「トマト年表」の版間の差分
ナビゲーションに移動
検索に移動
1行目: | 1行目: | ||
__NOTOC__ | __NOTOC__ | ||
+ | ==== *1493年 ==== | ||
+ | [[クリストファー・コロンブス]]がトマトをヨーロッパへもたらした可能性。 | ||
==== *1521年 ==== | ==== *1521年 ==== | ||
− | スペインの征服者である[[ | + | スペインの征服者である[[エルナン・コルテス]]が小さな黄色いトマトを南米からヨーロッパに最初に移入した可能性。 |
==== *1544年 ==== | ==== *1544年 ==== |
2021年5月26日 (水) 21:37時点における版
*1493年
クリストファー・コロンブスがトマトをヨーロッパへもたらした可能性。
*1521年
スペインの征服者であるエルナン・コルテスが小さな黄色いトマトを南米からヨーロッパに最初に移入した可能性。
*1544年
イタリア(トスカーナ)の医師で植物学者であるピエトロ・アンドレア・マッティオリがトマトを含む文献を出版。
黄金の林檎(Poma aurea)と名付ける。
トマトは食べれるかもしれないが現時点でそれを消費している人の記録はないことを示唆。
*1548年10月31日
フィレンツェ共和国(イタリア)の銀行家で公爵であるコジモ・デ・メディチの執事がデ・メディチの個人秘書に「トマト(Pomi d'oro)のバスケットが届いた」と書き、トマトがPomi d'oroとしてイタリアで最初の名前を与えられる。
それまで、Pomi d'oroは科学者が論文でイチジク、メロン、柑橘類を指すものとして使われていた。
*1710年
北アメリカ(イギリス領)で栽培されているトマトについて最初の言及。
*1792年
スペインのフィリップ2世の後援、アランフェス(スペイン・マドリード州南部)の植物園の主任庭師が「ソースに良いと言われています」と書く。
しかし、一般的には装飾用の植物とされ料理用としてめったに使われなかった。
*1799年から1825年頃
アレッポ(シリア北部にある都市)の英国領事であるジョン・バーカーによって北アフリカと中東にトマトが紹介され栽培が導入される。