「トマト年表」の版間の差分
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*<p>マヤ文明(メキシコ・グアテマラ・ホンジュラス)</p> | *<p>マヤ文明(メキシコ・グアテマラ・ホンジュラス)</p> | ||
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*<p>アステカ(メキシコ中央部で栄えたメソアメリカ文明)</p> | *<p>アステカ(メキシコ中央部で栄えたメソアメリカ文明)</p> | ||
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*<p>[[クリストファー・コロンブス]]が、8月にサンタマリア号で出航、東方のジパングを目指し偶然にも新大陸に漂着する。</p> | *<p>[[クリストファー・コロンブス]]が、8月にサンタマリア号で出航、東方のジパングを目指し偶然にも新大陸に漂着する。</p> | ||
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*<p>スペインのコンキスタドール(征服者)である[[エルナン・コルテス]]が、キューバ総督ディエゴ・ベラスケスの命令に違反してメキシコに上陸、侵攻を開始する。</p> | *<p>スペインのコンキスタドール(征服者)である[[エルナン・コルテス]]が、キューバ総督ディエゴ・ベラスケスの命令に違反してメキシコに上陸、侵攻を開始する。</p> | ||
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*<p>[[エルナン・コルテス]]がメキシコ高原のテノチティトランを征服、アステカ帝国が滅びる。<br> | *<p>[[エルナン・コルテス]]がメキシコ高原のテノチティトランを征服、アステカ帝国が滅びる。<br> | ||
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*<p>[[エルナン・コルテス]]が小さな黄色いトマトトマトを祖国に持ち帰ったとされる。</p> | *<p>[[エルナン・コルテス]]が小さな黄色いトマトトマトを祖国に持ち帰ったとされる。</p> | ||
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トマトは食べれるかもしれないが現時点でそれを消費している人の記録はないことを示唆。</p> | トマトは食べれるかもしれないが現時点でそれを消費している人の記録はないことを示唆。</p> | ||
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*<p>フィレンツェ共和国(イタリア)の銀行家で公爵であるコジモ・デ・メディチの執事がデ・メディチの個人秘書に「トマト(Pomi d'oro)のバスケットが届いた」と書き、トマトがPomi d'oroとしてイタリアで最初の名前を与えられる。<br> | *<p>フィレンツェ共和国(イタリア)の銀行家で公爵であるコジモ・デ・メディチの執事がデ・メディチの個人秘書に「トマト(Pomi d'oro)のバスケットが届いた」と書き、トマトがPomi d'oroとしてイタリアで最初の名前を与えられる。<br> | ||
それまで、Pomi d'oroは科学者が論文でイチジク、メロン、柑橘類を指すものとして使われていた。</p> | それまで、Pomi d'oroは科学者が論文でイチジク、メロン、柑橘類を指すものとして使われていた。</p> | ||
− | ==== 1597年 ==== | + | ==== 🍅 1597年 ==== |
*<p>イギリスの床屋で外科,植物学者の[[ジョン・ジェラード]]が、フランス人とイタリア人がトマトを食べたことを認めながらも、トマトは有毒であると述べた本、The Herball or Generall Hiftorie of Plantesを出版。</p> | *<p>イギリスの床屋で外科,植物学者の[[ジョン・ジェラード]]が、フランス人とイタリア人がトマトを食べたことを認めながらも、トマトは有毒であると述べた本、The Herball or Generall Hiftorie of Plantesを出版。</p> | ||
− | ==== 1710年 ==== | + | ==== 🍅 1710年 ==== |
*<p>北アメリカ(イギリス領)で栽培されているトマトについて最初の言及。</p> | *<p>北アメリカ(イギリス領)で栽培されているトマトについて最初の言及。</p> | ||
