「トマトの青じそサラダ」の版間の差分
(→夜中の薔薇) |
|||
2行目: | 2行目: | ||
[[ファイル:Japanese Tomato Dishes - Tomato no Aoziso Salad.png||250px|right|]] | [[ファイル:Japanese Tomato Dishes - Tomato no Aoziso Salad.png||250px|right|]] | ||
'''トマトの青じそサラダ'''(Tomato no Aoziso Salad)は、テレビドラマ脚本家、エッセイスト、小説家の向田 邦子(むこうだ くにこ:1929年・昭和4年11月28日 - 1981年・昭和56年8月22日)の手料理である。 | '''トマトの青じそサラダ'''(Tomato no Aoziso Salad)は、テレビドラマ脚本家、エッセイスト、小説家の向田 邦子(むこうだ くにこ:1929年・昭和4年11月28日 - 1981年・昭和56年8月22日)の手料理である。 | ||
− | |||
− | == | + | == 向田 邦子 == |
[[File:Japanese Writer - Kuniko Mukoda(28 November 1929 - 22 August 1981).jpg|thumb|right|190px|向田邦子]] | [[File:Japanese Writer - Kuniko Mukoda(28 November 1929 - 22 August 1981).jpg|thumb|right|190px|向田邦子]] | ||
− | + | 1929年(昭和4年)、東京府荏原郡世田ヶ谷町若林(現・東京都世田谷区若林)に生まれる。 | |
− | + | 父親は高等小学校を卒業したあと第一徴兵保険(東邦生命保険。現、ジブラルタ生命保険)に給仕として入社し、そこから幹部社員にまで登りつめた苦労人。 | |
+ | なお転勤族であったため一歳で宇都宮に転居したのを初めとして、幼少時から高等女学校時代まで日本全国を転々としながら育つ。 | ||
+ | 香川県の高松市立四番丁小学校卒業、東京都立目黒高等女学校、実践女子専門学校(現・実践女子大学)国語科卒業。 | ||
+ | |||
+ | 新卒で財政文化社に入社し、社長秘書として勤める。 | ||
+ | その後雄鶏社に転職し、「映画ストーリー」編集部に配属され、映画雑誌編集者として過ごす。 | ||
+ | そのころ市川三郎の元で脚本を学び、シナリオライターを目指した。 | ||
+ | 雄鶏社を退社した後は脚本家、エッセイスト、小説家として活躍する。 | ||
+ | |||
+ | ホームドラマ作品の脚本家として現在も知名度は高く、『時間ですよ』『寺内貫太郎一家』『阿修羅のごとく』といった人気作品を数多く送り出した。 | ||
+ | 1970年代には倉本聰・山田太一と並んで「シナリオライター御三家」と呼ばれた。 | ||
+ | 1981年(昭和56年)8月22日、取材旅行中の台湾苗栗県三義郷で遠東航空機墜落事故にて死去。享年51。 | ||
+ | |||
+ | === 小料理 ままや === | ||
+ | |||
+ | |||
+ | == 夜中の薔薇 == | ||
<blockquote>“ 私はヘンに凝り性のところがあって、いいとなるとそればかり続けて食べる癖がある。 | <blockquote>“ 私はヘンに凝り性のところがあって、いいとなるとそればかり続けて食べる癖がある。 | ||
トマトを切って、青じその細切りをのせ、胡麻油、酢、醤油を加えた和風ドレッシングをかけたものがひどく気に入って凝り、友人たちにもご馳走し、電話で作り方を、–—というほどご大層なものではないが–—宣伝した。”</blockquote> | トマトを切って、青じその細切りをのせ、胡麻油、酢、醤油を加えた和風ドレッシングをかけたものがひどく気に入って凝り、友人たちにもご馳走し、電話で作り方を、–—というほどご大層なものではないが–—宣伝した。”</blockquote> |
2022年4月8日 (金) 11:25時点における版
トマトの青じそサラダ(Tomato no Aoziso Salad)は、テレビドラマ脚本家、エッセイスト、小説家の向田 邦子(むこうだ くにこ:1929年・昭和4年11月28日 - 1981年・昭和56年8月22日)の手料理である。
向田 邦子
1929年(昭和4年)、東京府荏原郡世田ヶ谷町若林(現・東京都世田谷区若林)に生まれる。 父親は高等小学校を卒業したあと第一徴兵保険(東邦生命保険。現、ジブラルタ生命保険)に給仕として入社し、そこから幹部社員にまで登りつめた苦労人。 なお転勤族であったため一歳で宇都宮に転居したのを初めとして、幼少時から高等女学校時代まで日本全国を転々としながら育つ。 香川県の高松市立四番丁小学校卒業、東京都立目黒高等女学校、実践女子専門学校(現・実践女子大学)国語科卒業。
新卒で財政文化社に入社し、社長秘書として勤める。 その後雄鶏社に転職し、「映画ストーリー」編集部に配属され、映画雑誌編集者として過ごす。 そのころ市川三郎の元で脚本を学び、シナリオライターを目指した。 雄鶏社を退社した後は脚本家、エッセイスト、小説家として活躍する。
ホームドラマ作品の脚本家として現在も知名度は高く、『時間ですよ』『寺内貫太郎一家』『阿修羅のごとく』といった人気作品を数多く送り出した。 1970年代には倉本聰・山田太一と並んで「シナリオライター御三家」と呼ばれた。
1981年(昭和56年)8月22日、取材旅行中の台湾苗栗県三義郷で遠東航空機墜落事故にて死去。享年51。
小料理 ままや
夜中の薔薇
“ 私はヘンに凝り性のところがあって、いいとなるとそればかり続けて食べる癖がある。 トマトを切って、青じその細切りをのせ、胡麻油、酢、醤油を加えた和風ドレッシングをかけたものがひどく気に入って凝り、友人たちにもご馳走し、電話で作り方を、–—というほどご大層なものではないが–—宣伝した。”
材料
- トマト4個に対して青じそ12枚。
- ごま油:大さじ3と1/2
- 酢大さじ:2と1/2
- 醤油大さじ:1
- 塩:少々
- うま味調味料:少々