戦争やベトナム戦争の一環として米軍がアジアにやってきました。 台湾は共産主義勢力の拡大を阻止するためにアメリカのパートナーとなり、北部の重要な港である基隆には米軍が頻繁に出入りしていた。 故郷を離れたアメリカ兵たちは、故郷の味が恋しくて地元住民にサンドイッチを注文したという逸話がある。
この逸話は、栄養サンドイッチの起源の一つとして語られるものですが、当時の基隆の地元住人が英語を理解できたかという点と、すでに炭火で焼いたトーストが存在していたという点である。 これは、誕生のきっかけとしてのみで理解はできるが、起源とするには根拠に乏しく、はっきりしたことではない。
時代背景
米国支援期間中の1950年代、アメリカによる「輸入代替政策」により、台湾政府は、アメリカの小麦を買い、小麦粉工場の増設に尽力し、わずか3年で台湾の小麦粉生産量は、日本統治時代の1万トンから30万トンへと飛躍的に増加したのである。 これまで、米で満足し、麺類をおやつ感覚としていた台湾の人々は、大量に流入してきた小麦を消化しなければならなかったのです。
世界で小麦が一番売れているアメリカは、「米の代わりに麺を」「主食を米から麺に変えよう」というキャンペーンを呼びかけた。 一つは愛国心を煽ることで、米の国際価格が小麦の2倍になったとき、台湾生産管理委員会の副主任である尹忠勇は、「米を売れば国が強くなり、国庫が潤う」とし、小麦を食べて米を買いだめすることを奨励しました。 しかし、台湾国民にとって大問題であるこのようなプロパガンダはうまくいきませんでした。
第二の波は、個人的な効果を主張することでした。 麺類を単なる軽食ではなく、台湾人の主食にすることを目指して「麺類・小麦振興運営委員会」を立ち上げ、新聞、雑誌、テレビ番組、ラジオ放送などを通じて、麺類が体を丈夫にし、寿命を延ばし、ビタミンやミネラルを多く含んでいるという栄養面でのメリットをアピールする活動を始めたのである。 委員会では、パンをランチを導入し、栄養価の高い牛乳を直接目の前に置いて、幼い頃から「麺類を食べると健康にいい」「美味しい」「栄養がある」と宣伝し、さらに農村の農協に出向き、母親学級という形で麺類の普及に努めた。 幼い頃からパンを食べたり牛乳を飲んだりする環境を整えたことで、台湾人の心の中では、麺類(小麦)の栄養と健康の区別が困難になった時代である。
このような強い時代の波がありながらも、現在でも台湾では麺類は気軽に食べるという文化は変わっていません。 また、そのような感覚が「栄養サンドイッチ」をはじめ、様々なユニークな軽食を生み出しました。 現在では、世界的な軽食のグルメスポットになっています。
起源
誕生と初期の揚げパン
1960年代頃に創業した「天盛舖」は、現在の場所にある店舗を転貸して家族経営でスタートしました。 当時は、揚げパンを切り開いてマヨネーズを絞り、具はソーセージや豚レバーなどを挟んだパンでした。 一方、現在の基隆市の愛三ジャンクション周辺にも、ソーセージパンを販売した同業もありましたが、天盛舖が人気を博し、他店との競争の中で生き残ったといいます。 この差は、揚げパンと普通のパンの違いでしょうか? それは定かではありません。 現在、名物として名の通っている栄養サンドイッチ「營養三明治」は、天盛舖の初代オーナーである邱氏がつけたものである。
販売と技術
当時は、攤販(露天商)の許可がないと屋台は禁止されていたため、揚げパンを売るにはゲリラ的な手段しかなかった。 禁止されている以外にも、多くの屋台がひしめき合う中で、道を切り開いていくのも大変だったといいます。 このような揚げパンの軽食を売りたいと思ったのは、邱氏の奥さんが上司や上海の師匠から麺の作り方を習ったことがきっかけだったという。
日本起源説
台湾人が唱える「栄養サンドイッチ」のルーツには、日本統治時代に生まれた軽食という説もあります。 それは、日本統治時代に、日本から西洋風の食べ物やカフェ・喫茶店とともにパンも伝わったというものです。 当時、それでも台湾人にとってパンは軽食、おやつ感覚でした。 しかし、軽食という感覚にかかわらず、この日本起源の主張は虚説ではなく、真実味があるといいます。 実際、台湾の夜市では「天ぷら」など明らかに日本食文化の影響のある屋台もある。