− | ==== 1745年 ==== | + | ==== 🍅 1745年 ==== |
*<p>第3代アメリカ合衆国大統領であるトーマス・ジェファーソンが、ユダヤ人の友人であるジョン・デセケイラ博士が、1745年にウィリアムズバーグ(バージニア州)に到着した後、バージニアにトマトを紹介したと書く。</p> | *<p>第3代アメリカ合衆国大統領であるトーマス・ジェファーソンが、ユダヤ人の友人であるジョン・デセケイラ博士が、1745年にウィリアムズバーグ(バージニア州)に到着した後、バージニアにトマトを紹介したと書く。</p> | ||
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<p>園芸雑誌のル・ボン・ジャルディニエ(1755年から発行)でトマトでソースを作ることができると紹介された。</p> | <p>園芸雑誌のル・ボン・ジャルディニエ(1755年から発行)でトマトでソースを作ることができると紹介された。</p> | ||
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*<p>イギリスの料理作家である[[ハナー・グラス]]によると、1750年代、トマトはイギリスではスープで食べられていた。</p> | *<p>イギリスの料理作家である[[ハナー・グラス]]によると、1750年代、トマトはイギリスではスープで食べられていた。</p> | ||
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*<p>アメリカで最も初期のトマト料理のレシピがサウスカロライナで出される。</p> | *<p>アメリカで最も初期のトマト料理のレシピがサウスカロライナで出される。</p> | ||
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*<p>貴族、バルベリーニ枢機卿の料理人である[[アントニオ・ネッビア]]がパスタとトマトソースを組み合わせた初めてのレシピ本を出版。</p> | *<p>貴族、バルベリーニ枢機卿の料理人である[[アントニオ・ネッビア]]がパスタとトマトソースを組み合わせた初めてのレシピ本を出版。</p> | ||
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フィレンツェの貴族、ジョヴァン・ヴィットリオ・ソデリーニは「彼らは美しさだけだけを求められた」と記している。</p> | フィレンツェの貴族、ジョヴァン・ヴィットリオ・ソデリーニは「彼らは美しさだけだけを求められた」と記している。</p> | ||
− | ==== 1799年 - 1825年頃 ==== | + | ==== 🍅 1799年 - 1825年頃 ==== |
*<p>アレッポ(シリア北部にある都市)の英国領事である[[ジョン・バーカー]]によって北アフリカと中東にトマトが紹介され栽培が導入される。</p> | *<p>アレッポ(シリア北部にある都市)の英国領事である[[ジョン・バーカー]]によって北アフリカと中東にトマトが紹介され栽培が導入される。</p> | ||
− | ==== 1820年9月26日 ==== | + | ==== 🍅 1820年9月26日 ==== |
*<p>まだトマトには毒があると信じられていた時代、アメリカ(ニュージャージー州セーラム郡)の裁判所前で[[ロバート・ギボン・ジョンソン|ジョンソン大佐]]として知られる[[ロバート・ギボン・ジョンソン]]が「トマトを食べてみせる」と言い、それに2000人もの群衆が集まり、食べる姿を見て怒号や悲鳴、失神する女性も出たが最後は歓声で終わった。</p> | *<p>まだトマトには毒があると信じられていた時代、アメリカ(ニュージャージー州セーラム郡)の裁判所前で[[ロバート・ギボン・ジョンソン|ジョンソン大佐]]として知られる[[ロバート・ギボン・ジョンソン]]が「トマトを食べてみせる」と言い、それに2000人もの群衆が集まり、食べる姿を見て怒号や悲鳴、失神する女性も出たが最後は歓声で終わった。</p> | ||
− | ==== 1873年5月1日 - 10月31日 ==== | + | ==== 🍅 1873年5月1日 - 10月31日 ==== |
*<p>一般的には、まだ非常にエキゾチックに映っていたトマトはハンガリー帝国(オーストリア)のウィーン万国博覧会で人の目を引く植物として展示された。</p> | *<p>一般的には、まだ非常にエキゾチックに映っていたトマトはハンガリー帝国(オーストリア)のウィーン万国博覧会で人の目を引く植物として展示された。</p> | ||
