凉面
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凉面(リィァンミィェン)
起源
凉面は「过水面」とも呼ばれ、古くは「冷淘」とも呼ばれていた。 冷淘は、『唐六典』(全30巻:713年 ‐ 741年)にも記されている。 起源は、中国の歴史上に存在する422人の皇帝の中で、唯一の女帝であった武則天(ぶそくてん:在位 690年10月16日 - 705年2月22日)が唐王朝に入宮する前に、恋人と二人で麺を冷やすという新しい食べ方を考案したのが始まりとされている。
唐王朝の第2代皇帝である太宗(たいそう:在位 626年9月4日 - 649年7月10日)の妻・長孫皇后(ちょうそんこうごう)が病で 636年7月28日に36歳という若さでこの世を去った後、山西省の資産家で唐王朝の創業に貢献した政治家である武士彠(ぶしやく)の娘であった武珝(のちの武則天)は側室として14歳の若さで宮廷入りしなければならなかった。 しかし、彼女は入宮する前、常剑峰という幼なじみの恋人がいた。
武珝が恋人と一緒に山西面を食べている時に、二人で舌をヤケドしたのがきっかけとされる説もあるが、現在も冷製麺料理として残っている「夫妻米凉面」の逸話にヤケドのくだりはない。 この山西面とは、山西の伝統技法の麺を指し、山西省は麺発祥の地、麺の故郷とされ、多種多様な麺が存在する。
武則天は、前漢の初代皇帝、劉邦(りゅうほう)の皇后であった「呂雉」(りょち:紀元前241年 - 紀元前180年8月18日)、清朝末期の「西太后」(せいたいごう:1835年11月29日 - 1908年11月15日)と共に「中国三大悪女」に数えられるが、伝承は若き頃の健気な武則天の姿と、心優しい店主の姿が描写されている。