「えびめし」の版間の差分

提供: Tomatopedia
ナビゲーションに移動 検索に移動
5行目: 5行目:
 
== 発祥 ==
 
== 発祥 ==
 
東京・渋谷区宮下にかつてあった1955年(昭和30年)創業の「カレーハウス いんでいら 渋谷本店」が発祥。
 
東京・渋谷区宮下にかつてあった1955年(昭和30年)創業の「カレーハウス いんでいら 渋谷本店」が発祥。
 
+
<blockquote>“ ''いんでいらと元祖えびめし誕生の物語'''
 +
戦後まもない昭和30年、渋谷駅前の交差点の一角のそばに間口一間ほどの小さなカレー屋として“いんでいら”は生まれました。味については特段の魅力があったわけではなく、いわば可もなく不可もない平凡な店。客席もまばらな出発でした。しかし、開業より3年、あるひとりのずんぐりとした白髪の老人が店頭の“調理人急募”の貼り紙を見て、ブラリと・・・。
 +
 急募のわけとは、その直前店主が前の調理長に“お客様がさあ、ここのカレーは美味くないって、食べ残される方がね~”と話すやいなや、“よーがす。自分の調理に文句つけられては、やってなんかいられませんや。おい皆んな引き上げるぜ”と手下を連れて総引き上げるに及んだために開店休業状態になってしまったためでした。
 +
 この時ブラリと現れた老調理人こそ、当店の伝説の長岡チーフその人であり、まさに“いんでいら”の味の創始者なのでした。“自分が好きな料理をつくらせてさえもらえれば、飯が食えるだけで充分でさぁ”と毎朝5時の始発から閉店間際まで黙々と調理場に立つ後姿に、つき従い尊敬のまなざしで教えを乞う若い調理人があとにつづきました。
 +
 料理への愛情はカレーの味にも従前とは比較にならない美味しさとなって現れ、評判が評判を呼んで、小さいが美味しいカレーの店として生まれ変わるのに時を長くは要しませんでした。 ”
 +
<Div Align="right">『日本の家庭に應用したる支那料理』(明治42年)</Div></blockquote>
 
=== 岡山 ===
 
=== 岡山 ===
 
1966年(昭和41年)、渋谷の「カレーハウスいんでいら」で働いていた出井達海は岡山市奉還町に「いんでいら」を開業した。
 
1966年(昭和41年)、渋谷の「カレーハウスいんでいら」で働いていた出井達海は岡山市奉還町に「いんでいら」を開業した。

2022年3月13日 (日) 10:53時点における版

えびめし

えびめし(Ebi Meshi)

発祥

東京・渋谷区宮下にかつてあった1955年(昭和30年)創業の「カレーハウス いんでいら 渋谷本店」が発祥。

いんでいらと元祖えびめし誕生の物語'

戦後まもない昭和30年、渋谷駅前の交差点の一角のそばに間口一間ほどの小さなカレー屋として“いんでいら”は生まれました。味については特段の魅力があったわけではなく、いわば可もなく不可もない平凡な店。客席もまばらな出発でした。しかし、開業より3年、あるひとりのずんぐりとした白髪の老人が店頭の“調理人急募”の貼り紙を見て、ブラリと・・・。  急募のわけとは、その直前店主が前の調理長に“お客様がさあ、ここのカレーは美味くないって、食べ残される方がね~”と話すやいなや、“よーがす。自分の調理に文句つけられては、やってなんかいられませんや。おい皆んな引き上げるぜ”と手下を連れて総引き上げるに及んだために開店休業状態になってしまったためでした。  この時ブラリと現れた老調理人こそ、当店の伝説の長岡チーフその人であり、まさに“いんでいら”の味の創始者なのでした。“自分が好きな料理をつくらせてさえもらえれば、飯が食えるだけで充分でさぁ”と毎朝5時の始発から閉店間際まで黙々と調理場に立つ後姿に、つき従い尊敬のまなざしで教えを乞う若い調理人があとにつづきました。  料理への愛情はカレーの味にも従前とは比較にならない美味しさとなって現れ、評判が評判を呼んで、小さいが美味しいカレーの店として生まれ変わるのに時を長くは要しませんでした。 ”

『日本の家庭に應用したる支那料理』(明治42年)

岡山

1966年(昭和41年)、渋谷の「カレーハウスいんでいら」で働いていた出井達海は岡山市奉還町に「いんでいら」を開業した。 1968年、天満屋百貨店地下街に「いんでいら天満屋地下店」を開店した。 これらの店で提供された「えびめし」は岡山でヒットした。

特徴

ギャラリー