「アローシュ・デ・ポルヴォ」の版間の差分

提供: Tomatopedia
ナビゲーションに移動 検索に移動
 
(同じ利用者による、間の162版が非表示)
4行目: 4行目:
  
 
== 概略 ==
 
== 概略 ==
[[File:Portuguese Tomato Dishes - Arroz de Porvo served in Pots.png|thumb|right|200px|鍋で供されるアローシュ・デ・ポルヴォ]]
+
[[File:Portuguese Tomato Dishes - Arroz de Porvo served in Pots.png|thumb|right|250px|鍋で供されるアローシュ・デ・ポルヴォ]]
アローシュ・デ・ポルヴォは、直訳で “ タコ飯 ” の意味である。
+
アローシュ・デ・ポルヴォは、直訳で “ タコ飯 ” の意味であり、ポルトガルの食文化である、米、タコ、[[トマト]]の歴史的な相互性によって生まれた料理である。
 
ポルトガル国内において、タコ料理は美食として高く評価されている。
 
ポルトガル国内において、タコ料理は美食として高く評価されている。
その一つであるアローシュ・デ・ポルヴォはメインディッシュとして祭りや特別な行事で非常に人気の高い料理であり、結婚式、洗礼式、クリスマス、その他の祝いの席でも供される。
+
その一つであるアローシュ・デ・ポルヴォはメインディッシュとして、祭りや特別な行事で非常に人気の高い料理であり、結婚式、洗礼式、クリスマス、その他の祝いの席でも供される。
 +
 
 
また、シンプルな材料と比較的簡単な調理で作れることでも人気が高く、家庭や個人の好みによって手軽にアレンジされて国民に広く親しまれている料理である。
 
また、シンプルな材料と比較的簡単な調理で作れることでも人気が高く、家庭や個人の好みによって手軽にアレンジされて国民に広く親しまれている料理である。
 
好みに応じて白ワインまたは赤ワインと合わせて楽しめる。
 
好みに応じて白ワインまたは赤ワインと合わせて楽しめる。
 +
 +
通常、鍋で調理され、そのまま供卓される。
 +
アローシュ・デ・ポルヴォのような米料理は、一般的にレストランへ一緒に同行した人数で鍋から皿に取り分けて食べるため、独りの場合は最低でも二人前を食べる必要があり、一人前で提供するレストランは少ない。
 +
他のさまざまな料理と共に米料理をほどよく嗜むには、自身を含めて友人や恋人など計2名が最低限必要である。
 +
単独旅行の場合、これが大きなネックとなる。
 +
 +
日本において、ポルトガル料理はイタリアの麺料理であるパスタなどに比べて、まだまだポピュラーではないが、ポルトガルの米料理はパラつきのある長粒米のリゾットとは異なり、日本と同じジャポニカ米の系統を使うことが正当とされており、米食に慣れ親しんでいる日本人にとって、かなり馴染みやすい味である。
 +
シンプルで応用も効くため、家庭料理としても適応し、レパートリーとなりえる。
 +
家族団欒やホームパーティー、独身の自炊生活にも、うってつけの料理である。
  
 
== 起源 ==
 
== 起源 ==
 +
=== タコ ===
 
[[File:Santa Luzia -  Capital do Polvo.png|thumb|right|250px|「タコの首都」サンタ・ルジア]]
 
[[File:Santa Luzia -  Capital do Polvo.png|thumb|right|250px|「タコの首都」サンタ・ルジア]]
 
アローシュ・デ・ポルヴォの起源は、ポルトガルの漁師が食事の主な材料としてタコを使い始めた古代にさかのぼるとされる。
 
アローシュ・デ・ポルヴォの起源は、ポルトガルの漁師が食事の主な材料としてタコを使い始めた古代にさかのぼるとされる。
今日のアローシュ・デ・ポルヴォは特にタコが豊富に獲れるポルトガル最南端の沿岸地域であるアルガルヴェ地方のファーロ県タヴィラに位置するサンタ・ルジア地区のレシピに由来すると云われている。
+
タコは少なくともフェニキア人の時代、つまり紀元前12世紀頃からポルトガルでは一般的な食材であったと考えられている。
漁師町のサンタ・ルジアは「タコの首都」(Capital do Polvo)の名でも知られ、タコのモニュメントや記念碑もある。
+
その後のローマ人やムーア人、さらには現在のポルトガルの領土に居住していた全ての民族が、大西洋沿岸でタコを獲り、冷蔵技術が発達する以前のはるか昔から乾物や塩漬けに加工して保存していた。
 +
現在でも伝統的な干し鱈(Bacalhau:バカリャウ)があるように、今日でも浜辺では魚のアジと並んでタコを手作業で天日干しする光景を見ることができる。
 +
 
