「ホセ・ケル・イ・マルティネス」の版間の差分

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ボローニャ研究所学の学者,マトリテンス王立医学アカデミーの学者,マドリード王立植物園の初代教授。
 
ボローニャ研究所学の学者,マトリテンス王立医学アカデミーの学者,マドリード王立植物園の初代教授。
  
南フランスのペルピニャンに生まれた。ペルピニャンで医療を学び、植物学を特に学んだ。スペイン軍の軍医として、スペイン、フランス、イタリアなどに赴任し、オスマン帝国とスペイン軍が争ったオランなどの北アフリカの地域にも赴いた。赴任先で、植物の標本をつくり、大量の種子や苗を集めた。これらの植物をもとに1755年に植物園をつくり、これが後のマドリード王立植物園(Real Jardín Botánico de Madrid.)になった。
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南フランスのペルピニャンに生まれた。ペルピニャンで医療を学び、植物学を特に学んだ。<br>
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スペイン軍の軍医として、スペイン、フランス、イタリアなどに赴任し、オスマン帝国とスペイン軍が争ったオランなどの北アフリカの地域にも赴いた。<br>
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赴任先で、植物の標本をつくり、大量の種子や苗を集めた。<br>
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これらの植物をもとに1755年に植物園をつくり、これが後のマドリード王立植物園になった。
  
1874年、スペインの植物学者クェール(Don Joseph Quer)は「スペインの植物群(Flora Española)」で
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1874年、スペインの植物学者クェール(Don Joseph Quer)は「スペインの植物群(Flora Española)」で「古い時代の書物、とりわけ北国の人々はトマトの効用について納得しておらず、むしろ薬用というよりは毒のある植物として扱いべきだと主張している。」とトマトが誤解されていることを載せ、「スペイン人はトマトを煮込み料理だけでなく、サラダにしたり、少量の塩で生のまま食べたりする」と書いている。
「古い時代の書物、とりわけ北国の人々はトマトの効用について納得しておらず、むしろ薬用というよりは毒のある植物として扱いべきだと主張している。」とトマトが誤解されていることを載せ、「スペイン人はトマトを煮込み料理だけでなく、サラダにしたり、少量の塩で生のまま食べたりする」と書いている。
 
 
さらに「トマトは無害で、貧しい人も金持ちもそのどちらの健康にも少しも害を及ぼすことのない健康食だ」と明言しているのだ。
 
さらに「トマトは無害で、貧しい人も金持ちもそのどちらの健康にも少しも害を及ぼすことのない健康食だ」と明言しているのだ。
 
何よりもこの時代のスペインでは貧富の差とは関係なく、トマトが人々の食卓に欠かせない愛すべき野菜として扱われていることが分かる。
 
何よりもこの時代のスペインでは貧富の差とは関係なく、トマトが人々の食卓に欠かせない愛すべき野菜として扱われていることが分かる。
  
1792年から、"Flora española o historia de las plantas que se crían en España"(「スペインの植物と栽培の歴史」)の執筆を始め、没するまでに4巻を出版した。この著作は後を継いだカシミーロ・ゴメス・オルテガ(Casimiro Gómez Ortega)によって完成された。その他の著書に"Uva urs" (「クマコケモモ」1763)、"cicuta" (「ドクゼリ属」1764)がある.
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1792年から、"Flora española o historia de las plantas que se crían en España"(「スペインの植物と栽培の歴史」)の執筆を始め、没するまでに4巻を出版した。<br>
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この著作は後を継いだカシミーロ・ゴメス・オルテガ(Casimiro Gómez Ortega)によって完成された。その他の著書に"Uva urs" (「クマコケモモ」1763)、"cicuta" (「ドクゼリ属」1764)がある.

2021年5月28日 (金) 14:40時点における版

ホセ・ケル・イ・マルティネス(スペイン語: José Quer y Martínez、カタルーニャ語: Josep Quer i Martínez、1695年1月26日 – 1764年)は、スペインの医師、植物学者である。
ボローニャ研究所学の学者,マトリテンス王立医学アカデミーの学者,マドリード王立植物園の初代教授。

南フランスのペルピニャンに生まれた。ペルピニャンで医療を学び、植物学を特に学んだ。
スペイン軍の軍医として、スペイン、フランス、イタリアなどに赴任し、オスマン帝国とスペイン軍が争ったオランなどの北アフリカの地域にも赴いた。
赴任先で、植物の標本をつくり、大量の種子や苗を集めた。
これらの植物をもとに1755年に植物園をつくり、これが後のマドリード王立植物園になった。

1874年、スペインの植物学者クェール(Don Joseph Quer)は「スペインの植物群(Flora Española)」で「古い時代の書物、とりわけ北国の人々はトマトの効用について納得しておらず、むしろ薬用というよりは毒のある植物として扱いべきだと主張している。」とトマトが誤解されていることを載せ、「スペイン人はトマトを煮込み料理だけでなく、サラダにしたり、少量の塩で生のまま食べたりする」と書いている。 さらに「トマトは無害で、貧しい人も金持ちもそのどちらの健康にも少しも害を及ぼすことのない健康食だ」と明言しているのだ。 何よりもこの時代のスペインでは貧富の差とは関係なく、トマトが人々の食卓に欠かせない愛すべき野菜として扱われていることが分かる。

1792年から、"Flora española o historia de las plantas que se crían en España"(「スペインの植物と栽培の歴史」)の執筆を始め、没するまでに4巻を出版した。
この著作は後を継いだカシミーロ・ゴメス・オルテガ(Casimiro Gómez Ortega)によって完成された。その他の著書に"Uva urs" (「クマコケモモ」1763)、"cicuta" (「ドクゼリ属」1764)がある.