「主婦之友」の版間の差分

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『主婦と生活』『婦人倶楽部』とともに、長く主婦向けの代表的な雑誌だった。
 
『主婦と生活』『婦人倶楽部』とともに、長く主婦向けの代表的な雑誌だった。
 
婦人誌の付録に初めて「家計簿」を付けた雑誌としても知られる。
 
婦人誌の付録に初めて「家計簿」を付けた雑誌としても知られる。
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== 創刊 ==
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1915年に設立された東京家政研究会の創立者石川武美により、1917年2月に『主婦之友』として創刊(3月号)。
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創刊号は、菊判120ページ、15銭で、1万部発行。
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当時発行されていた『婦人画報』30銭、『婦女界』17銭、『婦人之友』20銭よりも安価に設定された。
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編集方針は、主婦に生活の知恵を授ける、生活に根ざした教養と修養の生活技術啓蒙誌であり、当時の婦人誌の読者層が知識階級であったのに対して、大衆層に向けたものだった。
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創刊号の記事は、新渡戸稲造「夫の意気地なしを嘆く妻へ」、安部磯雄夫人の「十五人家内の主婦としての私の日常」、他に「子供が出来ぬといはれた私の出産」「共稼で月収三十三円の新家庭」「お女中の心得(お掃除の仕方)」「主婦らしきお化粧法」などで、表紙は石井滴水。
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1918年新年号では婦人誌で最初の別冊付録「開運独占」を付けた。大正末には部数は22万部となる
  
  

2022年4月11日 (月) 22:06時点における版

主婦之友(しゅふのとも)は、主婦の友社発行の女性向け月刊誌。 1917年(大正6年)創刊。 2008年休刊。 『主婦と生活』『婦人倶楽部』とともに、長く主婦向けの代表的な雑誌だった。 婦人誌の付録に初めて「家計簿」を付けた雑誌としても知られる。

創刊

1915年に設立された東京家政研究会の創立者石川武美により、1917年2月に『主婦之友』として創刊(3月号)。 創刊号は、菊判120ページ、15銭で、1万部発行。 当時発行されていた『婦人画報』30銭、『婦女界』17銭、『婦人之友』20銭よりも安価に設定された。 編集方針は、主婦に生活の知恵を授ける、生活に根ざした教養と修養の生活技術啓蒙誌であり、当時の婦人誌の読者層が知識階級であったのに対して、大衆層に向けたものだった。 創刊号の記事は、新渡戸稲造「夫の意気地なしを嘆く妻へ」、安部磯雄夫人の「十五人家内の主婦としての私の日常」、他に「子供が出来ぬといはれた私の出産」「共稼で月収三十三円の新家庭」「お女中の心得(お掃除の仕方)」「主婦らしきお化粧法」などで、表紙は石井滴水。 1918年新年号では婦人誌で最初の別冊付録「開運独占」を付けた。大正末には部数は22万部となる