この日本起源という主張を強める根拠になっているのは、栄養サンドイッチの重要な調味料である「マヨネーズ」が、日本統治時代に日本から台湾に渡ったものであること。 そして、基隆の古い世代の人たちが「マヨ」と呼んでいたことからも、日本からの食生活の普及と融合の痕跡が顕著に見て取れるといいます。
上記の日本起源説は、台湾国内で唱えられているもので、特に日本に優位性をもたらすための記事では全くありません。 日本人が独自でアレンジした揚げパンのカレーパンの発想に似ていますが、それをカットしてサラダパンにするという発想が、もし日本にあったのであれば、すでに現在の日本でも多く見られたかもしれません。 「アメリカ兵説」、「小麦半強制消費説」、「日本起源説」は決して重要ではなく、「栄養サンドイッチ」というユニークなネーミング、庶民的な食材の巧みな融合、ノスタルジックなグルメの宝庫である夜市の活気が、庶民の心を掴み、また訪れる多くの人々の興味を引く、グルメ的な一品を創り上げたということです。
オペレーション
特徴
一般的に連想する屋台であれば、使われるパンは別で用意された出来合いのもですが、大きな違いはその場で生地から揚げることです。
台湾、中国の人は栄養サンドイッチのパンを紹介する時、「潜水艦のようなパン」と言い表したり、別名サラダボード「沙拉船」と呼ばれるように「船」に喩えられます。 これは、おそらくフライヤーで浮き沈みするパンを現している。
多くの人が、焼きたてのパンの違いがわかるように、同じく揚げたてのパンは何よりも香りが高い。 また、パン粉でコーティングされていることにより、外側はクリスピーで内側は対照的な食感になります。
具材の中には、日本でいう「味玉」のようなものがありますが、昔の欧米であればノーマルな固ゆで卵、現代の日本であれば半熟ゆで卵が使われ、他に入れる具材を考えれば、それが安心安定な味、仮名「揚げサラダパン」になると考えるはずです。 しかし、伝統を取り入れた、煮卵の滷蛋(ルーダン)の香りや味が、ステレオタイプではない「揚げサラダパン」になっている要因の一つです。
料理において、調味料、ソース、またはスパイスが重要な役割を果たしますが、栄養サンドイッチの場合では、スパイスは煮卵に使われる八角などのフレーバーが役割を果たし、調味料、ソースがマヨネーズになります。 台湾のマヨネーズは、フレンチ風でクリーミーで甘味があるのが特徴です。
栄養サンドイッチは、このように、香り、塩味、甘味、酸味などの個々の特性が、味のコントラストを構成しています。
材料
生地
具材
- トマト
- キュウリ
- ハム
- 滷蛋(ルーダン):色の濃い味付煮卵 ※正式は滷蛋だが魯蛋とも記される。
ドレッシング
- 美奶滋:台湾のマヨネーズ(メーカーは桂冠)
※日本のマヨネーズ2:練乳1の割合で混ぜることで台湾のマヨネーズを再現できる。
作り方
家庭で作れるレシピです。
- 牛乳、イースト、砂糖、卵を大きめのボールに入れて簡単に混ぜる。
- 小麦粉を加えて汁気がなくなるまで混ぜ、生地を荒くこね、ラップか蓋をして10分ほど休ませる。
- 再び、表面が滑らかになるまで生地をこね、円形に整えてラップで覆い、生地が2倍に膨らむか、指で押してもはね返らなくなるまで発酵させる。(約45分~1時間)
- 生地が完全に発酵したら、こぶしで押して空気を抜き、取り出して長めにこねる。
- 生地をほぐした後、手のひらで長い楕円形になるように成形する。
- 生地を液体に浸し、次にパン粉をつける。
- ベーキングペーパーを敷いた天板に並べ、ラップをかけて暖かい場所で約30~40分放置して最終発酵させる。 (パンが膨らむので、そのままにしておきます)
- 揚げる。
- 揚げたパンの中央をカットし、具を挟む。
- ドレッシングをかけて完成。
影響
- アメリカに長年在住していた女性が基隆市で栄養サンドイッサンドイッチを食べ、その美味しさが忘れず、2017年に上海で販売を開始。
- 台湾に社員旅行で訪れた日本人女性が基隆市の夜市で衝撃をうけ、本場の味を追求し、2021年7月6日に愛知県名古屋市中区大須に、栄養サンドイッチ専門店「營養三明治」を開店。