− | ==== 1988年 ==== | + | ==== 🍅 1988年 ==== |
*<p>グッドモーニングアメリカ(ABCで放送されている朝の情報番組)は、[[ロバート・ギボン・ジョンソン|ジョンソン大佐]]がアメリカで最初にトマトを食べたと報道した。</p> | *<p>グッドモーニングアメリカ(ABCで放送されている朝の情報番組)は、[[ロバート・ギボン・ジョンソン|ジョンソン大佐]]がアメリカで最初にトマトを食べたと報道した。</p> |
2021年5月27日 (木) 01:37時点における版
🍅 紀元前200年
メキシコシティの南東にあるテワカン渓谷にある洞窟の発掘調査で紀元前200年前の地層からトマトの種子が見つかる。
🍅 紀元前300年
マヤ文明(メキシコ・グアテマラ・ホンジュラス)
🍅 西暦700年
🍅 1428年
アステカ(メキシコ中央部で栄えたメソアメリカ文明)
🍅 1492年10月
クリストファー・コロンブスが、8月にサンタマリア号で出航、東方のジパングを目指し偶然にも新大陸に漂着する。
🍅 1519年
スペインのコンキスタドール(征服者)であるエルナン・コルテスが、キューバ総督ディエゴ・ベラスケスの命令に違反してメキシコに上陸、侵攻を開始する。
🍅 1521年
エルナン・コルテスがメキシコ高原のテノチティトランを征服、アステカ帝国が滅びる。
🍅 1544年
エルナン・コルテスが小さな黄色いトマトトマトを祖国に持ち帰ったとされる。
イタリア(トスカーナ)の医師で植物学者であるピエトロ・アンドレア・マッティオリがトマトを含む文献を出版。
黄金の林檎(Poma aurea)と名付ける。
トマトは食べれるかもしれないが現時点でそれを消費している人の記録はないことを示唆。
🍅 1548年10月31日
フィレンツェ共和国(イタリア)の銀行家で公爵であるコジモ・デ・メディチの執事がデ・メディチの個人秘書に「トマト(Pomi d'oro)のバスケットが届いた」と書き、トマトがPomi d'oroとしてイタリアで最初の名前を与えられる。
それまで、Pomi d'oroは科学者が論文でイチジク、メロン、柑橘類を指すものとして使われていた。
🍅 1597年
イギリスの床屋で外科,植物学者のジョン・ジェラードが、フランス人とイタリア人がトマトを食べたことを認めながらも、トマトは有毒であると述べた本、The Herball or Generall Hiftorie of Plantesを出版。
🍅 1710年
北アメリカ(イギリス領)で栽培されているトマトについて最初の言及。
🍅 1745年
第3代アメリカ合衆国大統領であるトーマス・ジェファーソンが、ユダヤ人の友人であるジョン・デセケイラ博士が、1745年にウィリアムズバーグ(バージニア州)に到着した後、バージニアにトマトを紹介したと書く。
🍅 1785年
園芸雑誌のル・ボン・ジャルディニエ(1755年から発行)でトマトでソースを作ることができると紹介された。
1758年
イギリスの料理作家であるハナー・グラスによると、1750年代、トマトはイギリスではスープで食べられていた。
🍅 1770年
アメリカで最も初期のトマト料理のレシピがサウスカロライナで出される。
🍅 1779年
貴族、バルベリーニ枢機卿の料理人であるアントニオ・ネッビアがパスタとトマトソースを組み合わせた初めてのレシピ本を出版。
1792年
スペインのフィリップ2世の後援、アランフェス(スペイン・マドリード州南部)の植物園の主任庭師が「ソースに良いと言われています」と書く。
しかし、一般的には装飾用の植物とされ料理用としてめったに使われなかった。
フィレンツェの貴族、ジョヴァン・ヴィットリオ・ソデリーニは「彼らは美しさだけだけを求められた」と記している。
🍅 1799年 - 1825年頃
アレッポ(シリア北部にある都市)の英国領事であるジョン・バーカーによって北アフリカと中東にトマトが紹介され栽培が導入される。
🍅 1820年9月26日
まだトマトには毒があると信じられていた時代、アメリカ(ニュージャージー州セーラム郡)の裁判所前でジョンソン大佐として知られるロバート・ギボン・ジョンソンが「トマトを食べてみせる」と言い、それに2000人もの群衆が集まり、食べる姿を見て怒号や悲鳴、失神する女性も出たが最後は歓声で終わった。
🍅 1873年5月1日 - 10月31日
一般的には、まだ非常にエキゾチックに映っていたトマトはハンガリー帝国(オーストリア)のウィーン万国博覧会で人の目を引く植物として展示された。
🍅 1988年
グッドモーニングアメリカ(ABCで放送されている朝の情報番組)は、ジョンソン大佐がアメリカで最初にトマトを食べたと報道した。