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同時期に、首都の北京周辺から「西红柿」という新しい造語が出現し、その後、湖南省、江西省、福建省ではトマトの導入や栽培の際にこの呼称を受け入れた。 | 同時期に、首都の北京周辺から「西红柿」という新しい造語が出現し、その後、湖南省、江西省、福建省ではトマトの導入や栽培の際にこの呼称を受け入れた。 | ||
「洋柿(子)」は清朝末期に東北地方にロシアからトマトが伝わった際に新たに生まれた呼称で、北方地方では主流であり、そこから派生した「柿子」など呼称も様々でである。 | 「洋柿(子)」は清朝末期に東北地方にロシアからトマトが伝わった際に新たに生まれた呼称で、北方地方では主流であり、そこから派生した「柿子」など呼称も様々でである。 | ||
− | + | また、トマトがフィリピン経由で伝わった福建省の「柑仔得」や台湾の「柑仔蜜」は、フィリピンのタガログ語の「kamatis」の音訳・転訛である。 | |
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2023年5月2日 (火) 02:30時点における版
中国のトマトは、明朝の第14代皇帝である万暦帝(ばんれきてい:1572年7月19日 - 1620年8月18日)の時代に中国の広東省、広西省に伝わり、その後、いくつかの地域に広まったと考えられている。 当初、観賞用や薬用として利用されていたが、栽培は広く普及することはなく、比較的統一された名前(六月柿、番柿)で呼ばれていた。 中国でトマトが野菜として広く栽培されるようになったのは非常に遅く、その歴史はわずか百年程度である。 現代中国語の方言では「番茄」「西红柿」「洋柿(子)」が一般的である。 「番茄」という言葉は、1842年の南京条約に伴って生まれた新しい呼称で、学問的に作られたものであり、南方地域では一般的な呼び名となっている。 同時期に、首都の北京周辺から「西红柿」という新しい造語が出現し、その後、湖南省、江西省、福建省ではトマトの導入や栽培の際にこの呼称を受け入れた。 「洋柿(子)」は清朝末期に東北地方にロシアからトマトが伝わった際に新たに生まれた呼称で、北方地方では主流であり、そこから派生した「柿子」など呼称も様々でである。 また、トマトがフィリピン経由で伝わった福建省の「柑仔得」や台湾の「柑仔蜜」は、フィリピンのタガログ語の「kamatis」の音訳・転訛である。
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