 +
タコの主な名産地はポルトガル最南端の沿岸地域であるアルガルヴェ地方と南西部のコスタ・ヴィセンティーナ海岸が有名である。
 +
共にタコ漁が盛んな地域だが、岩礁に生息し、貝や小魚を捕食しているため良質なタコとされている。
 +
 
 +
アローシュ・デ・ポルヴォは特にタコが豊富に獲れるアルガルヴェ地方のファーロ県タヴィラに位置するサンタ・ルジア地区のレシピに由来すると云われている。
 +
漁師町のサンタ・ルジアは「タコの首都」(Capital do Polvo)の名でも知られ、地域内にはタコのオブジェや記念碑も存在する。
  
また、この料理の特徴である[[トマト]]は、16世紀末に中南米からスペインのセビリア港を経由してヨーロッパに伝来し、同時にポルトガル料理にも急速に取り入れられていった。
+
=== トマト ===
 +
この料理の特徴である[[トマト]]は、16世紀末に中南米からスペインのセビリア港を経由してヨーロッパに伝来し、同時にポルトガル料理にも急速に取り入れられていった。
 
現在、ポルトガルはヨーロッパ第3位のトマト生産国であり、アルガルヴェ地方は国内でも代表的な生産地の一つである。
 
現在、ポルトガルはヨーロッパ第3位のトマト生産国であり、アルガルヴェ地方は国内でも代表的な生産地の一つである。
  
 
=== ポルトガルの米食文化 ===
 
=== ポルトガルの米食文化 ===
 +
[[File:Portuguese Agriculture - Rice Fields.png|thumb|right|250px|ポルトガルの田園風景]]
 
ポルトガルはヨーロッパ最大のコメ消費国であり、その量は一人当たり年間15kgで、これはヨーロッパ平均のおよそ3倍である。
 
ポルトガルはヨーロッパ最大のコメ消費国であり、その量は一人当たり年間15kgで、これはヨーロッパ平均のおよそ3倍である。
ポルトガルと米のつながりは、その建国(12世紀:1143年10月5日)のはるか昔から存在する。
+
ポルトガル人と米の繋がりは、ポルトガル建国(12世紀:1143年10月5日)以前のはるか昔から存在する。
紀元7世紀から8世紀にかけてのムーア人の占領時代に、ポルトガルの領土で米が栽培され始めた。
+
稲作はムーア人の領地であった7世紀から8世紀にかけて現在のポルトガル領土で始められた。
以来、米はポルトガルの食生活において非常に貴重なものとなったが、これは土壌、温度、日照時間、水などの栽培に適した環境も大きく影響している。
+
 
現在ではヨーロッパで第4位の生産国となり、サド川、テージョ川、モンデゴ川の河口域で栽培されている。
+
以来、米はポルトガル人の食生活において非常に重要なものとなったが、これは土壌、温度、日照時間、水などの栽培に適した環境も大きく影響している。
 +
現在では年間150,000トン(1億5,000万キロ)から180,000トンの米を生産しており、国内消費の60%を自給している。
 +
作付総面積は約30,000ヘクタールで、主にサド川、テージョ川、モンデゴ川の河口域で栽培されている。
 +
ヨーロッパにおいて日本のような田園風景(田んぼ)が見られるのは稀である。
 +
[[File:Portuguese Rice Culture -(Museu do Arroz)Rice Museum.png|thumb|right|250px|コメ博物館と田園]]
 +
米はその粒の大きさや形状によって、短粒米、中粒米、長粒米の3種類に分けられるが、ポルトガルにはこれら3種の古来種が存在する。
 +
その中で特にアグーリャ(Agulha)とカロリーノ(Carolino)という2つの主要な品種が栽培されている。
 +
アグーリャはカロリーノよりも安価で作付面積も3分の1と少ない。
 +
カロリーノは本来の作付面積をさらに増やし、加えて約5,000ヘクタールの作付がされたが、庶民の多くは安価な輸入米に頼るため、過剰在庫はトルコや海外のポルトガル料理のレストランなどへ輸出されている。
 +
カロリーノは日本でいうコシヒカリのような存在であるといってよい。
 +
 
