「匙の分量(食道楽)」の版間の差分
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− | '''匙の分量''' | + | '''匙の分量'''(さじのぶんりょう)は、明治36年(1903年)に出版された[[村井弦斎]]の小説『[[食道楽]]・[[食道楽・冬の巻|冬の巻]]』で[[トマト|赤茄子]]が登場する項である。 |
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2022年5月6日 (金) 03:15時点における最新版
匙の分量(さじのぶんりょう)は、明治36年(1903年)に出版された村井弦斎の小説『食道楽・冬の巻』で赤茄子が登場する項である。
第三百一 匙の分量
慣れぬ人に料理法を教ゆるは思い掛けぬ処にて間違を生じやすし。
お登和嬢もその意を諒し「なるほどそうでございますね。田舎なんぞで大匙や中匙がなかったらその分量に困るかもしれません。しかし料理の分量は幾度も経験してこの位がちょうどいいという程を我が心で悟るようにならなければ匙で量っても桝で量ってもなかなか旨く参りません。何故と申すのに同じ大匙一杯と申しても量る品物によって一々その分量が違います。大匙というのは西洋で野菜匙という大きな匙で、メリケン粉を並に量ると先ず二十杯で一斤になります。山盛にすると十六杯位で一斤になります。しかしメリケン粉も篩ったのですと大匙で並に三十杯量らなければなりません。即ち二杯と三杯と同じ事になります。水を量る時には大匙八杯で一合になります。中匙というのはスープに使う匙でメリケン粉を量ると大匙の半分以上あります。即わち大匙の七割位ありますが水で量るとちょうど大匙の半分です。小匙と申すのは茶匙の事でメリケン粉で量ると小匙三杯が大匙一杯になりますが水で量ると小匙四杯がちょうど大匙一杯になります。バターなんぞはスリ切りで大匙に十六杯が一斤になり、お砂糖も篩わないのが十六杯で一斤、篩ったのが二十杯位の割になります。お砂糖と申せば西洋料理でお砂糖一斤にメリケン粉一斤というと粉も百二十目お砂糖も百二十目即ち英一斤です。譬えばジャムを煮る時菓物一斤に砂糖一斤といいますのは双方とも百二十目の事です。赤茄子とか無花果とか酸味の寡い菓物は菓物一斤に砂糖百目といいますから外の物よりも少しお砂糖の寡い割です。それを砂糖屋から黙ってお砂糖を一斤といって買って来て菓物屋から菓物を一斤といって買って何の気も付かずにジャムを煮たら甘過ぎて食べられなかったという人がありました。お砂糖の方は百六十目で菓物の方が百二十目ですからそれでは甘過ぎて食べられません。全体我邦には百六十目一斤だの百二十目一斤だのと同じ一斤に相違のあるのは国の文明が進歩しない印で実に不便この上なしです。尺にも鯨尺と曲尺とがありますし、同じ一尺といっても二寸ほどの差があるのです。こんな事こそ早く政府の力で一定させて下さるといいのですね。しかし同じ鯨尺で反物を測っても人によって延尺の癖があり縮尺の癖があるようなもので、同じメリケン粉やお砂糖を大匙何杯で量るにも人によって手加減が違いますからとても一様に参りません。大匙何杯と教わったからその通りにお砂糖を入れたが甘過ぎたとか甘味が不足したとかいいますけれどもそれはその人の手加減にもあるので、即ち料理の一番大切な程や加減という事です。自分で研究してその程と加減を覚えなければなかなか一度位で美味いお料理が出来るものでありません」と人を教うるものは常にかかる苦痛あり。小山の妻君も嬢の心を察し「全くそうでございましょうね、一度聞いた位で試験してみてそれでよく出来ないと教え様が悪いというのは習う人の無理ですね。或る書生さんが自転車の書物を買って二度も三度も読み返してモー自転車の乗り方を覚えたと自転車を買って乗ったところが直ぐ転覆って一尺も先へ出なかったという話しがあります。何ほど自転車の事が書物で委しく書いてあってもそれを読んだばかりで稽古もせずに自転車へは乗れません。料理の事もその通りでございましょう」と世には往々この自転車乗に似たる事多し。
参考文献
- 『食道楽・冬の巻』:明治三十六年(第三百一・匙の分量)