 +
アグーリャは長粒のインディカ米で、カロリーノは短粒で日本で食されているジャポニカ米の亜種である。
 +
カロリーノはクリーミーで弾力のある食感や粘性、炊き上がりの硬さの均一性、茹でたり炊いた場合は汁を完全に吸収し、そのスープや調味料の風味を取り込む特性があり、アローシュ・デ・ポルヴォをはじめ、米料理に最適とされている。
 +
これらの特徴からポルトガルではカロリーノの伝統性を強調し「ポルトガルの国米」としている。
 +
 
 +
サド川の河口沿いに位置するコンポルタには、ポルトガルにおける米の歴史を専門とする「コメ博物館」(Museu do Arroz)があり、併設のレストランではポルトガルの有名な米料理の数々を紹介している。
  
 
== 基本構成 ==
 
== 基本構成 ==
57行目: 92行目:
  
 
== 関連項目 ==
 
== 関連項目 ==
*[[アロース・デ・マリスコ]]
+
*[[ポルトガルの米料理一覧]]
*[[アローシュ・デ・タンボリル]]
+
*[[アローシュ・デ・トマーチ]]
 +
*[[アローシュ・デ・マリスコス]]
 +
*[[カショーホ・ケンチ・デ・ポルヴォ]]
 
----
 
----
 
[[Category:トマト料理|あ]]
 
[[Category:トマト料理|あ]]
 
[[Category:ポルトガルのトマト料理|あ]]
 
[[Category:ポルトガルのトマト料理|あ]]

2023年9月12日 (火) 05:21時点における最新版

ポルトガル風たこ飯
『アローシュ・デ・ポルヴォ』

アローシュ・デ・ポルヴォ(Arroz de Polvo)は、ポルトガル発祥の伝統的なタコ料理およびコメ料理である。

概略

鍋で供されるアローシュ・デ・ポルヴォ

アローシュ・デ・ポルヴォは、直訳で “ タコ飯 ” の意味であり、ポルトガルの食文化である、米、タコ、トマトの歴史的な相互性によって生まれた料理である。 ポルトガル国内において、タコ料理は美食として高く評価されている。 その一つであるアローシュ・デ・ポルヴォはメインディッシュとして、祭りや特別な行事で非常に人気の高い料理であり、結婚式、洗礼式、クリスマス、その他の祝いの席でも供される。

また、シンプルな材料と比較的簡単な調理で作れることでも人気が高く、家庭や個人の好みによって手軽にアレンジされて国民に広く親しまれている料理である。 好みに応じて白ワインまたは赤ワインと合わせて楽しめる。

通常、鍋で調理され、そのまま供卓される。 アローシュ・デ・ポルヴォのような米料理は、一般的にレストランへ一緒に同行した人数で鍋から皿に取り分けて食べるため、独りの場合は最低でも二人前を食べる必要があり、一人前で提供するレストランは少ない。 他のさまざまな料理と共に米料理をほどよく嗜むには、自身を含めて友人や恋人など計2名が最低限必要である。 単独旅行の場合、これが大きなネックとなる。

日本において、ポルトガル料理はイタリアの麺料理であるパスタなどに比べて、まだまだポピュラーではないが、ポルトガルの米料理はパラつきのある長粒米のリゾットとは異なり、日本と同じジャポニカ米の系統を使うことが正当とされており、米食に慣れ親しんでいる日本人にとって、かなり馴染みやすい味である。 シンプルで応用も効くため、家庭料理としても適応し、レパートリーとなりえる。 家族団欒やホームパーティー、独身の自炊生活にも、うってつけの料理である。

起源

タコ

「タコの首都」サンタ・ルジア

アローシュ・デ・ポルヴォの起源は、ポルトガルの漁師が食事の主な材料としてタコを使い始めた古代にさかのぼるとされる。 タコは少なくともフェニキア人の時代、つまり紀元前12世紀頃からポルトガルでは一般的な食材であったと考えられている。 その後のローマ人やムーア人、さらには現在のポルトガルの領土に居住していた全ての民族が、大西洋沿岸でタコを獲り、冷蔵技術が発達する以前のはるか昔から乾物や塩漬けに加工して保存していた。 現在でも伝統的な干し鱈(Bacalhau:バカリャウ)があるように、今日でも浜辺では魚のアジと並んでタコを手作業で天日干しする光景を見ることができる。

タコの主な名産地はポルトガル最南端の沿岸地域であるアルガルヴェ地方と南西部のコスタ・ヴィセンティーナ海岸が有名である。 共にタコ漁が盛んな地域だが、岩礁に生息し、貝や小魚を捕食しているため良質なタコとされている。

アローシュ・デ・ポルヴォは特にタコが豊富に獲れるアルガルヴェ地方のファーロ県タヴィラに位置するサンタ・ルジア地区のレシピに由来すると云われている。 漁師町のサンタ・ルジアは「タコの首都」(Capital do Polvo)の名でも知られ、地域内にはタコのオブジェや記念碑も存在する。

トマト

この料理の特徴であるトマトは、16世紀末に中南米からスペインのセビリア港を経由してヨーロッパに伝来し、同時にポルトガル料理にも急速に取り入れられていった。 現在、ポルトガルはヨーロッパ第3位のトマト生産国であり、アルガルヴェ地方は国内でも代表的な生産地の一つである。

ポルトガルの米食文化

ポルトガルの田園風景

ポルトガルはヨーロッパ最大のコメ消費国であり、その量は一人当たり年間15kgで、これはヨーロッパ平均のおよそ3倍である。 ポルトガル人と米の繋がりは、ポルトガル建国(12世紀:1143年10月5日)以前のはるか昔から存在する。 稲作はムーア人の領地であった7世紀から8世紀にかけて現在のポルトガル領土で始められた。

以来、米はポルトガル人の食生活において非常に重要なものとなったが、これは土壌、温度、日照時間、水などの栽培に適した環境も大きく影響している。 現在では年間150,000トン(1億5,000万キロ)から180,000トンの米を生産しており、国内消費の60%を自給している。 作付総面積は約30,000ヘクタールで、主にサド川、テージョ川、モンデゴ川の河口域で栽培されている。 ヨーロッパにおいて日本のような田園風景(田んぼ)が見られるのは稀である。

コメ博物館と田園

米はその粒の大きさや形状によって、短粒米、中粒米、長粒米の3種類に分けられるが、ポルトガルにはこれら3種の古来種が存在する。 その中で特にアグーリャ(Agulha)とカロリーノ(Carolino)という2つの主要な品種が栽培されている。 アグーリャはカロリーノよりも安価で作付面積も3分の1と少ない。 カロリーノは本来の作付面積をさらに増やし、加えて約5,000ヘクタールの作付がされたが、庶民の多くは安価な輸入米に頼るため、過剰在庫はトルコや海外のポルトガル料理のレストランなどへ輸出されている。 カロリーノは日本でいうコシヒカリのような存在であるといってよい。

アグーリャは長粒のインディカ米で、カロリーノは短粒で日本で食されているジャポニカ米の亜種である。 カロリーノはクリーミーで弾力のある食感や粘性、炊き上がりの硬さの均一性、茹でたり炊いた場合は汁を完全に吸収し、そのスープや調味料の風味を取り込む特性があり、アローシュ・デ・ポルヴォをはじめ、米料理に最適とされている。 これらの特徴からポルトガルではカロリーノの伝統性を強調し「ポルトガルの国米」としている。

サド川の河口沿いに位置するコンポルタには、ポルトガルにおける米の歴史を専門とする「コメ博物館」(Museu do Arroz)があり、併設のレストランではポルトガルの有名な米料理の数々を紹介している。

基本構成

基本的な材料には、タコ、米、玉ねぎ、にんにく、トマト、オリーブオイル、白ワイン、魚のだし、パプリカ、月桂樹の葉、パセリ、塩が含まれる。

赤ワインを使うものは、アローシュ・デ・ポルヴォ・コン・ヴィニョ・ティント(Arroz de Polvo com Vinho Tinto)と呼ばれる。

調理

皿に盛ったアローシュ・デ・ポルヴォ

下準備

  1. まず、タコを洗い、細かく切る。
  2. 次に、玉ねぎ、にんにく、トマト、オリーブオイルで柔らかくなるまで炒める。
  3. その後、白ワインを加えて、魚のだしを少しずつ加えて味を調える。

炊飯

  1. タコとだし汁に米を加え、米が柔らかくなり水分をすべて吸収するまで弱火で煮る。
  2. 炊飯中は、お米が鍋底にくっつかないように時々かき混ぜることが大切である。

バリエーション

以下は、バリエーションとして一般的なものである。

  • アローシュ・デ・ポルヴォ・コン・カマラオンArroz de Polvo com Camarão):エビ入り
  • アローシュ・デ・ポルヴォ・コン・アマイジョアArroz de Polvo com Amêijoa):アサリ入り
  • アローシュ・デ・ポルヴォ・コン・リングヴェイラオンArroz de Polvo com Lingueirão):マテガイ入り
  • アローシュ・デ・ポルヴォ・コン・マリスコス(Arroz de Polvo com Mariscos):

関連項目